震災から13年。津波で大きな被害を受けた旭市の人たちは、震災をどう乗り越えてきたのでしょうか?
旭市の“ソウルフード”復活を支えたのは、地元の人たちの「おいしい」という声でした。
山中食品 山中武夫 社長
「あれからもう13年になりますか。もうあまり、当時のことは語りたくない。それだけ嫌な思いがある」 「あえて聞かれると、13年…。震災の記憶は嫌なことだらけの思い出」
旭市で、あられやせんべいなどを作っている「山中食品」の山中武夫(やまなか・たけお)社長。
「山中食品」の看板商品「雷鳥」や「しぐれ揚げ」は地元で長年愛される旭市の“ソウルフード”です。
そんな商品を作る工場にあの日、津波が押し寄せ、工場は全壊。震災から2年後に再建しました。
震災の記憶は「嫌なことだらけ」と語る山中社長ですが、支えとなったのは「地元の声」でした。
山中食品 山中武夫 社長
「震災で自分たちの商品が食べられなくなってしまったという声をあちらこちらで聞く」 「地元のたくさんの人たちの声を聞くと、長年の歴史を感じさせる商品だったんだな、津波で断念するのも悔しいな。これだけたくさんの人たちに支持されているなら、何とか再開できないかという積み重ね」
新しい工場ができても“味”はすぐには戻りませんでした。
そんな中、山中社長を励ましたのは、やはり「おいしい」という声でした。
山中食品 山中武夫 社長
「やはりお客様から『おいしい おいしい』と言われるのが一番の励みになる」「同じレシピでも設備が全く変わったので、機械の特徴もあるし同じ製法で作ってもやはり微妙に違う。それが段々やっているうちに落ち着いてくる、もとの製品よりもさらに一段とおいしくなったという言葉も聞く。生産者にとってはうれしい」「何度も言うけど本当に励みになる、もっともっとおいしいものを作ってあげようと」