「デビュー40周年」BARBEE BOYSエンリケ「浜崎あゆみからの卒業の真実と再結成前夜の『SMAP×SMAP』、忌野清志郎さんとヤバい煙草」

ENRIQUE 撮影/冨田望

1984年にデビューするやいなや、瞬く間に人気アーティストとなったBARBEE BOYS。そのベーシストであるエンリケの活躍は、バービーだけに留まらない。浜崎あゆみを始め、永井真理子、江口洋介などの幾多のスターのバックバンドも務めた。現在も、ベーシストとして精力的な活動を続けている名プレーヤー“エンリケ”の誕生と転機に迫る――。【第5回/全5回】

1992年、数多くのファンに惜しまれながらも、バービーボーイズを解散後は、永井真理子さんや江口洋介さんのバックバンドにベーシストとして参加したエンリケさん。順調にキャリアを重ね、その後、2000年代を代表する歌姫、浜崎あゆみさんのバックバンドにベーシストとして参加する。順調に思われるミュージシャン生活だったが、そこには知られざる苦悩があった。

「もともと、打ち込みの音楽である浜崎さんの曲を、コンサートでは生演奏に置き換えている。できるかぎり原曲と同じように聞こえるようにプレイしていていた。曲によってはギターが入っていない曲もあったけれど、義男ちゃん(※野村義男、ギタリスト)がギターをウィーンって入れていた。そこに、浜崎さんのチームが音源の完全再現性を求めてくるようになってきた。

そうなると、生のベースの音ではなくて、パソコンで出せるベースの音を使えばいいじゃないですかってなっていった。それって、人としてはいてほしいけれど、音としては欲しくないって言われているようなことだからね。これはもう俺が手伝っていける部分はなくなったって実感した。浜崎さんのチームを離れるときは、“卒業”って言葉を使わせてもらったけれど、もっと好きなことを極めたいって気持ちも高まっていたね」

「“いいよ”って軽く返事をした」バービーの再結成

浜崎さんのバンドを卒業すると、今度はバービーの再結成の話が舞い込んできた。

「バービーの再結成は、『LIVE EPIC25(エピックレコードジャパン創立25周年を記念したイベントで、歴代の所属アーティストが出演したライブが2003年2月に大阪城ホール、国立代々木競技場第一体育館で開催された)』に出てくれないかって声を掛けられたのがきっかけだった。

それまではメンバー同士、互いに連絡も取り合っていなかった。たまにライブを観に行ったりとか、個々の交流はあったけれど.......“再結成の誘いがあっても、みんな断るだろうな”って思って“いいよ”って軽く返事をしたら、ほかのみんなもOKだったんだよね」

久しぶりのバービーとしての演奏。手ごたえはどうだったのだろうか。

「ライブ自体も、お客さんの雰囲気もすごくウェルカム! な感じで温かかった。確か、バービーが参戦するのが発表になってから、チケットも売れたらしいんだよ。もしかしたら、俺たち目当てで見に来てくれた人も多かったのかなって思った。でも、イベントだったので、数曲しか演奏ができなかったから、“あれでおしまいってもったいないな”って感じていた。

そうしたら今度は『SMAP×SMAP名曲歌謡祭』(2008年放送)に、出演することになった。確か、稲垣吾郎さんがバービーのファンだったって言ってくれた。メンバーがスマスマで一緒に共演したい人を挙げた中で、バービーが選ばれた。そうした流れで、“イベントだけだったら、ちゃんとしていない。きちんと決着つけるために再結成しましょう”ってなった」

今年デビュー40周年のバービーボーイズ

イベントやテレビ番組に出演するための一時的な再結成から、本格的な再始動へ……。その後、バービーは2009年に、デビュー25周年を記念したZeppツアーを行い、翌年は、21年ぶりの日本武道館でのライブも成功させている。

「実は今年、デビュー40周年。でも“またバービーをやろう”って誰も言ってこないのだよね(笑)。ここにもメンバーのクールな性格が関係していると思う。でも、もうみんないい年齢だし、それぞれ事情があると思うけれど、またやろうっていうのなら40周年のタイミングかなって思っている。その狼煙を上げられるのは俺かなって思って。ちょうど還暦になるし(エンリケさんは今年2月で60歳を迎えた)それを記念にしたライブだったら、みんな出てくれるだろうなって思って声をかけた」

