明るい人柄、宴席に花 山形芸妓の小菊さん死去、本県の花街文化をけん引

山形の花柳界を支え続けてきた芸妓の小菊さん=2017年、山形市

 山形芸妓(げいぎ)として、本県の花柳界を支えてきた小菊さん(本名・五十嵐菊子)が10日、100歳で亡くなった。地方(じかた)として卓越した三味線でお座敷を盛り上げ、豪快で明るい人柄で客をもてなした。芸妓や料亭などの関係者からは、生涯現役を貫き、花街文化をけん引した「小菊姐(ねえ)さん」との別れを惜しむ声が相次いだ。

 小菊さんの孫で、山形芸妓の菊弥さん(本名・五十嵐弥生)は、同じ地方として三味線を弾くようになり、祖母の偉大さを知ったという。清元、長唄、常磐津、知らない曲まで客の唄に合わせて難なく奏で、「お客さまの息をのみ込んで気持ちよくうたわせる。常に楽しませることを第一に考えていた」と話す。

 「芸事は盗まんなねだ」と度々言われた。新型コロナウイルス禍で座敷に出られない日々が続くと「寂しい」と嘆いていたとし「人に会うことが大好きで、最後までお座敷に出ることにこだわった。姐さんを目標に心意気を引き継ぎたい」と語った。

 山形市の老舗料亭・四山楼では、小菊さんは一番の売れっ子で、女将の柿本京子さんは「お酒が強くて明るく、宴席に花を添えてくれる存在」と振り返った。90歳を過ぎても稽古をしていた小菊さんを思い返し「菊弥さんとお座敷に出ることが生きがいだったんじゃないかな」と続けた。

 山形芸妓育成支援協議会長を務める鈴木隆一山形商工会議所副会頭(でん六社長)は小菊さんから小唄を習い、40年近い付き合いだったといい、「もう会えないのは寂しく、残念でならない」。斎藤茂吉文化賞受賞の祝いの会で発起人を務めた山形商議所の清野伸昭元会頭(山形パナソニック会長)は「分け隔てなく、気持ちのいい人だった」と肩を落とした。

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