東日本大震災の被災者が能登半島の高校生を支援「生徒に伝えたい自分の体験

東日本大震災で被災した女性が、能登半島地震の被害を受けた高校生の支援を行っています。「夢を諦めてほしくない」という女性の思いに迫ります。

(NPO法人カタリバ 今村久美代表理事)
「地震を経験して、まわりで環境が変わったり、友達が近くにいないということが起きていると思う。それでもみんなは人生を自分で決めていかなきゃいけない。一人一人の高校生です」

先月、石川県輪島市で被災した高校生へのキャリア支援の取り組みが行われました。高校生からは将来のことだけでなく、様々な悩みが打ち明けられます。

(生徒)
「地震が起きてから、暇な時間が増えて、暇な時間に何したらいいか」
(NPO法人カタリバ 阿部愛里さん)
「あの時私が思ったのは「めっちゃ暇だな」だった。めっちゃ暇で、暇なんだけど何もする気が起きなくて…」

高校生たちの話を熱心に聞くのは、阿部愛里さんです。現在、被災地の教育支援などを行う団体のスタッフとして働く阿部さんは、13年前、東日本大震災で被災しました。

当時、中学3年生だった阿部さん。出身地である宮城県気仙沼市は津波が押し寄せ、大規模な火災が発生しました。大きな喪失感に苛まれましたが、ボランティアで気仙沼を訪れた人たちとの交流が、阿部さんを支えてくれたといいます。

(NPO法人カタリバ 阿部愛里さん)
「被災したからとかお金がないから、夢を諦めてほしくないなっていうのが、一番自分の中の気持ちとして大きくて」
「出会いで自分の人生が変わったなという気がしていて、こんな人生もありなんだみたいなことを学ばせてもらって」

人との出会いが今、原動力となっています。
1日目のプログラムが終わり、輪島市の現状を見に行くことになりました。しかし…

(NPO法人カタリバ 阿部愛里さん)
「(改めて見ると)何も言えない」
「私の高校時代、青春時代はこういうこうオレンジと灰色の世界だったなぁっていうことは思い出させられるんですけど…」

東日本大震災から13年経っても、輪島市の現状を目の当たりにすると、火事で焼けた当時の気仙沼の光景と重なり、胸が詰まります。

(NPO法人カタリバ 阿部愛里さん)
「生きるか死ぬかだったので、何も考えられずに生きていたけど、今こうして改めて同じような光景を見た時に、何なんだろうなこれは…」

人が抗えない災害への思い…。

(NPO法人カタリバ 阿部愛里さん)
「災害って本当に悔しい、悔しいなぁと思いますね」
「恩返しだとか、届けるんだ、自分の番だと思っていたけど、何ができるんだって、何ができるんだこんな状態でっていうのは思ってしまいました」

心が大きく揺れ動きました。
翌日、阿部さんが訪れたのは珠洲市です。ここ飯田高校では、およそ3割の生徒が登校できず、Zoomで授業を受ける状態が続いています。

(三好記者)
「きのう輪島市で朝市のエリアを見て、無力感を感じていると言っていた。一夜明けてどう咀嚼した?」
(NPO法人カタリバ 阿部愛里さん)
「できることをやるしかないなという気持ちにはなっているので、そのつもりでいきたいと思っています」

前日と変わらず、生徒たちの話を熱心に聞き、自分の経験を話す阿部さん。揺るぎないのは、「子どもたちに夢を諦めてほしくない」という思いです。その阿部さんの思いは生徒たちにも伝わっていました。

(生徒)
「愛里さんと分かち合えたというか、一緒のことを思っていた人がいるんだなと共感できて、嬉しかった」
「地震があってからブルーになることもあった。もう一度自分の将来とか考え直したり、夢に向かって挑戦するいいきっかけになった」

能登半島での活動で、阿部さんは思いを新たにしました。

(NPO法人カタリバ 阿部愛里さん)
「自分自身を思い出したりとか、そこからどうやって立ち上がったんだっけということを、改めて考えさせられるような時間になった」
「子ども支援や日本の教育的な課題みたいなこととかに向き合っていきたいというのが、より一層強くなった」

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