ENRIQUE 撮影/冨田望

今でも、バンドの中心メンバーであるいまみちともたか(イマサ/バービーボーイズのギター)には感謝しているという。

「イマサはライツ(権利)にもこだわる人だった。それはお金のためではなくて、自分たちの作品をスペシャルに保つためだったと思う。たとえば、ライブ中の写真をネットにあげることに関しても、もしもネットにあげるのならば、絶対にチェックがしたいっていうのに近い。日本ってライツにうといけれど、ライツにこだわるのは自分や作品を守るためでもある。

それをわかっていない人が多いんだよね。作品の著作権や肖像権って、事務所がコントロールしてくれると考えている人も多いけれど、他人任せにしていてたら、とんでもないことに使われてしまうこともある。イマサがそういうのはしっかりしていたので、リーダーで良かったって思う」

エンリケさんは、バービー以外にもTHE STREET BEATS(1984年結成のロックバンド、以下、ストリートビーツ)のベーシストとしての顔も持つ。ストリートビーツには1995年に加入後、2000年に脱退。そしてまた2023年に電撃復帰した。

「ストリートビーツからは20年以上離れていた。再加入したのは、また長いオーディションに受かっちゃったって感じかな。彼らはパンクロックを好きな層から熱い支持をされている。ザ・クラッシュ(70年代に登場したイギリス出身のロックバンド)も、最初はニューウェーブなのか、パンクって呼ぶのかって言われていたじゃない。

そうやって、いろいろな要素が入っているのがイギリスのバンド。だからストリートビーツに関しても、ゴリゴリのセックス・ピストルズみたいなバンドだったら入っていなかった(笑)。バンドのビートが効いているっていう意味では、バービーもそうだと思う」

還暦を祝うライブを、東京と大阪の2か所で行ったエンリケさん。大阪公演の開催にあたっては、クラウドファンディングを利用した。

「出演アーティストを東京から連れていくための費用を計算したら、とんでもない金額になって。レコード会社やイベンターと関係なく自力でイベントをやろうとすると、かなり大変。そうしたら周りから“クラファンをやりましょう”って勧められた。

ありがたいことに費用も集まった。でも、まだソールドアウトにはなっていないから、もっと宣伝活動をしていかないと、そこで終わっちゃうっていう危機感はあります」

還暦を迎えるエンリケさんが「一番好きなアーティスト」

還暦を迎えるにあたって、エンリケさんの中で思い出すアーティストがいた。忌野清志郎さんだ。

「清志郎さんは、一番好きなアーティストだった。RCサクセションと同じイベントに出演させてもらったのがきっかけで、仲良くしてもらっていた。旅先ではホテルも一緒だったから、“清志郎さん、何を吸っているんですか”って、ロビーで煙草を吸っている清志郎さんに話しかけたりした。

清志郎さんも“これは秘密。ヤバいキャメルです”って、冗談を言ってきたりね(笑)。かわいがってもらったし、こっちも親しくなりたくて懐いていました。清志郎さんが生きていたら、俺のイベントにも出て欲しかった」

ENRIQUE 撮影/冨田望

エンリケさんはバービーはもちろん、浜崎あゆみさんのバックバンドや、ストリートビーツへの参加など、精力的に活動をしているが、彼自身のやりたい音楽は、どういったものなのだろうか。

「『RiQUEEN』というバンドをやっているのですが、そのバンドが一番やりたいことの中心かな。ちょっとプログレふうのイギリスっぽい音楽で、メンバー全員がそれぞれボーカルをやる。実はコロナの最中は、ライブもできなかったから、ずっとレコーディングをしていた。

“もう少しで完成するぞ! ”ってところまでできているのだけれど、資金が足りなくて止まってしまっている。今度の還暦ライブの次の目標は、RiQUEENの音源を完成させるのことですね」

最初にベースを持ったときの”純粋な喜びのようなもの”を、エンリケさんはずっと、抱いているのではないか。ポートレートの撮影中にベースをかかえている姿を見て、THE CHANGE編集部はそう思った。

ENRIQUE(エンリケ)
1964年生まれ・コロンビア出身。1984年バービーボーイズのベーシストとしてデビュー。1992年にバービーボーイズ解散後は、江口洋介や永井真理子のバックバンドに参加。現在は再結成したバービーボーイズとして活動をしながら、自身のバンドであるBICYCLEや、2023年に再加入したTHE STREET BEATSの活動も続けている。

撮影協力:アーティファクト・ミュージックスクール御茶ノ水本校

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