『ドラゴンボール』「フリーザ編」までが“見せ場”なのか 「魔人ブウ編」ラストに見る“鳥山明的”な結晶

“通”な漫画読みの中には、「鳥山明の『DRAGON BALL』が本当に面白いのは『フリーザ編』まで」という人がいる。つまり、その後の「人造人間・セル編」と「魔人ブウ編」は、“蛇足”というわけだ。

果たして本当にそうなのだろうか。私はそうは思わない。たしかに、同作が社会現象的な大ヒット作になってしまったがゆえに、なかなか連載を終わらせることができなくなったという側面はあったかもしれない(良くも悪くも、週刊漫画誌の大ヒット作というのはそういうものだ)。

しかし、それでもなお私は、「フリーザ編」の“その後の物語”は描かれるべきだったと思う。とりわけ「魔人ブウ編」のクライマックスは、極めて鳥山明的な、見事なラストバトルだったといえるのではないだろうか。

※以下、ネタバレ注意。

孫悟空の必殺技「元気玉」が象徴するもの

「魔人ブウ編」のクライマックス――まず注目すべきは、主人公・孫悟空とかつての強敵、ベジータが手を組むという点だ。むろん、そこにいたるまでにも、内心では悟空のことを認め、また、“人の心”を目覚めさせつつもあったベジータだが、「王子」としてのプライドのせいか、悟空と表立って手を組むということはほとんどなかった。

だが、妻と子という守るべき存在を得た彼は、戦闘種族サイヤ人としての本能とは別に、心の底から他者のために命を賭して戦おうとする。そして、終生のライバルともいえる悟空の方が自分よりも“上”だと素直に認め(その心情は、「がんばれ カカロット…おまえがナンバー1だ!!」というセリフに集約されている)、頼れる味方となって戦うのだ。

もう1つ注目してほしいのは、そのベジータの指示で、孫悟空が最後に魔人ブウめがけて放つ大技である。周知のように、本作の主要キャラたちは、ある段階から異常ともいえる進化を重ね、それにともない必殺技も宇宙規模の大技になっていった。だとしたら、この物語の最後に描かれるべき必殺技は、いままで出てきた大技を遥かに超える、いわば、「超技」でなければならないだろう。しかし、実際に孫悟空が最後に魔人ブウに放った大技は、過去の必殺技の1つに過ぎない「元気玉」であった。

元気玉は、人間をはじめとした、あらゆる生命(万物)から少しずつ「気」をもらって巨大な光球を作り、それを敵にぶつけて倒すという技で、たしかに破壊力は凄まじいが、読者としてはすでに何度か目にしてきたものでもあり(注・ベジータ戦とフリーザ戦で使用されている)、正直なところ新鮮味はない。しかし、それでもなお、作者としては、あえてこの技で物語を終わらせる必要があったのだろう。

結果、孫悟空は世界中の人々の「気」を集めることに成功し、超特大の元気玉(超元気玉)を魔人ブウにぶつけて、勝つ。当然、その勝利の裏には、ベジータの身を挺した戦いや、ミスター・サタンら仲間たちの協力、そして、無数の名もなき人々の想いが込められていたわけである。

人と人とがつながっていく物語

さて、本稿の冒頭で私は、この孫悟空と魔人ブウのラストバトルが、「極めて鳥山明的」であると書いた。それはいったいどういうことかといえば、要するに、この戦いで描かれているのが、“人と人のつながり”が生み出す力の強さであるということだ。繰り返しになるが、魔人ブウを倒したのは、孫悟空ひとりではない。彼の仲間たちと、世界中の人々の想いが1つになったからこそ、「元気玉」というかたちで、恐ろしい敵を倒すことができたのである。

そして、そうした人と人とがつながっていく様子は、鳥山明の漫画の多くで、(派手なバトルや秀逸なギャグの陰で)さりげなく描写されている。たとえば、父親(悟空)が「あの世」に帰ってしまう前に「ダッコ」して欲しいと思っている孫悟天の恥ずかしそうな表情(『DRAGON BALL』JC版・40巻)や、則巻千兵衛一家の慌ただしくも温かい日常を眺めている山吹みどりの微笑(『Dr.スランプ』JC版・9巻)などを見てほしい。いずれもセリフのない1カットだが、そこには、人が人を想うときに生まれる優しい気持ちが溢れているから。

そう、極論すれば鳥山明の漫画とは、ギャグ漫画であろうとバトル漫画であろうと、人と人とが心を通わせ、やがて家族や仲間になっていく物語であり、だからこそ、いまだに多くの読者から愛されているのだ。そしてその魅力は、この先もずっと色褪せることはないだろう。

(文=島田一志)

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