<東日本大震災13年>被災の中小企業、再建の歩み追う 「教訓生かして」円谷プロ出身の映像作家・田中敦子さん

被災企業を「10年間は撮り続けないと、結果は見えてこないと思った」と振り返る田中さん=2月、横浜市磯子区の自宅

 東日本大震災で被災した水産加工会社の再建への歩みを追い続けてきた映像プロデューサー田中敦子さん(81)=横浜市磯子区=の作品が、全国の中小企業などから注目を集めている。災禍からの復興を目指す経営者らの経験や考えに学び、事業継続計画(BCP)や防災計画に役立ててもらおうと上映されている。田中さんは「被災企業の教訓を、自社の備えに生かしてほしい」と願っている。

 田中さんは、「ウルトラシリーズ」に代表される円谷プロダクションに創設期から勤め、退社後はプロデューサーとしてテレビのドキュメンタリー番組製作に携わってきた。だが視聴率獲得のために演出や誇張をするテレビ業界の“常識”に疑問を抱くようになり、独立。2007年に制作プロダクション「SORA1(ソラワン)」(東京都渋谷区)を設立し、「映像を通し真実を伝える」ことを唯一の目的に据えた。

 11年3月11日、東日本大震災が発生。黒い津波が街を飲み込む様子に衝撃を受け、岩手、宮城両県の被災地で取材を始めた。田中さんは「未曽有の大災害を風化させたくないとの思いもあったが、中小企業が復興する記録があれば、後世に役立つのではないかと思った」と振り返る。

 避難所を訪ね歩き、水産加工会社5社の経営者と知り合い、発災1カ月後の4月13日から22年3月11日まで、11年間にわたり、その姿を追った。

 大手が優先され、中小はなかなか受理されない補助金、数億円規模に膨らんだ借入金の重圧、追い打ちをかける人手不足に資材高騰。新型コロナウイルス禍で売り上げは落ち込み、ウクライナ侵攻でロシア産魚類の輸入は閉ざされた。幾重にも重なる苦境に思わず涙を流す経営者。その全てにカメラを向け続けた。

 「その地の産業が再興し、雇用が安定し、経済が回り、人が定住する。それが本当の『復興』。それができたかできなかったかを伝えるには、10年間は撮り続けないと駄目だと思った」と田中さん。1社は18年に倒産し、2社も「いつつぶれても不思議はない状態」だ。撮りためた映像を編集し、14年から23年にかけ、「メディアが伝えなかった復興物語 水産加工業10年の軌跡」、「東日本大震災に学ぶ 中小企業の防災と復興」など4作品を発表した。

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