着替える場所なく、生理用品は目立つ所に…女性視点に欠ける避難所、東日本大震災の教訓はどこへ

雑魚寝も目立った東日本大震災の避難所。子連れの女性も身を寄せた=2011年4月、福島県いわき市

 2011年の東日本大震災では、多くの住民が長期の避難生活を余儀なくされた。深刻な課題として浮かび上がったのは避難所内で声が届かず、苦悩を深める女性の姿だった。「災害時だから」。この一言で我慢を続ける環境は、13年たった今も大きく変わらない。性差の視点で避難所の在り方を考える。(連載「届かぬ声 女性と避難所」㊤より)

 授乳や着替えの場所がない。生理用品や下着が目立つ場所に置いてある-。能登半島地震で被災した石川県七尾市。被災地NGO協働センター(神戸市)の増島智子さん(53)は、地震発生5日後の1月6日から支援に入った。目の当たりにしたのは、女性への配慮が足りない避難所の光景だった。

 女性用トイレの鍵が壊れていたり、ボランティアから女性用衣類の支給が必要か尋ねられても男性リーダーが勝手に断っていたり。女性のみで1日3食分の炊き出しを用意する避難所もあった。「家を片付けたいが、食事も作らないといけない」。女性の一人は疲れた表情でつぶやいたという。

 避難所の運営リーダーはほぼ男性が務めていた。増島さんは言う。「女性が運営に携わらず、訴えが届かない弊害が随所に表れていた。13年前の東日本大震災から全く変わっていない」

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 女性視点が欠けた避難所運営の問題は、2011年の東日本大震災で浮き彫りとなった。

 「東日本大震災女性支援ネットワーク」の調査報告書(13年)によると、避難所などで暴力や性的被害を受けた事例が82件確認された。避難所のリーダー的立場にある男性が、女性への支援の見返りに性交を要求した事例もあった。

 「NPO法人イコールネット仙台」(宮城県)も女性被災者に聞き取りを実施した。常務理事の宗方恵美子さん(74)は「布団の中で着替えを強いられ、下着がほしい場合は男性にサイズを伝えなければならない。女性が安心できる環境ではなかった」と強調する。

 国も避難所の実態を問題視。内閣府が20年に策定した「防災・復興ガイドライン」では、男女双方の視点に立った配慮や、作業の負担が特定の性別に偏らないことなどを呼びかける。だが被災地の実態はガイドラインとは程遠い。

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 鹿児島市周辺に甚大な被害をもたらした1993年の「8.6水害」。同市吉野町花倉地区の園田美代子さん(89)は、避難所となった長田中学校(同市小川町)などで1カ月以上過ごした。「更衣室や授乳室は設けられず、生理用品の配布もなかった。子育て中などの若い女性がいれば、相当苦労していただろう」と振り返る。

 鹿児島では8.6水害以降、長期の避難所生活を経験した地域は少なく、台風などに伴う短期避難が大半だ。それでも避難所で実際に性被害が確認されたケースもある。

 2人の娘がいる鹿児島市の40代女性は避難所の防犯や衛生面に不安を抱える。「被災地の状況を見ると十分な仕切りはなく、プライバシーも守られていない。娘を性被害などに遭わせたくないので避難所には行かない」と災害時は自宅避難を想定している。

 女性への負担が大きい避難所の環境は、住民の避難行動にも影響を与えていた。

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