【人気レストラン】「さわやか」創業者が死去…一代で静岡を代表するチェーンに育て上げた秘密とは?

12日、人気レストラン「さわやか」の創業者、富田重之会長が亡くなりました。一代で静岡を代表するレストランチェーンに育て上げた、その秘密とは?

炭焼きレストラン「さわやか」は静岡に34店舗を展開する、言わずと知れたハンバーグの人気店。看板メニューは「炭焼きハンバーグ」。アツアツの鉄板の上にのった牛肉100%のハンバーグを、食べる直前にソースをかけて仕上げます。県内のみならず県外からも多くの客が訪れ、ランチタイムには、平日でも長時間、待つことが必至です。

その人気ハングバーグチェーンを一代で築き上げたのが富田重之会長。10年前、Daiichi-TVの取材に創業時の思いを語っていました。

1号店がオープンしたのは1977年「さわやか」の前身となる「コーヒーショップさわやか菊川本店」は、当時としては珍しい200種類以上のメニューがそろうファミリーレストランでした。

富田会長は当時40歳。若い頃、病気に苦しんだ経験から、家族での外食に憧れて「さわやか」をオープンさせました。オープン当初から自らホールに立ち、お客さんと積極的に会話をしました。その甲斐もあり、店は次第に地域の人が集まる憩いの場に。

(さわやか 富田 重之 会長)

「自分たちの想定していた店と全然違う、明るい店となりました。皆さんが支えてくれた、それがずっと続いた、創業から、そういう店づくり」

10年前、すでに多くの店舗を展開するチェーン店に成長していましたが、富田会長は創業時の精神を忘れず積極的に客の前に立っていました。看板メニューの炭焼きハンバーグもオープン当初からのメニュー。かつて富田会長が憧れたステーキを誰でも手軽に食べてもらいという願いから生まれました。

(さわやか 富田 重之 会長)

「初めはステーキの一番おいしい状態の半生で出していました。みんなびっくりしましたよ」

1号店が軌道にのると、2号店、3号店と店舗を増やしていきました。すると店にも変化が…

(さわやか 富田 重之 会長)

「少しお客さんがついたことで時代の変化と違うことをやった。自分の勝手なことをやっちゃった」

メニューや店のイメージに、当初の思いから少しずつズレが生じてしまったのです。そんなとき、一人の少女から手紙が届きました。そこには…「小学生のころ、自分にとっておとぎのようなお店だったが今は違う、もう一度昔のようなお店に戻ってほしい」と、書かれていました。

(さわやか 富田 重之 会長)

「僕らの得意な商品、お客さんが認めてくれていた商品、それがハンバーグだったんですよ。それを忘れちゃったの」

この手紙をきっかけに原点に立ち戻ったことで再び成長につながったのです。

(さわやか 富田 重之 会長)

「やっぱり創業の精神をかたちにしている。物は見ては作れますけれど、考え方までは入れられない」

静岡を代表するレストランチェーンに成長させた富田会長ですが、12日に老衰のため、87歳で亡くなりました。

「さわやか」は、「創業者は、自然の恵みをいかしたつくりたての愛情料理を囲んでだんらんの生まれるレストランをつくりたいと起業いたしました。私たちはこれからも末永く、創業の精神を未来に繋いで参りたいと思います」とコメントを発表しています。

富田会長は多くの従業員の名前を覚えるなど、さわやかで働く人をとても大切にしていて、みんなから慕われていたということで「さわやか」では富田会長をしのび、14日は全店で臨時休業するということです。

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