「もう避難者はいないのでは?と聞かれることが増えた」震災取材を続けるジャーナリストが訴える問題点

『なぜ日本は原発を止められないのか?』の著者で、原発取材をライフワークとしているジャーナリストの青木美希さんが3月11日の『大竹まことゴールデンラジオ』に登場。取材を通じて見た被災地の現状を伺った。

大竹「東日本大震災から13年、どんなことをお感じになっていますか?」

青木「ずいぶん報道が減ってしまって、もう避難している方はいないんじゃないですか、と言われることが大変増えたんですけれども、今でも日本は原子力緊急事態宣言が発令中で数万人の方が避難しています。震災による直接の死者は全体で1万5900人、行方不明者が2520人で、震災関連死は今も後を絶たず3802人です。せっかく震災で助かったけれど、そのあとの避難生活で亡くなる方がいらっしゃる状況です」

大竹「その関連死には何が含まれているんですか?」

青木「自ら亡くなられた方も含まれています。本の中でも触れましたが、どんどん避難生活が苦しくなっています。特に政府と県が住宅提供を打ち切っているのは大変大きいです。今、2万世帯打ち切られてまして、大熊と双葉の方は、まだ避難先の住宅提供を受けられているんですが、「こちらも打ち切られるのではないか」と、住めるところを探している最中だと先日伺ったばかりです」

大竹「14歳の中学生が亡くなられました。どうしてですか?」

青木「お父さんとお母さんそして4人の子どもたちが新潟に避難していました。住宅提供が打ち切られるということが決まって、お父さんは仕事を探したんですけれども、もう50歳代でなかなか正社員の職が見つからなかったんです。それでようやく見つかったのが除染作業員でした。福島に戻って除染作業を行う。息子たちに「一緒に行くかい?」と聞いたら、また友達と離れ離れになりたくないから絶対嫌だということで、お父さんは1人で福島に戻ることを決めたんです。ところが、このおうちはお母さんがずっと看護師さんとして働いていて、4人の子どもはずっとお父さんにおしめを替えてもらい、ミルクをもらうという生活をしていました。ずっとお父さんに頼って生きてきた子どもたち4人が、初めて離れ離れになるということになりまして、お父さんが初めて離れるよという時に、長男の中学校3年生14歳の男の子が「もう帰っちゃうの?」とお父さんに聞いたんですね。お父さんは「来週月曜日から仕事だから」と答えました。「今度いつ帰ってくるの?」と子どもが聞いたんですけれども、「分かんない」と答えたんですね。これが最後の会話になりました。お父さんが初めて除染作業員として出勤すると、その日の朝に男の子は自ら命を絶ってしまいました」

大竹「もう一つ、自己破産をして命を絶った方のお話が出てきますね」

青木「福島はご存じのとおり、なかなか漁況が元に戻っていないという状況の中で、さらにサンマの不漁というのが重なってしまいました。それで自己破産にいたり、息子さんを残してお父さんは命を絶ってしまった方がいました。亡くなった方は水産関係者の方だったんですけれども、仲間の漁業者の方々は、今また海を汚されるようなことをすれば、同じことが起きるんじゃないか、だからやめてほしいと。処理水と呼ばれるものを海洋放出をしないでほしいということを訴えています」

大竹「この方の友達は、こうおっしゃっています。「不思議なんです。政府を擁護し海洋放出は安全だというジャーナリストと称する人たちがいますけど、例えばそういう人たちが漁業者に話を聞きに来るかといったら絶対に来ない」というんですね」

青木「この方の言葉は重くて、イチ漁業者ではなくて福島県漁連の理事をされてるんですね。ということは、県漁連に来てないということになります」

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