相川七瀬が赤裸々告白 大ヒットデビュー曲での葛藤 思い悩んだ30代 「明日を変えたいなら…」

シンガーソングライターの川嶋あいがパーソナリティーを務めるラジオ番組『明日への扉〜いのちのラジオ+〜』(ラジオ関西、毎月第1・2週日曜午後5時〜)。3月3日の放送では、歌手・相川七瀬さんがゲスト出演。デビュー当時から現在に至るまでの、悩みや葛藤などについて語った。

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1995年、『夢見る少女じゃいられない』で歌手デビュー。翌年発売したファーストアルバム『Red』がオリコンアルバムチャート初登場1位を獲得するなど、現在に至るまでに245万枚を超えるダブルミリオンヒットを記録した。以来、数々のヒット曲を世に送り出してきた。3児の子育てと歌手業を両立しながら、現在も活躍し続けている。

幼いころから自宅で歌っていたという相川。当時はアイドル全盛期だったこともあり、「歌手になりたいと思ったらアイドルのオーディションを受けるしかなかった」のだそう。そのため、中学3年間のみと決めてオーディションを受けていたという。

中学3年生、最後と決めて受けたオーディションで、のちに“シンガー・ソングライターの師匠”となる織田哲郎との出会いを果たした。バンド経験があるわけでも、楽器が弾けるわけでもなかったため、織田氏からは「詩だけは自分で書いたほうがいいから、詩を書く練習をしなさい」と言われた。

織田氏との出会いを、「完全なる弟子入り」と表現した相川。「プロデューサーとアーティストだったら、今みたいな関係になっていなかった」というコメントとともに、「織田さんの作る曲が大好き。この人(織田氏)の下でいられるのは幸せだな、と当時からずっと思っていましたね」と思いを明かした。

デビュー曲『夢見る少女じゃいられない』を初めて聴いたとき、「これは“売れる”曲だな」と感じたと同時に、「私がこの曲をもらっていいのだろうか」という葛藤も抱いていたという。

これまでの音楽活動において、つらかった出来事として相川が挙げたのは「詩が書けないこと」。矢継ぎ早に迫ってくる制作期日に、「子どもから大人へとチェンジしていく過程の、“歌”を仕事として昇華していかなければならないことが難しかった」と、当時の赤裸々な思いを吐露した。

その後、30代になって自身で制作をハンドリングしていくことになってからは「どういう音楽性を表現していけばいいのか」「大人になってからの自分のキャラクターはどこにあるんだろう」と思い悩んだ。どうやって歌っていたのかさえわからなかった時期もあったが、出産などを経てライフスタイルが変化したこともあり、「いまが1番楽しい」と笑顔を見せた。

現在、悩みを抱えている人に向けて、このようにメッセージを送った。

「それぞれに置かれている環境は違うので一概には言えないけれど、終わってしまったものは消せないから、いまをどうするか(が大切)。“いまから”が大事だから、失敗をいかしてまたもう1度前に進もう。終わってしまったこと・起きてしまったことは、変えられない。明日を変えたいんだったら、いまを変えなきゃ」(相川)

※ラジオ関西『明日への扉〜いのちのラジオ+〜』2024年3月3日放送回より

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