ラッキーを夢への切符へ変えたナルディが幼少期からの“アイドル”に大金星!「勝てるなんて想像もできなかった」<SMASH>

4カ月の日を遡った、2023年11月――。

充実感と少しの落胆を胸に抱えて、彼は日本を後にしていた。

11月上旬にATPチャレンジャー参戦のため愛媛県松山市を訪れた時の、ルカ・ナルディ(イタリア)の男子テニス世界ランキングは143位。その時の目標は「3大会に参戦し、100位以内に入ること」だった。実際に松山大会では決勝でダニエル太郎に勝利し、チャレンジャー5タイトル目を獲得。ランキングは128位まで上がった。

だが、続く兵庫県三木市開催のチャレンジャーでは準決勝で島袋将に敗れ、翌週の横浜市大会では、準々決勝でマイケル・モー(アメリカ)に敗退する。3大会を終えて達した115位は、目標に少しばかり届かない数字だった。

「あの時に、翌年の3月には100位となり、まさかここでノバク・ジョコビッチ(セルビア)に勝てるなんて想像もできなかった」

まだ表情に幾分の幼さを残すイタリアの20歳は、眉毛を上げて文字通り目を丸くする。彼の言う「ここ」とは、米国カリフォルニア州の、インディアンウェルズ。岩砂漠に咲いた花のようなこの町で開催中のBNPパリバ・オープン3回戦で、彼は幼少期からの「アイドル」を、6-4、3-6、6-3で破ったのだ。
思えば、ナルディが同大会の本戦に出られたこと事態が、僥倖だった。予選から参戦していたナルディは、予選決勝でダビド・ゴファン(ベルギー)に敗退。本来ならそこで、彼のBNPパリバ・オープンは終わるはずだった。

ただ、本戦出場予定のトマス・マルティン・エチェベリ(アルゼンチン)が直前で棄権したために、ラッキールーザーとして本戦に繰り上がる。しかもエチェベリはシード選手だったために、初戦免除の恩恵まで得ることができたのだ。

この“ラッキー”を、彼は自らの手で夢への切符へと変える。2回戦で、ジャン・ジジェン(中国)にフルセットで勝利。世界50位相手に、「キャリアで最も高いランキング選手からの勝ち星」をもぎ取った。

そして迎えた、ジョコビッチ戦――。

「今もベッドルームに彼の写真を貼っている」というほどにジョコビッチに憧れたかつてのテニス少年は、試合前は、不安を抑えることができなかった。

「1-6、1-6とかで負けたら嫌だな……」

コーチには、そんな言葉を漏らしたという。
ただいざ試合が始まった時、彼は“アイドル”と打ち合えている自分に気付く。その背景にあったのは、ジョコビッチに憧れてきた履歴だ。

「僕は今、20歳。間違いなく、彼(ジョコビッチ)のプレーを10年は見て育ってきた。そして彼は恐らく、僕のプレーを見たことがない。そこが僕の、唯一のアドバンテージだった」

実際にはジョコビッチは、後に「彼のプレーを見たことはある」と認めている。

「彼のことはあまり知らないが、プレーを見たことはあるし、ベースラインから……特にフォアハンドサイドから、高質のプレーをできることは知っていた。とても才能のある選手だ」

そのようなジョコビッチによる“自分評”を知らないことは、ナルディにとって幸運だったかもしれない。自分の利点を信じ、強い風をジョコビッチが煩わしく感じていることも察しながら、ナルディは集中力を研ぎ澄ませていく。
勝利へのサービスゲームでも、攻撃の手を緩めない。ジョコビッチも警戒したフォアハンドの豪快なスイングボレーでマッチポイントをつかむと、最後は、鋭いスライスサービスでエース。

周囲の音も気にならないほど試合に入り込んでいたナルディは、この時ようやく、コーチの「みんなが君を応援しているぞ!」の声を聞いた。

試合後の会見で、趣深い一幕があった。

次の対戦相手のトミー・ポール(アメリカ)について問われた時、彼は怪訝そうな表情で、「なんでトミー・ポールのことを聞くの?」と問い返したのだ。司会者や記者たちから「次の相手だから」と言われると、「そうなの? 知らなかった、ドローを見ていなかったから」と恥ずかしそうに笑みをこぼす。

彼が先を見ることなく、前の試合のみに集中していることの、何よりの証しだった。

現地取材・文●内田暁

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