「帰ってきてとは言えない」戻らぬ住民と進まぬ廃炉 最難関の作業はメドたたず 東日本大震災13年

東日本大震災が起きてから11日で13年です。廃炉に向けた作業が続く福島第一原発の内部や周辺では厳しい現状も見えてきました。

(11日朝 宮城・仙台市若林区荒浜)

同級生と親戚を亡くした女性

「当たり前の日が突然なくなってしまったこの日を一生忘れられないです」

黙祷(午後2時46分)

宮城・石巻市~福島・浪江町~石川・輪島市~神戸市東遊園地

東日本大震災では1万5900人が亡くなり、災害関連死は3802人にのぼっています。13年たった今でも2520人の行方がわかっていません。

多くの命と共にたくさんの人々の暮らしも奪われたあの日。

小泉 良空さん

「なかなか震災前の光景が思い出せなくなってきたな、という瞬間は正直多くなっています」

福島県双葉町で語り部として活動する小泉良空さん(27)。

中学2年生の時、隣の大熊町の自宅で被災しました。

小泉 良空さん

「とにかく町の外に、すぐ帰ってこれるだろうと思いながら出た方がほとんどです」

双葉町は福島第一原発の事故により最も長い期間、全域での避難指示が続いた町です。一部の居住地域の避難指示が初めて解除されたのは11年半後の一昨年8月。今も町の15%ほどしか解除されていません。7000人以上いた住民も、今は100人ほどです。

小泉 良空さん

「13年という月日が経っているので、皆さん、避難先で当たり前の暮らしをされている状況なので、無理に帰ってきてね、とはなかなか言えないです」

先週、私たちのカメラが福島第一原発に入ると、そこには多くの作業員の姿がありました。毎日約4500人が携わる廃炉作業は、今年大きな転機を迎えます。

有吉 優海記者

「廃炉作業の『最難関』と呼ばれるデブリの取り出しが3度の延期を経て、この2号機から今年始まる予定です」

デブリとは、原子炉内の冷却機能が失われ、高温になった核燃料などが溶けた後、冷え固まったもの。デブリを取り出さない限り、廃炉への道筋は描けません。

取材班はデブリが溜まっている2号機と同じ型の5号機の内部へ。

有吉 優海記者

「2号機では、こうした隙間やさらに下に見える底にデブリが溶け落ちて溜まってしまっています」

デブリの量は1号機から3号機までの3つの原子炉であわせて約880トン。

今年10月ごろまでに始まる予定の作業では、メンテナンス用の穴から釣り竿のような装置を使って取り出す方針ですが、取り出せる量はわずか1グラムほど。

国と東京電力は複数の取り出し方法を検討していますが、技術的な目途はほとんど立っていません。「2051年までに廃炉」という目標を実現できるかは不透明です。

ひとたび事故を起こせば、命を脅かし、営みを奪い去る原発。

もし、関西に電力を供給する原発で事故が起きれば、30キロ圏内にある滋賀県や京都府の一部も避難区域となります。気候や地理によっては、さらに広範囲に放射性物質が広がる可能性もあります。

実際に福島第一原発の事故では30キロ圏の外側でも高い放射線量が観測されました。原則立ち入りが禁止される「帰還困難区域」の指定は今も続いています。

10年以上帰還困難区域だった小泉さんの実家。母屋は解体されましたが、被害が少ない離れは残しました。思い出の詰まったこの場所で再び生活したいと、2月、震災後初めて電気を通したそうです。

小泉 良空さん

「目の前とか、畑が何面か敷地内にあるので、何か育てたいなとおじいちゃんと作戦を立てていて、じいちゃんのおすすめはジャガイモらしくて、楽しみですね。できることが着実に増えていってる感じがして」

「ここに帰ってくることが自分の中では将来の夢みたいなものになっているので。ここで生活をし始めて、初めてちゃんと帰ってきたと思えるのではと思います」

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