【連載ビール小説】タイムスリップビール~黒船来航、ビールで対抗~㊳ 樽廻船の女船長、商人の町へ 其ノ弐

ビールという飲み物を通じ、歴史が、そして人の心が動く。これはお酒に魅せられ、お酒の力を信じた人たちのお話。
※作中で出来上がるビールは、実際に醸造、販売する予定です

新川屋の船は、約1700万石を積載する大きなものだ。帆をはためかせ、波を切り裂きながら大海原を進んでいく。

樽廻船は樽物、酒に酒樽を運ぶための船。重い酒を積み込むことができるよう、船体が深い。それ故他の小舟よりもかなり安定感はあるとのことだったが、それでもぎいぎいと揺れることには変わりなく、なおは必死で船べりにしがみついていた。

「俺まじで泳げないからな!もし海に落ちることがあったら絶対に停めて助けにきてくれよ!」

そんななおを見て、ねねと喜兵寿は盛大に笑った。そして「おらおら」と茶化すようにその場で跳ね、船を揺らす。

「だから!やめろっていってるだろ!ってかなんでこんな早く進むんだよ。危なくないのか?!」

「本当になおは怖がりだねえ」

ねねは船から身を乗り出し、跳ね上がる波しぶきを掴んだ。

「この船は酒を運ぶ船なんだ。もたもたしてたら酒が腐っちまうだろ?うちらのせいで酒が腐っちまったとしても、結局は造り手の責任になっちまう。魂込めて酒造ってるやつらを路頭に迷わせるわけにはいかないからね。一刻を惜しんで酒を運ぶってわけさ」

真っ黒な髪をはためかせながら、にやりと笑う。その目は力強い光を携えており、一目見ただけでねねがこの仕事に対しどれだけの情熱を傾けているかわかるようだった。

「最近ではこちらから大阪へと運ぶ酒もあるのだな」

船底の積み荷を見ながら喜兵寿が言う。

「少し前までは灘で造られた『下り酒』をこちらに運ぶのが主だったけどね。最近は上方で造った酒も大阪で取引されてるよ。でも今時期の荷は、ほとんどが酒じゃなくて奥羽からの米だね。お偉いさんの考えてることはうちらにゃわからないが、要望があれば何でも運ぶさ」

その時ぴゅうっと一陣の風が吹いた。それに乗るようにして鳥たちが空へと舞い上がっていく。それを見たねねは鋭く指笛を吹いた。

「甚五平!」

「なんですかい、ねねの姉貴イ」

甚五平が大きな声で答える。諸肌を脱ぎ、ふうふうと荒い息をしながら櫂をこいでいる。

「いい風が吹くよ!さあ、速度をあげな!」

「あいよ!」

甚五平は立ち上がると、野太い声で叫んだ。

「おいお前ら聞こえたかイ?気張って漕げよイ!」

それに対して漕ぎ手の男たちが「うおおおおおお」と呼応する。

「そこらの菱垣廻船に負けんじゃないよ!」

風を読みながら漕ぎ手を鼓舞するねねの姿を見て、なおは口笛を吹いた。

「さすがは女船長。お前ほんとかっこいいな」

なおが惚れ惚れと言う。

「誰それ構わず男をたぶらかす悪女、って聞いてたけど全然そんな感じじゃないな。あれは嘘か?」

「おいなお!お前はまた!思ったことばかり口にするんじゃない!」

喜兵寿にひっぱたかれるなおを見ながら、ねねは一瞬きょとんとした顔をしたが、次の瞬間には盛大に笑い出していた。

「あははははは!そんな風に噂されてんのかい!」

おかしくてたまらないといった様子で、腹を抱えて笑い転げる。

「いや……それはその、一部のやつらがそう言ってるだけで……」

しどろもどろにフォローしようとする喜兵寿に向かって、ねねは「いいからいいから」と手をふってみせた。

「海にばかりにいて、下の町にいる時間は少ないからね。自分がどう思われているか、知れてよかったよ。それにその噂自体、間違っているわけじゃないよ」

ねねは笑いすぎてこぼれた涙をぬぐいながら言う。

「いろんな男と関係を持ってるのは本当。別に隠してるわけじゃないから気にしなくていい」

―続く

※このお話は毎週水曜日21時に更新します!
協力:ORYZAE BREWING

© 一般社団法人日本ビアジャーナリスト協会