日本三大流鏑馬とは?

日本の110か所以上で行われているという流鏑馬(やぶさめ)。みなさんはご覧になったことがありますか?流鏑馬は馬場に設置された3つの的を馬上から射る日本古式の弓馬術です。今回は日本三大流鏑馬とされている流鏑馬をご紹介します。

鶴岡八幡宮/鶴岡八幡宮例大祭(神奈川)

鎌倉にある鶴岡八幡宮では毎年9月14日〜16日の3日間に例大祭が行われます。例大祭は鶴岡八幡宮で最も大切なお祭りのひとつです。1187年に源頼朝が放生会(ほうじょうえ・捕まえた鳥や魚、虫などを自然に放つ儀式。仏教の教えに則り殺生を戒めるために実施する)と流鏑馬を催行したと「吾妻鏡」に記録されており、これが例大祭の始まりだとされています。実に800年以上の歴史のある由緒あるお祭りです。

流鏑馬は例大祭の最終日に鎌倉時代の狩装束に身を包んだ小笠原流の門下により奉納されます。騎射を行う前に騎手が天地にそれぞれ2回ずつ矢を放ち「天下太平・五穀豊穣・国民安堵」を願う「天長地久の儀」を実施します。その後、射手は直線約250mの馬場に設置された3つの矢に向かい騎射します。

鎌倉市では、春の「鎌倉まつり」でも流鏑馬を奉納していますが、こちらは武田流の門下によって執り行われます。春と秋の流鏑馬を比べてみても面白いかもしれませんね。

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賀茂御祖神社/葵祭前儀式(京都)

葵祭は京都三大祭の中でも1400年以上もの歴史がある由緒正しいお祭りです。毎年5月に行われます。お祭りの見どころは「路頭の儀」。平安装束に身を包んだ500人以上もの行列です。京都御所を出発し、賀茂御祖神社(かもみおやじんじゃ、通称・下賀茂神社)から賀茂別雷神社(かもわけいかづちじんじゃ、通称・上賀茂神社)へと向かいます。行列には馬や牛も参加するんですよ。その起源はなんと飛鳥時代。凶作がつづいたことから、神々の怒りを鎮めるために欽明天皇の指示により例祭を行ったことが起源とされています。源氏物語にも葵祭に関する記述があり、そのころは京都でお祭りと言えば、葵祭のことを指していたそうです。

その葵祭の前儀の口火を切って、毎年5月3日に流鏑馬が奉納されます。下賀茂神社の「糺の森(ただすのもり)」に約350mの馬場を設け、約100mごとに設置された50cm四方の的を射ます。下賀茂神社の流鏑馬では、騎手が公家の装束を身に着けるのがユニークです。この「糺の森」では古墳時代の馬具も出土されているとか。「日本書紀」では、457年に「騁射(うまゆみ)」を行ったとあります(騁射は流鏑馬のこと)。「続日本紀」では698年に大勢の見物人が集まったために騎射が禁止されるという記述までみられます。当時も流鏑馬はとても人気があったようです。下賀茂神社では明治のころまで「騎射」と呼んでいました。明治時代に一度中断された流鏑馬でしたが、昭和48年に流鏑馬神事として復活し、現在にいたります。小笠原流の門下によって奉納されています。

また、葵祭の前儀には、上賀茂神社で行われる和式の競馬「賀茂競馬(かもくらべうま)」も実施されます。1馬身差でスタートした2頭の差がどれだけ縮まるか、広がるかによって勝敗が決まります。

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若一王子神社/若一王子祭り(長野)

長野県大町市にある若一王子(にゃくいちおうじ)神社は、地元を支配していた仁科氏が平安時代に創建し、熊野権現那智大社(くまのごんげんなちたいしゃ)の第五殿に祀られている若一王子をのちに勧請しました。本殿は安土桃山時代の建築様式を色濃く残しており、国の重要文化財に指定されています。また、観音堂や三重塔が境内に残るなど神社でありながらも寺院の特徴も存在しており「神仏習合」の影響が認められます。

700年以上の歴史があるこの神社の例祭で、流鏑馬は毎年7月の第4日曜日に奉納されます。この流鏑馬の射手は「いたい(射隊)ぼぼ」と呼ばれる7歳~9歳の子供たちです。各町の代表である10騎が華やかな衣装に身を包んで、駅から神社まで巡行しながら、騎射していきます。若一王子神社に到着すると、古式にのっとり3か所の的を1時間ほどかけて9回(射ずに3回、騎射3回、的に矢をつける3回)まわります。ここの流鏑馬は直線の馬場を駈歩する馬上から弓を射るわけではありません。街や神社に設置された的まで練り歩いて的の前で止まって、狙いを定めて射るという優美なスタイルです。流鏑馬が終わった子供たちは、地面に足がつかないように大人に抱えられて本殿でお祓いを受けたら、馬にまたがりご褒美の風船を背中につけて帰路につきます。

仁科氏は京都とかかわりが深く、葵祭の流鏑馬にも造詣があったそうです。1221年に後鳥羽上皇が北条義時追討の命を下した際、仁科盛遠が出陣時に流鏑馬を奉納したことが起源と言われています。その後は仁科氏により、五穀豊穣を祈って行われていました。しかし、1582年(天正10年)に仁科氏が滅亡したことを受け、徐々に形を変えながら存続していきます。かつては仁科神明宮と若一王子神社でそれぞれ旧暦6月16日と17日に奉納していましたが、さまざまな事情から明治維新後は若一王子神社のみに奉納される現在の形に収まりました。

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まとめ

今回は日本三大流鏑馬についてご紹介しました。どちらも地元の皆さんが伝統を大切に伝えてきた由緒正しい流鏑馬でした。それぞれにユニークな特徴があり、比較をしながら見てみるのも楽しそうですね。今後もその伝統を大切に伝えていっていただきたいです。

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