祖父のドイツパンに誇り、地道に手作り100年 神戸のフロインドリーブ 3代目「これからもこのままで」

阪神・淡路大震災後、教会を改修して本店を移したヘラ・フロインドリーブ上原さん=神戸市中央区生田町4、フロインドリーブ(撮影・長嶺麻子)

 神戸市中央区のドイツパンと菓子の店「フロインドリーブ」は今年、創業100年を迎えた。戦争や大震災で甚大な被害を受けながら、不死鳥のように復活。全国に名を知られるようになってもチェーン展開せず、地道に手作りを続ける。「これからもこのままで」。3代目のヘラ・フロインドリーブ上原会長(79)が、神戸の老舗として歴史をつなぐ思いを語った。(霍見真一郎)

### ■神奈川の吉田茂元首相も愛した

 社長になって5年となる1995年1月17日、ヘラさんは、地鳴りの音で目覚めたという。阪神・淡路大震災で、本店や須磨区の工場が被害を受けた。神戸・北野にあった2代目の父が住む実家は全壊した。本店はわずかに傾いただけだったが、ヘラさんは直後、店の近くで別の建物が倒壊する瞬間に遭遇した。「どうしていいか分からなかった」。全従業員に退職金を支払い、休業した。

 フロインドリーブは、第1次世界大戦で日本軍の捕虜となり、日本に残ったドイツ出身の祖父ハインリッヒ・フロインドリーブさん(1884~1955年)が、24年に開店した。ハンター坂近くの瀟洒(しょうしゃ)な洋館で、後に約10店舗に拡大したが、第2次大戦で全て失った。それでも終戦の翌年、簡素な建物で再開した。

 ドイツ仕込みのパンは、評判になった。吉田茂元首相が神奈川県の自宅へ毎週のように届けさせたのは、今も語り草だ。70年代には、NHK連続テレビ小説「風見鶏」のモデルになった。

### ■休業の店先に「再開を待っています」

 大震災は、店を再び窮地に追い込んだ。

 ヘラさんは、休業を知らせる店先の張り紙に、訪れた客たちが「再開を待っています」と寄せ書きしてくれているのを見つけた。胸が熱くなった。ライフラインの復旧後、店を補修して従業員を呼び戻し、95年6月に再開にこぎ着けた。「再開日には花が山のように届いて。ありがたかった」

 4年後、中央区の旧神戸ユニオン教会を大規模改修し、本店を移した。建築家ウィリアム・メレル・ヴォーリズが手がけた建物で、かつてヘラさんが結婚式を挙げた場所だった。

 思い入れのある空間で念願のカフェを開き、祖父のドイツパンと、父が完成させたレシピで作った伝統菓子「ミミパイ」を販売した。いつの時代も「手作りできる範囲で売る」という理念を貫き、多くのファンに支えられた。

 昨年、社長を退いて会長に就いた。支店は神戸市内の二つの百貨店のみ。手作りにこだわり、現在も工場には機械がほとんどない。生産量には限界があるが、祖父以来1世紀にわたる歩みに思いをはせ「現状維持でいい。大好きなこの街は出ない」と話した。

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