【連載】速水健朗のこれはニュースではない:出生率とポップミュージック

ライター・編集者の速水健朗が時事ネタ、本、映画、音楽について語る人気ポッドキャスト番組『速水健朗のこれはニュースではない』との連動企画として、最新回の話題をコラムとしてお届け。

第3回は、外国人観光客が増えていることでも話題となっているクルマ好きの聖地・大黒ジャンクションの話から、80年代の婚姻率や出生率に影響を与えたであろう文化について考える。

大黒ジャンクションの『頭文字D』と『湾岸ミッドナイト』

首都高速神奈川5号と湾岸線が合流する場所が大黒ジャンクション。そのパーキングエリアは、クルマ好きの聖地。昨今は、そこに集まるめずらしいクルマ目当ての外国人観光客も増えている。走り屋文化には、法の外側をオーバーステアしていくところがあり、なかなかにハイコンテクストだが、昨今の海外からの日本文化への理解はその辺りの機微も織り込んで進んできている。

大黒PAの隣には、コンテナ港の大黒ふ頭があり、そこから出荷される輸出用の新車が大量に並ぶ。PAはやや高い場所につくられており、埠頭や新車の大群を上から見下ろすことができる。なかなかに壮観。一方、ここからマルクスの上部構造下部構造の構図が見て取れる。下部に経済があって上部に文化がある。これは、文化が上位概念てことではない。経済の要請で政治や文化が引っ張られていくということ。

この大黒PAの開業は、1989年。ベイブリッジができたのと同時期。昭和最後の年であり、平成が始まった年。よくも悪くも大黒PAは時間が止まったような場所でもある。フードコートの2階には、がちゃがちゃやちょっとしたクレーンゲームが置かれるスペースがあり、そこにおかれた雑記帳には、男性器などの幼稚ないたずらが書き込まれている。日本の自動車生産台数のピークも1991年。あの時代を巡らす題材が色々と揃っている感がある。

PAには観光用のおみやげコーナーがあり、『頭文字D』のグッズが並ぶ。惜しいのは『湾岸ミッドナイト』のグッズがないところ。曲がりくねった峠道を走る『頭文字D』と直線の高速道をひたすら走る『湾岸ミッドナイト』。群馬や埼玉を主な舞台にした『頭文字D』より、横浜ベイブリッジや大黒ジャンクションを描いた『湾岸ミッドナイト』の方が実はこの場所にふさわしい。そして『湾岸ミッドナイト』の連載開始は1990年だ。

『頭文字D』『湾岸ミッドナイト』の登場人物たちは、ひたすらクルマに地道を上げて、極力それ以外のコストを避けて生きている。喧嘩なんてしない。今見るとヤンキーと言うよりおたくのマンガだ。大黒PAに集まる人々も、基本的にはおたくたち。クルマ文化は、この30年でヤンキーのものからおたくのものへと逆転したのだ。

ユーミンが牽引した文化

話は変わるが、ユーミン(松任谷由実)の話。5、6年前に苗場でユーミンのコンサートを見た。客席からファンを呼び込んでユーミンとファンが直接トークするパートで、かつて苗場プリンスでバイトをしていましたという女性が登場した。彼女は、ユーミンが苗場プリンスでコンサートを始めた初回に立ち会っていたという。まだホールがなく、当時はロッジを使って演奏をしていたようで、ロッジのアルバイトだった彼女は、そこでユーミンのファンになったそうだ。のちに就職し、お金を貯めて客としてユーミンのコンサートに通うようになり、結婚して、子どもができて、その日の直前には孫ができたのだという。その話に会場もユーミン本人も盛り上がらないはずがない。この日から数日の間、僕の頭の中は、その話の余韻でずっとあふれていたし、コンサートのハイライトの「BLIZZARD」のリフレインがずっと鳴り響いていた。

ユーミンのファンは、皆、ハイセンスでハイクラスのキラキラした生活を送り、中島みゆきファンって庶民的。そんなステレオタイプを人は抱きがち。だが、おそらくは逆である。ユーミンのラジオの投稿や先のコンサートのお客さんの話などから浮かぶファン像は、むしろ地に足を付けた生活を送る人たち。「夜会」に通うみゆきファンたちは、富裕な有閑階級の割合が高い。これは僕の半径5メートルの印象だが。かつてのユーミンが、私立校に通うような限られた人に向けて音楽をつくっていたのも事実だろうが、それとて昔の話。むしろ日々の通勤ラッシュにもまれる丸の内で働く"OLの応援歌"として自分の歌を評していたことを憶えている。「メトロポリスの片隅で」(1985年)くらいのころだろうか。

ユーミンは、日本のドライブデート文化やスキー文化を牽引した。国土計画が日本の山を切り拓き、そこにホテルとスキー場をつくり、ユーミンを呼んだ。西武グループの功績は、これらをとりわけぜいたくな消費として提供したのではなく、その辺の大学生や会社員の趣味として用意したのだ。そして、誰かのお父さんとお母さんが出会って恋愛して、ユーミンソングを背景に家族をつくる。「いまあなたたちがいるのは私のおかげ」。ユーミンがそう言ったとして(数年前のユーミンの帝劇公演のタイトルは「あなたがいたから私がいた」だったが)、本当にその通りなのだ。80年代の婚姻率や出生率にユーミンは少なからず寄与していたはず。

