『オッペンハイマー』のオスカー圧勝は完璧な“世代交代”に 『ゴジラ-1.0』快挙の意義も

クリストファー・ノーラン監督の『オッペンハイマー』が作品賞を含む最多7部門を制する圧勝で幕を下ろした第96回アカデミー賞。事前の予測では作品賞など複数の部門での受賞が当確状態で、「何部門を受賞できるのか?」という点に大きな注目が集まっていたわけだが、それを踏まえると授賞式の前半、ほとんど賞を獲れないまま進んでいった状況はなかなかスリリングなものであった。とはいえ最終的には、概ね順当な結果である。

強いていえば、音響賞で『関心領域』が『オッペンハイマー』を逆転したことぐらいが今年のビッグサプライズであろう。美術賞と衣装デザイン賞で『オッペンハイマー』が受賞を逃し、『哀れなるものたち』が受賞にこぎつけたのも、両部門の前哨戦でリードしていた『バービー』の作品としての勢いが目に見えて落ちていたからであり、結果的にメイクアップ&ヘアスタイリング賞も受賞した『哀れなるものたち』は、史上5作品目の美術・衣装・メイクの3冠を達成。この時点で主演女優賞もエマ・ストーンになる可能性がぐっと高まり、その通りになった。

それは同時に、マーティン・スコセッシの『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』を史上7本目となる“10ノミネート以上を獲得したのに無冠に終わった作品”へと変えることになる。しかもその7本のうち3本がスコセッシ作品というのだから、名誉なのか不名誉なのかわからないユニークな記録が生まれてしまった。

さて、この『オッペンハイマー』。原爆の開発者J・ロバート・オッペンハイマーを描いているということから日本国内でさまざまな議論が重ねられ、日本公開に漕ぎ着けるまでかなり長い時間を要した(結局アカデミー賞授賞式後の公開になるが)のは周知のことであろう。実際に観てみると、不思議なほど“原爆の映画”という印象よりも“赤狩り”の映画という印象が強い。むしろそのことが、この作品をアカデミー賞に導いたのではないかと感じるほどである。

歴史上の1人の人物の身に起きた出来事と心情を綴る典型的な伝記映画として作品賞に輝くのは『英国王のスピーチ』以来(一応、『グリーンブック』も伝記のようなものだが、典型的な伝記映画ではない)。そもそもノーランが伝記映画を撮るという意外性もさることながら、“ノーラン節”とでもいうべきだろうか、圧倒的な情報量の多さが従来の伝記映画とは一線を画す。切り返しショットの連続で重ねられていく会話のシーンに、複雑に絡み合う時間軸。トリニティ実験のシーンを除いたら“じっくり見せる”シーンはほぼ皆無で、ひたすら途方もない情報量と人物のやり取りを3時間という長尺に詰め込み、ノーランらしく終盤は予告編のように一気に畳み掛けてくる。

それだけに、現行の作品賞の投票システムで順当にトップに立てるのかどうか少々不安になったのもまた事実。かつての1作品を選んで投票するシステムから優先順位付き投票制に変わったことで、言葉は悪いが“当たり障りのない”作品が選ばれやすくなってきたのが近年の作品賞の傾向だった。『ソーシャル・ネットワーク』よりも『英国王のスピーチ』、『ゼロ・グラビティ』よりも『それでも夜は明ける』。『ROMA/ローマ』や『女王陛下のお気に入り』よりも『グリーンブック』。『DUNE/デューン 砂の惑星』や『パワー・オブ・ザ・ドッグ』よりも『コーダ あいのうた』といったように。

それでも作品賞まで突き抜けたのは、前述の“赤狩り”要素ももちろんのこと、現代の映画界を牽引する存在であるノーランに「ここで獲らせなきゃいつ獲らせるんだ」という心理が会員のなかで強く働いたことも一理あるだろう。監督賞のときにはプレゼンターがスティーヴン・スピルバーグ。作品賞のプレゼンターは、スコセッシやフランシス・フォード・コッポラ、リドリー・スコットといったレジェンドたちと仕事をしてきたアル・パチーノ。しかもパチーノはノーランの初メジャー映画『インソムニア』の主演俳優と、完璧な“世代交代”のお膳立てができあがっていたのである。

