15人抜きで真打へ…三遊亭わん丈が「ロックバンドのボーカル」から「落語家」になった理由

三遊亭わん丈 撮影/貴田茂和

2011年に三遊亭円丈に入門、円丈の死後は三遊亭天どん門下となり、2023年3月16日、15人抜きで真打に昇進した落語家・三遊亭わん丈。27歳という年齢でバンドマンから落語家へと転身した彼の「THE CHANGE」とは?【第1回/全2回】

真打昇進を告げられたときのことは、時間まで覚えてますよ。2023年3月16日の木曜日、昼2時過ぎに、今の師匠の三遊亭天どんから電話で連絡を受けました。後になってから、15人抜きの抜擢と聞かされましたが、そのときは数とかは分からなかったです。

まさか私が抜擢で真打に昇進できるとは、想像もしていませんでした。二つ目の噺家というのは、もう前座じゃないけど真打じゃないっていう、大学生みたいな立場です。この期間をもう少し楽しみたかったな、とも思いました。

ましてやウチは寄席に多く出られる一門でもないですし、私のことなんか誰も見ていないだろうって、思っていましたから。

私の人生の転機は、落語に出あって、三遊亭円丈に入門したことです。28歳のときでした。

それまでは、北九州の大学を卒業してから、ロックバンドのボーカルをやったり、音楽関係の仕事をしていました。パチンコで食いつないだりしながらも、音楽の仕事でメシが食えるようになってきたのですが、同時に「これで頭打ちかも」という気分になってきたんですよね。

そこで、歌って話せるタレントになりたいと思って、東京の老舗の芸能事務所にデモテープと資料を送ると、話を聞いてもらえることになりました。

そこで、「あなたは自分に向いている世界を見つけて入れば、その中でなんとかなると思います。ただ今のところ、入り口となる芸がない」と、ご指摘いただいたんです。

「どの落語家もみんな面白かった」

いったい“芸”とは何だろうって考えて、そのまま東京で友達の家に泊まらせてもらいながら、さまざまな芸を見に行きました。

そのときに見たひとつが、落語だったんです。場所は池袋演芸場でした。なんの予備知識もなかったのですが、そこでは、老若男女のお客さんがひとりの落語家の噺に注目して笑っていて。どの落語家もみんな面白いんですよ。当時の私が知っている落語家はいませんでしたが、太っている人が多かったので、「この人たち、食べていくことができているんだな」って思いました(笑)。

注目も集められるし、食べてもいけるし、これなら自分もやってみたいと思って、九州での音楽の仕事を整理して上京、そこから半年間は師匠探しをしました。誰に教わるかで人生が変わりますからね。いろいろな人の高座を見て、入門を決めたのが、三遊亭円丈だったんです。

こちらも日付まで覚えています。

2011年1月23日の日曜日に、お江戸日本橋亭で師匠の出待ちをして、弟子入りを志願しました。

円丈は、古い方には「ハエハエカカカ、キンチョール」のCMで、また落語好きの方には新作落語で知られていると思いますが、それが弟子入りの決め手となったわけではありません。とにかく一番面白い落語家だと思ったことが大きかったです。

師匠からは、すぐに名刺をもらって、翌日に電話をしたら、家に呼んでもらうことになって、トントン拍子で話が進んでいきました。後で聞いたら、あまりにも話がスムーズに進んだのは、私が弟子入り志願をする6時間前に1人の兄弟子が破門になっていまして、ちょうど掃除してくれる弟子が欲しかったみたいです(笑)。

三遊亭わん丈(さんゆうてい わんじょう)
1982年12月1日、滋賀県生まれ。2011年に、三遊亭円丈に入門。翌年に「わん丈」の名で前座に。16年に二つ目昇進し、以降、さまざまな賞を受賞。21年、円丈の逝去にともない、天どん門下に。24年の3月下席より、真打披露興行。

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