デビュー52周年『みんなのうた』でおなじみ「人前で歌うことが苦手」谷山浩子を変えた「電気と屋根があればいい」101人コンサート

谷山浩子 写真/能美潤一郎

シンガーソングライター・谷山浩子の歌声に魅了されない者はいない。『まっくら森の歌』や『恋するニワトリ』といった、『みんなのうた』(NHK/Eテレ)でおなじみの楽曲から、斉藤由貴へ提供した楽曲『土曜日のタマネギ』など、アイドルから声優まで幅広いプロデュースを手掛けている。今年でデビュー52年目を迎えるシンガーソングライター、谷山浩子の人生の転機とは?【第1回/全6回】

資料を手にしながら、52年にも及ぶ音楽活動について語ってくれた谷山さん。ひとつひとつの仕事に、大事に向き合ってきた姿勢がうかがえた。

人前で歌うことが苦手で、作詞作曲家になることが夢だった谷山さんは、高校を卒業してから、みなみらんぼうさんのバックバンドにピアノで参加するなど、音楽活動を続けていた。そこからシンガーソングライターとしての再デビューを決めたきっかけは、なんだったのだろうか。

「自分なりに作詞作曲家になろうと模索していたのですが、うまくいかなくて、当時はシンガーソングライターとして活動する人が大部分で、自分で作って歌うスタイルが主流となっていました。

そのときに、人前で歌いたくない気持ちよりも、楽曲を発表したい気持ちのほうが上回った。『お早うございますの帽子屋さん』のときにデビューと言ってしまったので、次は3度目のデビューでしたね」

コンサート1週間前から胃が痛くなっていました

1977年にシングル『河のほとりに』をキャニオン・レコードからリリースし、再々スタートを切った谷山さん。自分自身で曲を歌うことについては、つねに葛藤があったという。

「若い頃から、いろいろと屈折した性格だったんですよ。コンサートって、私の歌を聞きにお客様が集まってきてくださっているのに、ステージの上に立つと“みんなが私に敵意を持っている”ように感じてしまっていたんです。

それは、自分のことが好きになれなかったせいだと今は思うんです。だからコンサートが決まると、1週間前から胃が痛くなっていました。心の中では“なんとかして中止にならないかな”って本気で考えていたくらい辛かったです」

人前に立つのが苦だったという谷山さん。そこから現在のようにコンサートを楽しめるようになるまでは、10年かかった。

「87年から始まった『101人コンサート』が大きかったです。第1回は東村山市中央公民館でした。それまではコンサートって、だいたいホールでやっていたんですね。

でも、この『101人コンサート』は、一般の方に主催していただいて、“電気と屋根がある場所ならどこでも良い”っていうコンセプトで、全国各地で開催していました」

谷山浩子 写真/能美潤一郎

お客さんのアンケートを全部、読むようになった

『オールナイトニッポン』のパーソナリティを務めている谷山さん。その人気を証明するかのように、全国各地から300か所以上の応募があった。

「大きなバンに乗って、PA(拡声装置)の人と、シンセサイザーのプレイヤー、マネージャーで全国津々浦々、駆け巡りました。このコンサートを始めたときに、お客さんに手書きのアンケート用紙を配ったんです。それまではアンケートって、あまり読まなかったんですが、初めてお客さんのアンケートを全部、読むようになった。そうしたら、お客さんの気持ちがわかるようになったんです」

全国でコンサートをすることで、それまでは気づけなかった地域の特性にも気づいたという。

「たとえば、今はあまり違いがなくなりましたが、昔は東北地方の人たちって、とてもおとなしかったんですよ。近畿地方は対照的に明るかった。東北でコンサートをしたとき、アンケートに“反応が薄いように見えるかもしれないですが、みんなすごく楽しんでいるんです”って書いてあった。私がお客さんを楽しませる立場なのに、逆に気をつかってもらって申し訳ないなって感じました。

あと、何かのコンサートを見に来ること自体が初めてという人がけっこういることに気づきました。“すごく緊張したけれど、楽しかった”って書いてあったのが印象的でしたね」

お客さんは自分と同じ人間なんだって実感できて…

1987年から全国各地を回る『101人コンサート』を始めた谷山さん。このコンサートがきっかけで、人前に立つことが怖くなくなったという。

「コンサート会場はどこも小さな場所だったので、お客さんの顔がよく見えました。当たり前なのですが、そこでお客さんは自分と同じ人間なんだって実感できた。

そのとき、自分の中で意識の転換みたいなのが起きた。それまでは“人から見られる自分”のことしか考えていなかったけれど、“私がみんなに対して何かをしてあげる立場なんだ”って自覚したら、緊張しなくなったんです」

――どのような心境の変化がありましたか。

「“お客さんが緊張しているから、まずはそれをほぐしてあげないと”って考えるようになったら、不思議と緊張しなくなりました。あがり症の人がいたら、嘘でもいいからこの方法をぜひ試していただきたいです。今でもパーティとか人前に出るのは得意ではないので、断りまくっているのですが(苦笑)。お客さんの前で歌うのが楽しいと思えるようになりました」

『101人コンサート』のことを語る谷山さんの姿は、とても幸せそうだった。その姿は、かつてステージに上がることを苦痛と感じていたとは思えないほど、颯爽としていた。

谷山浩子(たにやま・ひろこ)
1956年8月29日生。神奈川県出身。シンガーソングライター。中学在学中からオリジナル曲を作り始め、1970年にベイビー・ブラザーズのシングルで作詞作曲家としてデビュー。1972年4月25日、アルバム『静かでいいな 〜谷山浩子15の世界〜』とシングル『銀河系はやっぱりまわってる』で一度目のデビュー。1974年『第7回ポピュラーソングコンテスト』で『お早うございますの帽子屋さん』が入賞。同曲で翌年、再デビュー。1977年シングル『河のほとりに』をリリースし、3度目のデビュー。以後、「オールナイトニッポン」をはじめとするラジオ番組のパーソナリティ、童話、エッセイ、小説の執筆、全国各地でのコンサートなど、精力的に活動中。

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