東日本大震災から13年 絵手紙の交流を通じて被災地と絆はぐくむ

東日本大震災から、11日で13年です。当時の記憶や被災地への関心が薄れるなど風化が懸念されるなか、震災後に生まれた群馬と被災地の子どもたちが絵手紙の交流を通して絆をはぐくんでいます。
「がんばろうね」「元気?」・・・。メッセージが添えられた絵手紙。描いたのは、玉村町立上陽小学校の子どもたちです。

上陽小では、毎年3年生の児童が東日本大震災で被災した宮城県の女川小学校の子どもたちに絵手紙を送っています。今年は、どんな絵を描いたのでしょうか。

「私が(絵手紙に)描いた絵はみかんです。円を描くときに手がブルブル震えてしまうので手を抑えながら描きました。(手がふるえたのは)『頑張ってほしい』と思い、私たちの気持ちを伝えたかったからです。」(上陽小・児童)

「(絵手紙に描いたのは)富士山の帽子をかぶった犬です。大きな地震で沢山の人が亡くなったと分かりました。もうその悲しい気持ちがなくなってほしいと思って描きました。」(上陽小・児童)

震災発生後、女川町は14.8mもの大津波に襲われ、800人を超える尊い命が犠牲となりました。

上陽小と被災地の小学校の間で絵手紙の交流が始まったのは、震災直後の2011年から。女川小とのやりとりは2016年からつづいています。

きっかけは、玉村町の絵手紙サークル「一歩の会」の存在でした。
「子どもたちの絵手紙を被災地に送れないか・・・。」一歩の会が相談したのが玉村町の職員・畑中 哲哉さんでした。畑中さんは福島市の出身で、震災後に女川町の役場に支援のため派遣されていました。

「当初は親子教室の中で(絵手紙を)描いてもらっていましたが、とても積極的で何も心配する必要もなく間をつなぐだけで、もう13年続いています」(玉村町役場・畑中哲哉さん)

震災当時はまだ生まれていなかった世代にどのように教訓を伝えるのか。子どもたちは授業で当時の児童が書いたという作文を読むことで「命の尊さ」を学んでいます。学校の避難訓練にも参加し、地震の恐ろしさや発生時の行動についても理解を深めているといいます。

「『(女川町は)こういう経験があって、だから絵手紙のやりとりを続けている』と伝えると子どもたちも感じるものがあるようで絵手紙を描いたことと(学んだことが)繋がってすごく理解が深まったのかなと思います。」(上陽小・阿久澤由佳教諭)
今年、絵手紙を受け取った女川小学校の子どもたちは・・・

「『元気でね』と書いてあった。嬉しかったです」 「丁寧に描いてあって嬉しかった」「震災が起きたときはまだ生まれていなかったけど先生や地域の人の話を聞いて新しい女川町をつくっていきたいと思いました。」「女川小学校や女川町のみんなと一緒に暮らしていけるようみんなでがんばりたい」(女川小・児童)

その女川小学校からは 「お返事もらいました~!!」(上陽小・児童)
「『がんばれ』と書いてあって嬉しくなりました。」

「とても嬉しいし、またやりとりできると相手も元気になるし、こちらもとっても安心できる。ずっとやりとりをしていきたいと思います。」(上陽小・児童)

地震の発生から13年・・・震災の風化が懸念されているなか子どもたちが思い合う気持ちはこれからも繋がりつづけます。

「一番印象に残っている絵手紙があって上陽小の子が描いたもので『一緒に4年生になろうね』と書いた子がいたんですよね・・・それだけなんですけど、ちょっと涙が出てきてしまう。大きくなって(お互いに)”思い出の女川”とか”思い出の玉村町”になればいいなという思いでいますので、続けていただきたいと思っている。」(玉村町役場・畑中哲哉さん)

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