あの大作家が愛したホットケーキ
『鬼平犯科帳』、『仕掛人・藤枝梅安』の著者で知られる池波正太郎。
食べることが好きった池波は、寿司、中華料理、蕎麦、洋食など、人生で出会った思い出深い料理を紹介するエッセイを遺している。
そのひとつが、『むかしの味』(新潮文庫)だ。
同書によれば、池波は子どもの頃からホットケーキが大好きでよく食べていたようだ。
なかでも生涯忘れられなかったホットケーキがある。
「〔万惣〕のホットケーキは、それまでに口にした、どこのホットケーキともちがっていた」
8歳のとき、父に連れて行ってもらった「万惣」(神田須田町)ではじめて食べたホットケーキを、池波は生涯愛した。
「焼き方にもよるだろうが、万惣のホットケーキは、最高の小麦粉、卵をえらびぬいてつくられる。そこが、ちがう」
「さほどに個性をもった店」だった万惣が、2012年に暖簾をおろした。
池波が愛した万惣のホットケーキは、もう食べることができない。
……と思っていたら、万惣のホットケーキの味を継承する店があった。
封印していたホットケーキを焼くことにした
我家我屋と書いて「ガヤガヤ」と読む。
居酒屋のような店名だが、イタリアンだ。
イタリアンでなぜホットケーキなのか、正直いって理解できなかった。
イタリアンであれば、ドルチェと呼ばれるスイーツを出すはずである。
「そう思いますよね」と微笑むのは、オーナーシェフの鈴木孝一さんだ。
「創業当初はモンブランなどのスイーツを提供していました」
ところが、万惣がとじたのをきっかけに、ホットケーキを出すことにしたというのだ。
いったいどういうことか。
ホットケーキの提供をはじめた理由とは?
鈴木さんは24歳のとき(1976年)、万惣に入社。
30歳で退社するまで6年間ホットケーキを焼き続けた。
「加茂さんにホットケーキの焼き方を教えてもらいました」
加茂さんというのは、池波が『むかしの味』につづっている加茂老人のことだ。
「万惣で五十近くもホットケーキを焼きつづけてきた」のが加茂老人、その人。
「自分で、うまく焼けたと思うのは、一日にいくらもありません」
という加茂老人の言葉を池波は同書で紹介している。
鈴木さんはホットケーキのレジェンドだった加茂さんに、ホットケーキの焼き方を伝授された。
そして1996年 11月、43歳で独立。千葉に『我家我屋本店』をオープン。
創業当初、ホットケーキを封印していた。
世話になった万惣のホットケーキを出すわけにはいかないと思っていたからだ。
ところが、万惣が2012年に閉店。
「修業時代毎日ホットケーキを仕込み、焼いていました。自分で焼いたホットケーキにバターをはさみ、昼飯がわりに食べたあの味が忘れられません。自分がやらないと万惣のホットケーキが消えてしまいます」
という思いがつのり、万惣閉店後しばらくしてからホットケーキをはじめることにした。
万惣のホットケーキ再現のために研究を重ねた
「加茂さんに教えてもらったレシピを忠実に守っています」
けれど、小麦粉、卵、砂糖、ベーキングパウダーなどの材料が、万惣とは異なる。
「限りなく万惣と同じホットケーキを焼けるように研究しました」
小麦粉、卵などで作った生地をひと晩寝かせる。
熟成させることで生地が落ち着くのだそうだ。
焼き立てのホットケーキによつ葉バターをのせ、自家製の黒蜜をかける。
この黒蜜も、万惣仕込み。
焼き立てのホットケーキ(748円/すべて税込)をいただいた。
ホットケーキを切った瞬間、甘い香りが立ち上った。
これほどふくよかで、芳烈な香りのホットケーキを食べるのははじめて。
「バニラエッセンスではなく、バニラオイルを使っています」
耐熱性があり、持久性も高いことからバニラオイルを選んだ。
甘い香りに加え、フワフワすぎず、硬すぎないところもよかった。
そしてもうひとつ。
ホットケーキの表面のザラザラ感が印象的だった。
このザラザラがどこに由来するのかわからない。
けれど、これまで出会ったことがない食感が心地よかった。
ホットケーキとメロンクリームソーダのマリアージュ
「メロンクリームソーダ(770円)も一緒に召し上がってみませんか」
できあいのものが出てくると思っていたら、そうではなかった。
グラスにシロップを入れ、炭酸水を注ぎ、アイスクリームとサクランボをそえたクリームソーダだった。
池波は、子どもの頃からクリームソーダが好きだったようだ。
「六十近くなったいまも、私はクリーム・ソーダが好きである」
と『むかしの味』に記している。
池波ならば、クリームソーダを飲みながらホットケーキを食べ、「むかしの味がする」と喜んでくれるかもしれない。
ホットケーキ単品も注文できる。
けれど、パスタ単品(1485円~)に、トマトサラダと食後の飲み物とホットケーキが付く「Cセット」(825円)を頼む人が圧倒的に多いそうだ。
「週末ともなればホットケーキを120枚焼かせていただきます」
「むかしの味」がするホットケーキを食べるために、千葉へ出かける価値がある。
【ホットケーキ倶楽部 我家我屋本店】店舗情報
住所/千葉県千葉市中央区富士見2-7-16
電話/043-225-7551
営業時間/11:30~15:30(LO15:00)、土曜11:30~22:00(LO21:00)、日祝11:30~21:00(LO20:00)
(うまいめし/ 中島 茂信)