ちなみに作品賞と監督賞のダブル受賞は昨年に続き69作品目。キリアン・マーフィーの主演男優賞とロバート・ダウニー・Jr.の助演男優賞も受賞したわけだが、意外にも主演と助演の男優賞をダブル受賞した作品は少なく、過去にたったの5作品。奇しくも21世紀に入ってからは『ミスティック・リバー』と『ダラス・バイヤーズクラブ』と本作と、10年置きにやってくる。それ以前は『我が道を往く』と『我等の生涯の最良の年』『ベン・ハー』の3作品。作品賞も監督賞も同時に成し遂げたのは64年ぶりの快挙である。

また、作品賞受賞作で撮影賞も同時受賞したのは27作品目、作品賞を獲るためには最低限ノミネート必須ともいわれている編集賞との同時受賞は36作品目。作品賞・撮影賞・編集賞をすべて受賞したのは過去に15作品。『オッペンハイマー』は、『スラムドッグ$ミリオネア』以来15年ぶりの16作品目となる。13部門のノミネートで6つも落としてしまったとはいえ、しっかりと“獲るべきところは獲っている”。そんな受賞結果である。

最後に、日本勢の快挙について、特に視覚効果賞の『ゴジラ-1.0』に触れないわけにはいかない。製作費2億9100万ドルの『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』、同2億5000万ドルの『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー: VOLUME3』、同2億ドルの『ナポレオン』、同8000万ドルの『ザ・クリエイター/創造者』を相手に、一説によると製作費1500万ドルと言われている『ゴジラ-1.0』が勝利したというのは『エクス・マキナ』の時を想起させるジャイアントキリングであり、しかもそれを日本の国民的映画シリーズがやってのけたというのだから反射的にガッツポーズが飛び出してしまう。

スピーチで山崎貴監督が言った、「ハリウッドは私たちの作品を見てくれている」という言葉。どうしても規模では敵わないハリウッドという巨大な市場に、アイデアと技術力で勝てることを証明したというのは、日本だからという理由を差し置いても大きい。もっともこの受賞を受けて、日本の映画界が製作費の水準を上げるかどうかはそれぞれの会社の懐事情もあるのでなんともいえない部分ではあるが、少なくともスタッフに、作品を下支えしている末端の技術者たちにもっと夢を与え、同時に夢とかやりがいとかいうふわりとしたものではないものを与えられる業界になってくれるよう願っている。

第96回アカデミー賞受賞結果 ★受賞
作品賞
★『オッペンハイマー』
『アメリカン・フィクション』
『落下の解剖学』
『バービー』
『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
『マエストロ:その音楽と愛と』
『パスト ライブス/再会』
『哀れなるものたち』
『関心領域』

監督賞
★クリストファー・ノーラン『オッペンハイマー』
ジュスティーヌ・トリエ『落下の解剖学』
マーティン・スコセッシ『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
ヨルゴス・ランティモス『哀れなるものたち』
ジョナサン・グレイザー『関心領域』

脚色賞
★コード・ジェファーソン『アメリカン・フィクション』
グレタ・ガーウィグ、ノア・バームバック『バービー』
クリストファー・ノーラン『オッペンハイマー』
トニー・マクナマラ『哀れなるものたち』
ジョナサン・グレイザー『関心領域』

脚本賞
★ジュスティーヌ・トリエ、アルチュール・アラリ『落下の解剖学』
デヴィッド・ヘミングソン『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』
ブラッドリー・クーパー、ジョシュ・シンガー『マエストロ:その音楽と愛と』
サミー・バーチ『May December(原題)』
セリーヌ・ソン『パスト ライブス/再会』

主演男優賞
★キリアン・マーフィー『オッペンハイマー』
ブラッドリー・クーパー『マエストロ:その音楽と愛と』
コールマン・ドミンゴ『ラスティン:ワシントンの「あの日」を作った男』
ポール・ジアマッティ『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』
ジェフリー・ライト『アメリカン・フィクション』

主演女優賞
★エマ・ストーン『哀れなるものたち』
アネット・ベニング『ナイアド ~その決意は海を越える~』
リリー・グラッドストーン『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
ザンドラ・ヒュラー『落下の解剖学』
キャリー・マリガン『マエストロ:その音楽と愛と』

