昭和初期、新宮-山崎に幻の鉄路構想 「播磨電気鉄道」企画展 路線図や株主の台帳など展示 兵庫・たつの

播磨電気鉄道の開業に向け、出資した山崎町民ら株主の氏名などが記された資料=たつの市龍野町上霞城、霞城館

 昭和初期に幻と消えた、現・兵庫県たつの市新宮町と同県宍粟市山崎町を結ぶ鉄道計画の存在を示す資料などを公開する企画展「たつのレトロ~姫新線と幻の鉄道~」がたつの市龍野町上霞城、霞城館で開かれている。かつて姫新線を走った蒸気機関車(SL)を撮影したモノクロパネル約20枚の展示もあり、活気づく揖龍周辺地域の在りし日の様子がうかがえる。4月7日まで。(西竹唯太朗)

 新宮-山崎間で鉄道計画を練っていたのは、播磨電気鉄道。網干港-新宮間で路面電車を運行していた播電鉄道の子会社で、1919(大正8)年ごろに、親会社から線路設置の許可を譲り受け、新宮での両線接続を目指したという。

 会場には、播磨電気鉄道の関係者が書いたとされる全長30メートルに及ぶ手書きの路線計画図の一部を展示。駅舎のように見える建物や、線路を敷くため買収予定の土地の幅を記したと思われる線、揖保川を越えるための橋脚の位置などが克明に記されている。

 同社は当時、資金繰りのため山崎町の住人を中心に株主を募っており、株主となった町民の氏名がずらりと書かれた印鑑台帳なども目を引く。

 同館によると、国鉄姫津線(現姫新線)の開通により、運行ルートが重なり客の離れた播電鉄道は、34(昭和9)年に鉄道を廃止。播磨電気鉄道は、乗り入れ場所を国鉄の新宮駅に変更するなど諦めずに開業を目指した。しかし同年、国鉄が新宮から山崎を経由して鳥取県若桜町を結ぶ新路線の計画を発表。再び運行ルートが重なったことで、計画は暗礁に乗り上げた。

 その後は戦争の激化もあり、国鉄の新路線計画も凍結。戦後も実現することはなく、48(昭和23)年に播磨電気鉄道は解散し、構想は夢と消えた。

 35(昭和10)年に、鉄道開通を望む山崎町民が鉄道大臣に陳情したことを記す、宍粟郡内の地域紙「山崎新聞」の記事のコピーなどもあり、たつの市教育委員会の義則敏彦専門員は「(町民が)株主として出資していることも含め、当時の熱を感じながら見てもらえたら」と話した。

 午前9時半~午後5時。月曜、21日休館。一般200円、大学生以下と65歳以上100円。16日午後2時からは、義則専門員による講演会もある。事前申し込みが必要。同館TEL0791.63.2900

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