【独自取材】「多分桜が咲くのは見られないだろう」「原発不明がん」であることを公表した森永卓郎氏、病状が悪化しながらも”家族で“書き上げた新著は「私の遺書でもある」 闘病生活と、家族への思いを告白

【写真で見る】〈本人生出演〉がんを公表した森永卓郎さん 新薬で劇的効果 元気になったら 竹中平蔵さんと“金網デスマッチ”も?

2023年12月にすい臓がんの「ステージ4」であることを公表した経済アナリストの森永卓郎氏(その後、「原発不明がん」と診断)。3月6日、単独取材に応じてくれた森永氏は、「多分桜が咲くのは見られないだろう」と医師から告げられていたといいます。さらに、がんと闘いながら完成させた1冊の本には、「本書は、私の40年に渡る研究者人生の集大成であると同時に私の遺書でもあるのだ」と記されています。病状が悪化しながらも、執筆をつづけた強い思い。そして、父と子が明かしたがんと向き合う家族の今とは?

「あの時は死ぬと思いました」 抗がん剤は合わず、食事はイチゴのみ…医師からは「多分桜が咲くのは見られないだろう」

森永氏は、経済アナリストとして鋭いコメントでニュースをぶった切り、時にはおちゃめな一面を見せるなど、様々な形でお茶の間を楽しませてきました。そんな中、2023年12月、「すい臓がん」を公表しました。同年11月に人間ドックを受けた際に影が見つかり、その後繰り返し検査を受け「原発不明がん」と診断されたといいます。森永氏は手術や入院はせず、通院での「抗がん剤治療」を選択しました。今年1月、「ミヤネ屋」に電話出演した際、その様子を明かしてくれました。

Q.体調いかがですか?

(経済アナリスト 森永卓郎氏)

「2023年の12月27日に抗がん剤を打ったんですよ。これが合わなくて。意識はもうろうとしているし、立っていられないし、むかつくし、気持ち悪くてどうにもならなかったです」

Q.抗がん剤って相性もあるみたいですね?

(森永氏)

「そうなんです。抗がん剤で劇的に治る人もいるんですけれども、たまたま私はその抗がん剤と合わなかった。性格の不一致みたいな感じ」

森永氏は、最初に使った抗がん剤が合わず、一時入院を余儀なくされた状況だったと明かしました。

長男で経済アナリストの森永康平氏のYouTubeに出演した際も、

(森永氏)

「こんにちは。森永卓郎です。ただいま、がんと闘うための準備段階で入院中です」

(経済アナリスト 森永康平氏)

「『来週ぐらいに死ぬ』って言っていたのが全然冗談に聞こえなかったから、さっさと病院行けって、ぶち込んだけどさ。しかも、素直に言う事を聞いたから本当に体調が悪いんだと思って」

(森永氏)

「いやー、あの時は死ぬと思いました」

と死を覚悟したと心境を吐露。康平氏は、当時の状況をこう振り返ります。

(康平氏)

「母親に呼ばれて私と弟も家に帰りまして、父親を見たらぐったりしていて、かろうじて会話はできるんですけど、本当に体調が悪かったんだと思うんですよね。3日ぐらいイチゴ2~3粒ぐらいしか食べてないと母親から聞いていたので、このままだとがんがどうこうより餓死しちゃう可能性もあるので…」

予断を許さない状況に、家族が「入院すべき」と説得しようとしたところ…。

(康平氏)

「父親はすごく頑固なので、『入院しろ』と言ってもしないだろうなと思ったら、父親が自分から支度を始めたので、多分それくらい体調が悪いんだろうなと思いました」

これまで想像だにしなかった父親の姿。さらに、医師からは「ステージ4」と診断された際、あることを告げられていたのです。

(康平氏)

「3月まで生きていられるかわからないと言われていたので…」

その3月を迎えた今、森永さんの体調はどうなのか?3月6日、本人がインタビュー取材で治療の経過を明かしてくれました。

(森永氏)

「体調は小康状態で普通に暮らしています。実は5日、造影CTで体のなかの映像を撮ったんですけども、少なくともがんは拡大していない。お医者さんから言われているのは、『今の治療を続けましょう。あと1~2か月は少なくとも続けましょう』と。あと1か月くらい経つと、がんがどんどん小さくなっていくか、“がん軍団”の方が勢いがあってどんどん膨れていくか結論が出るので、(今の治療が)とりあえずうまくいっているという状況ですね」

現在、新しい薬で好転し、病状は小康状態と語る森永氏だが、その一方で…

(森永氏)

「筋力が衰えちゃって移動するのが難しいんです。(自宅の)2階に上がってくるだけですごく大変なんですね。だから、なるべく家にこもらないようにして、買い物とかも、かみさんについてくみたいなことをして、少しずつリハビリを始めています」

「このまんま死ぬわけにはいかない」がんと闘いながら家族と書き上げた新たな著書 そして、40年経って気づいた、妻への思い

今は、病院に通院しつつ、ラジオや執筆活動などの仕事も続けている、森永氏ですが、がんと闘う中、1つの目標を達成していました。それは、新たな著書の出版です。今回発売となる「書いてはいけない」は、経済分野だけでなく、社会問題も切り込んだ内容になっています。

(森永氏)

「このまんま死ぬわけにはいかないと思ったのが、9割方完成していた新しい著作を世に問わないと死んでも死にきれないぞ」

執筆が9割ほど進み、あと一歩というところでがんと診断された森永氏。病状が悪化する中で、本の完成を目標に続けた執筆活動を支えたのは、家族の存在でした。

(森永氏)

「キーボードが打てないという状況になって、喋りました。二男がIT技術者なんですね。二男に録音を渡したら全部テキスト化してくれて、それをちょっと直して完成させたという感じです」

ボイスレコーダーに森永さんが文書を録音し、二男へ。また、長男の康平氏も校閲で関わるなど“親子で書き上げた一冊”だったのです。

そして、康平氏が語ったのはがん診断後に感じた“家族の変化”です。

(康平氏)

「すごく変な話なんですけど、本当に死んじゃうかもしれないという切羽詰まった状況にあるんですが、なかなか家族全員そろって同じ方向を向くって、実は今までの人生なかったような気が僕はしていて。本人がやりたいということは、家族で協力できるようなことがあればそれは全力でバックアップしようと、それは本であったりとか、メディアでの共演だったりとか、そういうところに形として表れているのかなと思います」

一方、森永氏もがんと向き合うことになったことで実感したことがあるといいます。

(森永氏)

「今回病気をしたことで、かみさんと初めてずっと一緒にいられる時間というのが生まれて、それはすごくハッピーだったなって正直思います。今まで接点もない状況だったんです。全国飛び回っていたんでほとんど家に帰ってなかったんですね。かみさんに言うと怒られるかもしれないんですけど、なんか“新婚気分”なんです。初めてちゃんとした普通の夫婦になったという感じですかね。『この人と結婚してよかったな』って40年後に気づくっていう(笑)」

妻や息子たちに支えられての闘病生活。今、森永氏が思うことは…。

(森永氏)

「元気にするぞ。本当に最初にがん宣告受けた時は、『多分桜が咲くのは見られないだろうね』って先生は言っていたんですけど、もうあと2週間です。2週間で桜が咲く。いけるところまで頑張ります」

(「情報ライブミヤネ屋」2024年3月7日放送)

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