助演男優賞
★ロバート・ダウニー・Jr.『オッペンハイマー』
スターリング・K・ブラウン『アメリカン・フィクション』
ロバート・デ・ニーロ『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
ライアン・ゴズリング『バービー』
マーク・ラファロ『哀れなるものたち』

助演女優賞
★デヴァイン・ジョイ・ランドルフ『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』
エミリー・ブラント『オッペンハイマー』
ダニエル・ブルックス『カラーパープル』
アメリカ・フェレーラ『バービー』
ジョディ・フォスター『ナイアド ~その決意は海を越える~』

国際長編映画賞
★『関心領域』 (イギリス)
『Io Capitano(原題)』(イタリア)
『PERFECT DAYS』(日本)
『雪山の絆』(スペイン)
『ありふれた教室』(ドイツ)

視聴効果賞
★『ゴジラ-1.0』
『ザ・クリエイター/創造者』
『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME 3』
『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』
『ナポレオン』

長編アニメーション賞
★『君たちはどう生きるか』
『スパイダーマン:アクロス・ザ・スパイダーバース』
『ニモーナ』
『マイ・エレメント』
『ロボット・ドリームズ』

撮影賞
★ホイテ・ヴァン・ホイテマ『オッペンハイマー』
エドワード・ラックマン『伯爵』
ロドリゴ・プリエト『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
マシュー・リバティーク『マエストロ:その音楽と愛と』
ロビー・ライアン『哀れなるものたち』

編集賞
★ジェニファー・レイム『オッペンハイマー』
ローレント・セネシャル『落下の解剖学』
ケヴィン・テント『ホールドオーバーズ 置いてけぼりのホリディ』
セルマ・スクーンメイカー『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
ヨルゴス・マヴロプサリディス『哀れなるものたち』

音響賞
★『関心領域』
『ザ・クリエイター/創造者』
『マエストロ:その音楽と愛と』
『ミッション:インポッシブル/デッドレコニング PART ONE』
『オッペンハイマー』

作曲賞
★ルドウィグ・ゴランソン『オッペンハイマー』
ローラ・カープマン『アメリカン・フィクション』
ジョン・ウィリアムズ『インディ・ジョーンズと運命のダイヤル』
ロビー・ロバートソン『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
イェルスキン・フェンドリックス『哀れなるものたち』

美術賞
★『哀れなるものたち』
『バービー』
『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
『ナポレオン』
『オッペンハイマー』

衣装デザイン賞
★エレン・マイロニック『オッペンハイマー』
ジャクリーン・デュラン『バービー』
ジャクリーン・ウェスト『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』
ジャンティ・イェーツ、デイヴ・クロスマン『ナポレオン』
ホリー・ワディントン『哀れなるものたち』

メイクアップ&ヘアスタイリング賞
★『哀れなるものたち』
『Golda(原題)』
『マエストロ:その音楽と愛と』
『オッペンハイマー』
『雪山の絆』

歌曲賞
★「What Was I Made For?」『バービー』
「The Fire Inside」『フレーミングホット!チートス物語』
「I’m Just Ken」『バービー』
「It Never Went Away」『ジョン・バティステ:アメリカン・シンフォニー』
「Wahzhazhe(A Song for My People)」『キラーズ・オブ・ザ・フラワームーン』

短編アニメーション賞
★『War Is Over! Inspired by the Music of John & Yoko(原題)』
『Letter to a Pig(原題)』
『Ninety-Five Senses(原題)』
『Our Uniform(原題)』
『Pachyderme(原題)』

長編ドキュメンタリー賞
★『実録 マリウポリの20日間』
『ボビ・ワイン:ゲットー・プレジデント』
『The Eternal Memory(英題)』
『Four Daughters(英題)』
『To Kill a Tiger(原題)』

短編ドキュメンタリー賞
★『The Last Repair Shop(原題)』
『The ABCs of Book Banning(原題)』
『The Barber of Little Rock(原題)』
『Island in Between(原題)』
『Nai Nai & Wai Po(原題)』

短編実写映画賞
★『ヘンリー・シュガーのワンダフルな物語』
『彼方に』
『Invincible(原題)』
『Knight of Fortune(原題)』
『Red, White and Blue(原題)』

(文=久保田和馬)

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