評価が逆転したケニー・G

3,4年前のあるアメリカンミュージックアワードのMCが、ある人物の呼び込むときに「アメリカの出生率に寄与したミュージシャン」っていって紹介した。つまりアメリカにも日本でユーミンにあたるミュージシャンがいるということ。その紹介で登場したのは、ケニー・Gである。彼の楽曲は、恋人たちのムードを盛り上げる効果がある。つまり、ドライブデートやバーなどのBGMとしてなじみ深いもの。それはアメリカだけでなく、日本でも同じだった。日本でケニー・Gが人気が出たのは、やはり1980年代の後半から90年代全般にかけて。

こうしたムードを盛り上げる音楽の作り手を、司会者は、「出生率に寄与」という言葉で評した。むろん、これはジョークである。しかもこのジョークは、ケニー・Gがそれまでムード音楽(具体的に彼は、「スムースジャズ」という言葉が用いられることが多い)として、蔑まれてきたことへの、軽い配慮を踏まえたものだったことの詳細は後に触れる。

サックス奏者で、80年代後半から90年代に大ヒットしたケニー・Gについて、まず彼はジャズファンたちから嫌われた存在。ケニー・Gがどのように"いじられ"てきたか。映画の『ラ・ラ・ランド』を例にとってみる。ライアン・ゴズリング演じる主人公はジャズが好きで言葉の端々にそれを匂わす。鼻についたヒロインが「私にとってジャズは、ケニー・G」「いかにもエレベーター・ミュージックよね」と返す。ジャズファンにケニー・Gの話をするというステレオタイプ。それを踏まえて描いて見せたかもしれないが、おそらく前者だ。

そして、いつしかジャズファン以外からも「取るに足らない音楽」の代名詞にされるようになった。ケニー・Gはミュージシャンである以上に、「ミーム」として扱われてきたのだ。彼の着ていたいかにも80年代らしい派手なジャケットや、今も変わらないソバージュのロングヘアーも、彼のイメージを築き上げた要素のひとつだった。だが、そんなケニー・Gへの評価が近年、逆転した。カニエ・ウェスト、ザ・ウィークエンド、ジョン・バティステらがケニー・Gと共演したことを機に、その扱われ方が変化したのだ。彼らは、レコード会社の押しつけで「Featuring」相手を選ばない。当然、本人のアイデアでケニー・Gが起用されただろう。

カニエは、当時の妻、キム・カーダシアンの誕生日にケニー・Gを自宅に呼び、それがきっかけで共演。おそらくはセレブ仲間つながりだったのだろう。ザ・ウィークエンドは、ケニー・Gとの共演で『In Your Eyes』という曲をつくった。アメリカンミュージックアワードへの出演は、この曲での受賞だ。ザ・ウィークエンドの場合は、音楽的な理由でケニー・Gをフックアップしたと思われる。80年代のポップな音楽を参照し、そのダークな面を含めて表現する。ザ・ウィークエンドがケニー・Gに目を付けるのは必然。そして、ジョン・バティステの場合も文脈はわかりやすい。両者は、ジャズとポップスをクロスオーバーする存在。そこがケニー・Gと重なるところ。黒人文化の色の強いジャズを白人がやることの壁は存在する。肌の色、ジャズとポップス。両者の壁を越えた音楽をクロスオーバーと呼ぶことがある。ケニー・Gとバティステで立場は別だが、ともにクロスオーバーという立場を踏まえてのリスペクトがあったのだろう。また、バティステは、80年代のゲーム音楽をフックアップしたことがある。ちなみに「フックアップ」とは、過小評価された存在に、もう一度、世間の関心を集め、評価をあらためること。

ミュージシャンで映画監督のクエストラヴは、「フックアップ」は、ヒップホップ、ブラックミュージックの文化に特有の表現の一形式だと『ミュージック・イズ・ヒストリー』に書いている。過去の黒人のミュージシャンたちが過小評価を受けてきた。そこに光を当てるのがフックアップだ。ただし、クエストラヴは、ビル・ウィザース(70年代の大物ソウルシンガー。作曲家)を担ぎ出そうとラブコールを送り、嫌がられた話を書いている。フックアップは、場合によっては大きなお世話でもあるのだが。

ケニー・Gは、ずっとジョークの対象とされ、音楽性とは離れたミームとして扱われてきた。その立場への共感、別の視点の注入、それがカニエ、ザ・ウィークエンド、バティステのフックアップから見えてくる。ちなみにケニー・Gについて『ラッセンとは何だったのか』(原田裕規編著)という本の中で、アート界におけるクリスチャン・ラッセンとジャズ界におけるケニー・Gの比較の話がある。両者は同じ年に生まれ、どちらも内輪の強い業界で、壁の外に置かれ続けた存在。

30年、40年の時間を経て、評価が逆転することがある。自動車文化がおたくのものになったのも、おたくサイドからのヤンキー文化のフックアップと見ることができるし、ユーミンは、日本の中間層をフックアップ(クラスアップ?)させたのだろう。

■参考
【マンガ】
しげの秀一『頭文字D』
楠みちはる『湾岸ミッドナイト』
【書籍】
クエストラヴ/ベン・グリーンマン『ミュージック・イズ・ヒストリー』
原田裕規 編著『ラッセンとは何だったのか』
【映画】
『ラ・ラ・ランド』
【音楽】
松任谷由実『DA・DI・DA』
ケニー・G『デュオトーンズ』
ザ・ウィークエンド『In Your Eyes [feat. Kenny G]』

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