『ニッサン・スカイラインGT-R(BNR34型/2000年)』2連覇後に待っていた苦闘の始まり【忘れがたき銘車たち】

 モータースポーツの「歴史」に焦点を当てる老舗レース雑誌『Racing on』と、モータースポーツの「今」を切り取るオートスポーツwebがコラボしてお届けするweb版『Racing on』では、記憶に残る数々の名レーシングカー、ドライバーなどを紹介していきます。今回のテーマは、2000年の全日本GT選手権を戦った『ニッサン・スカイラインGT-R(BNR34型)』です。

* * * * * *

 1998年はラストイヤーとなったBCNR33型で、1999年はデビューイヤーを迎えたBNR34型で全日本GT選手権(JGTC)GT500クラスのチャンピオンを2年連続で獲得したニッサン・スカイラインGT-R。

 しかし、連続タイトルを手にした1999年もライバルのホンダNSXとトヨタ・スープラが3勝ずつをマークするなかで、GT-Rはわずか1勝。2連覇したとはいえ、マシンの戦闘力アップは急務といえる状況だった。

 そこでニッサン陣営は2000年に向け、GT-Rの大改造を実施。搭載するエンジンがスカイライン伝統の直列6気筒であるRB26DETTであることに変わりはなかったが、オイルパンを薄く作り直し、車体骨格に直接エンジンを固定するセミストレスドマウント化することで、エンジンの搭載位置を1999年モデルに比べて、さらに低めた。

 またエンジン本体も可能な限りブロックのリブを削るなどして、前年車に比べてエンジン単体で10kgの軽量化を達成。大きくて重たいRB26DETTのデメリットを少しでもなくそうと改良を重ねた。

 さらに車体骨格やロールケージの構成も見直された。これにより1999年モデルでは1150kg程度だった車重が、1100kgを余裕で下回るまでに軽く仕上げられた。

 加えてスプリング+ダンパーユニットを前後ともホイールハウス内に水平にマウントすることで、サスペンションの動きをよりスムーズにすることを狙ったモディファイを施すなど、デビュー2年目を迎えたR34型GT-Rは、1999年モデルとは大きく異なるマシンへと生まれ変わったのだった。

 大変貌した2000年モデルのR34型GT-Rは、その成果をすぐに発揮する。シーズン初戦となったツインリンクもてぎ(現:モビリティリゾートもてぎ)ラウンドで、首尾よく勝利を手にする。

 その後も開幕戦ウイナーであるロックタイト・ゼクセルGT-Rが安定してポイントを獲得する。

 MINEサーキットを舞台にした第6戦では、カルソニックスカイラインがGT-R勢としてはシーズン2勝目(スペシャルステージのマレーシア・セパンラウンドを含めると3勝目)をマークするなどして、ランキングでも上位に食い込んだ。

 だが、結局この年はNSXがチャンピオンを獲得。GT-Rのタイトル防衛とはならなかった。

 またこの年、GT-Rは前述の通り2勝をマークしたがポールポジションはゼロ。スピード勝負ではライバル2車に敵わぬ状況となり、GT-Rはこの年以降、2002年に至るまでさらなる劣勢に追い込まれることになっていく。

2000年の全日本GT選手権第6戦MINEを制したカルソニックスカイライン。星野一義、本山哲がドライブした。
2000年の全日本GT選手権第2戦富士を戦ったカストロール・ニスモGT-R。片山右京、ミハエル・クルムがステアリングを握った。

投稿 『ニッサン・スカイラインGT-R(BNR34型/2000年)』2連覇後に待っていた苦闘の始まり【忘れがたき銘車たち】autosport web に最初に表示されました。

© 株式会社三栄