バブルの象徴、狂乱のディスコ「ジュリアナ東京」跡地はどうなった? かつての倉庫街に押し寄せる巨額の投資マネー

ディスコ「ジュリアナ東京」で踊る女性たち=1994年8月、東京・芝浦

 日経平均株価が日本経済の「失われた30年」を経て、バブル経済絶頂期の1989年末に記録した史上最高値を更新。一時、未知の領域だった4万円台を付けた。バブルの高揚感を象徴する存在とされたのが東京・芝浦の倉庫街にあったディスコ「ジュリアナ東京」だ。ワンレンのヘアスタイルに、体のラインを強調したボディコンのファッションを身にまとった女性たちが羽根付きの扇子を振りながら狂喜乱舞した。

 営業期間がわずか3年の短命に終わり、バブルのあだ花ともいわれるジュリアナ東京の跡地を訪れると、バブルの再来かと思うほど不動産に投資マネーが流れ込み、産業も構造変化が進んでいることが見えてきた。(共同通信=越賀希英)

 ▽無料券配り満員を演出

 ジュリアナ東京はJR田町駅から徒歩約10分のビルの1階にあった。現在は博報堂と外資企業のジョイントベンチャーが入居している。ビルの入り口には当時のままの赤い三角形の屋根があり、「昭和」をほうふつとさせる。

 芝浦地区は埋め立て地で、物流の拠点として発展してきた。地元に詳しい関係者は「田町駅の海岸側はいわゆるブルーカラーの街。倉庫のほか、立ち食いそばなどの飲食店や商店が軒を連ねていた」と振り返る。倉庫はコンテナ船から小型の船に移し替えた荷物の保管に使われていたという。

ジュリアナ東京があった建物の入り口。赤い屋根は当時のまま残っている=2月、東京・芝浦

 ジュリアナ東京があったビルも倉庫だった。1200平方メートルとテニスコート6面分ぐらいの広さがあり、使いやすい長方形。そして天井高が8メートル以上。日商岩井(現双日)の社員だった折口雅博氏はオーナーから有効活用策を相談され、ディスコにぴったりだとひらめいた。「倉庫街で普段行かない場所。非日常感がある」というのが理由だった。折口氏は総合プロデューサーとなってオープンにこぎ着けた。

 当時の店内を振り返る映像では、人がひしめき合って踊る様子が印象的だ。だが満員の裏にはある仕掛けがあった。

 折口氏は「常に満員にすること」が人を呼び込むヒットの条件だと読んだ。平日でも満員にするために、顧客の主なターゲットを会社員とし、有力企業に招待券を配りまくったという。

 当初は来店した千人の客のうち、有料で訪れたのはたったの1割。折口氏は「最初はそんなににぎわっているとは思わず、それほど期待せずに来る。話題のディスコだから来るだけ。そして来てみたら満員でものすごく迫力があって『これはすごい』となるから、次は招待券がなくても来る」と述懐する。

 熱気にあふれたダンスホールが刺激を求める客を次々に呼び込み、1991年5月の開店から1年たたずに全員が入場料を支払って来るようになった。平日は女性が4500円、男性は5千円だったという。

 バブル経済が終わりを迎えたのは1991年2月ごろとされ、ジュリアナ東京が開店したときには景気は既に下り坂だった。だが世の中はバブルの余韻に浸っていて、経済の低迷がまさか30年も続くとは気付きもしなかった。折口氏が「自分がいかに目立つかということにためらいがなかった」と思い起こすように、女性たちは名物の「お立ち台」で競い合うように踊った。

取材に応じる折口雅博氏=2月、東京・六本木

 ▽タワーマンション建設ラッシュへ
 芝浦地区はこの頃、物流の構造変化に伴って港湾機能が必要なくなり、レジャー施設や企業のオフィスを中心とした都市機能に切り替える計画が進みつつあった。

 それを後押ししたのが、2013年ごろから押し寄せた巨額の投資マネーだ。日銀が当時の黒田東彦総裁の下で大規模な金融緩和政策を開始した時期と重なる。住宅ローン金利は歴史的な低水準に押し下げられ、市場にあふれた巨額の投資マネーは不動産開発へと向かった。地元でビルを所有する男性が「土地代が上がり始めたのはここ10年くらい前からではないか」と振り返るように、住民の実感とも符合する。

 ウオーターフロント再開発と題した東京湾岸地区開発の目玉の一つとなったのが、芝浦アイランドと呼ばれる芝浦4丁目の一角だ。四方を海に囲まれた人工島にタワーマンションが林立し、人口が1万人増えた。タワーマンションの建設ラッシュはその後、周辺地域に広がった。

芝浦地区に林立するタワーマンション

 ジュリアナ東京のあった芝浦1丁目の現在の人口は約3600人。そのうちタワーマンションの住民は約2千人と過半数を占めるという。投資用のワンルームマンションも10棟ほどある。芝浦周辺の2022年の路線価は10年前と比べると7割余り上がった。

 JR田町駅は東京駅まで電車で約10分。羽田空港までも30分程度の距離だ。住宅購入サイトによると、マンション価格は70平方メートルのファミリー向けの部屋だと1億円を優に上回る。だが通勤に便利な立地は、パワーカップルと呼ばれる高収入の共働き夫婦から支持を集め、住宅ローンの低金利の恩恵もあって人気は根強い。

 人口の急増で2022年4月には小学校が新設された。地下1階、地上9階建てのビルで、校庭は屋上にある。地区の二つの小学校を合わせると児童数は約1400人。建築中のマンションもあり、児童数はまだ増えそうだという。

芝浦地区に新設された小学校

 JR田町駅周辺は広い公園が整備され、病院やスーパーもできた。芝浦1丁目町会会長の岡田祥男さんは「住民の声を聞きながら開発が進み、非常に住みやすい場所になった。こんな街並みになるとはバブル当時は思い描けなかった」と話す。

 ただ課題もある。岡田さんは「自ら汗をかいて地域のために動こうという意識が薄い人が多く、十分な交流ができていない。災害が起きたときにお互い顔の分かる関係が築けていなければ、いざというときに助け合えない」と指摘する。昔から住む人同士の結びつきは強いが、新たに移り住んできた人とのつながりをどう持つのか模索中だ。

運河が多い芝浦地区を案内する芝浦1丁目町会の岡田祥男会長(左)=2月

 ▽新興企業が切磋琢磨する場所に
 ジュリアナ東京のあったビルは2024年に竣工から50年を迎える。大規模改修で一部がシェアオフィスとなり、起業直後の経営者が集う。ビルの管理会社によると「ジュリアナ東京があったというストーリーを面白がってくれる企業もある」という。

 もともと倉庫だったため、部屋の大きさを自由に変えられるほか、一般的なオフィスに比べて割安で借りられることも評価され、借り手が途切れない。入居した企業の中には、業績を拡大して巣立っていく例も多い。

シェアオフィスのラウンジ。青い椅子はジュリアナ東京で使われていた=2月、東京・芝浦

 入居中のIT企業関係者は「(賃料などの)固定費を抑えられることは(今のビジネスが)ちゃんと商売になるか分からない新興企業にとっては大きい」と話した。入居者同士が交流できるラウンジには、ジュリアナ東京で使われていた青い椅子が再利用されている。

 新たな価値を見いだした芝浦地区。バブル経済期の面影を残すこの場所では今、将来の日本を代表する可能性を秘めた新興企業が切磋琢磨している。

IT企業が入居するシェアオフィス=2月、東京・芝浦

© 一般社団法人共同通信社