キックバイクがこげない、ボールが投げられないっ!「これってただの運動オンチ?」どこに相談したらいいかわからず途方に暮れていたとき、SNSの記事に…【DCD体験談】

手先が極端に不器用、食べこぼす、運動が苦手・・・などの背景には、もしかしたらDCD(発達性協調運動障害)が関係しているかもしれません。

漫画家のオチョのうつつさん(東京都・42歳)は、現在小学校6年生の男の子・ウノくん(12歳)を育てるママ。
オチョさんはウノくんが乳幼児のころから、発達の様子に違和感があったそうです。そんなウノくんは10歳のときに、体の動きをコントロールする脳機能の発達の障害である発達性協調運動障害(以下、DCD)と診断されました。オチョさんに、ウノくんの小さいころの成長の様子や、感じていたことについて聞きました。
全2回のインタビューの1回目です。

「食べこぼしが多い」「片づけが苦手」それって、しつけの問題ではなく発達障害かも?!

育児書どおりの育てやすい赤ちゃんだった

「今思い返すと、ウノの赤ちゃんのころはミルクを飲んでむせることがよくあった」とオチョさん。

2011年、予定日の10日ほど前に、自然分娩で体重3250g、身長48cmほどで生まれたウノくん。ウノくんは生まれてすぐに元気な産声を上げました。

「生まれたときにはとってもうれしかったです。産後すぐに抱っこをした赤ちゃんのあたたかさとかわいさに胸がいっぱいでした。赤ちゃんのころのウノは『とても育てやすい子だな』と感じていました。「たまひよ」の育児新百科という本を参考に見ていましたが、身長・体重の増え方や、できるようになることなどの発達の様子もその本に載っているとおりでした。

私と一緒にいればぐずって大変、ということもない子で、夜に起きてもおっぱいをあげればすぐ寝てくれたんです。 首すわりや、はいはい、おすわり、喃語(なんご)も発語も、順調だったと思います」(オチョさん)

言葉の発達もわりと早く、母子健康手帳にある目安どおりだったため、心配はなかったといいます。

「ただ、今思い返すと、おっぱいを飲んだり、離乳食を食べるときに、むせたりえずいたりすることがよくありました。そのときは『空気を飲んじゃってるのかな?』と思うくらいで気にしなかったんです。
でも、今になって当時の動画を見返してみると、数回しか撮っていない食事の動画にもえずく様子が映っているので、実はけっこうひんぱんだったのかな、と思います」(オチョさん)

すべり台を横向きにすべる様子に、違和感を感じた

幼稚園の先生から「おうちでなわとびを練習してもらえますか」と言われるけれど、なかなかうまくいきません。

ウノくん本人のやる気はあまり感じられなかったものの、オチョさんの祖母のかかわりなどもあって生後10カ月のころにはいはいができるようになりました。

「つかまり立ちやひとり歩きの発達面でもとくに心配はありませんでした。でも、ウノが1歳を過ぎて公園遊びをするようになってから、ウノが遊ぶ様子を見て違和感を持つようになりました。ウノは歩けるようになっても、自分から走りだしていくようなことはあまりなく、『抱っこ』とせがむことが多かったんです。

自分の幼児期を思い返しても明らかにちょっと違うな、と。たとえば、すべり台で遊ばせてあげようとすべり口に座らせると、体幹をたもつことができずに横に倒れてしまうんです。通常のように座った姿勢のまますべり下りるのではなく、上半身が横に倒れて転がり落ちるような感じです。すべり口から落下してしまうこともありました。
また、2歳を過ぎて言葉が出るようになってからは、楽しそうに『ジャーンプ!』と言いながらジャンプのかっこうをするけれど、体はちっとも浮いていない、という感じです」(オチョさん)

オチョさんは夫に相談しますが、「まだ小さいんだから、こんなもんだよ。気にしすぎじゃない?」と言われたそうです。

「夫の言うとおりかもしれないと思いつつ、ウノが3歳を過ぎて幼稚園に入園すると、さらにほかの子との明らかな違いを感じるようになりました。

ウノは3月生まれなので、ほかの子と比べて少し差はあるにしても、それでも運動に関しては2年くらいの遅れがあるんじゃないかな、と感じていました。とくに目立ったのはボール投げです。ドッジボールではボールをキャッチすることはおろか、投げるのも相手に届かなかったり、全然違う方向に行ってしまったり、という具合でした。

4歳ごろからはさらに運動の苦手さが見られました。キックバイクをこげずに倒れたり、ブランコがこげなかったり、どれだけ練習してもなわとびができなかったり・・・。できないと楽しくないから本人のやる気も出ません。運動だけでなく、折り紙やねんどなど指先を使う遊びも極端に苦手で、すぐに飽きてしまっていました。いろんなことに苦手さがあるウノに、なんとか好きなことを見つけてあげたくて、水泳教室やピアノなどの習い事も始めました。でもどちらも、習得するのにほかの子よりも時間がかかっていました」(オチョさん)

発達支援センターに電話をしたけれど・・・

ウノくんになにかあるかもしれない、と、オチョさんは思いきって発達支援センターに電話をしてみることに。

自治体の集団健診でウノくん発達の遅れを指摘されたことはありませんでしたが、オチョさんは幼稚園の保護者会で発達障害の子どもをもつママの話を聞いたことがあり、発達支援センターに電話をしてみることに。ウノくんが年長の1月のことでした。

「ウノの様子は単に運動が苦手というのとは違う気がしました。もし運動面での発達障害のようなものがあるとしたら、ウノはそうかもしれないと感じたんです。
発達支援センターに電話をしようと思ったのは、生活ですごく困っているわけではないけれど、子どもの発達のもやもやとした心配事に対して、なにか対処する方法があれば知りたかったからです。ドキドキしながら思いきって電話をしました。

ところがその支援センターは、半年先まで予約がいっぱいでした。そして未就学児しか対応していないとのこと。半年先はウノは小学生なので対象外だと、はっきり断られてしまいました。小児リハビリテーションの病院なら紹介できます、とも言われたんですが・・・そのときは私も勉強不足で、病院にかかる必要があるとまでは考えていなくて・・・。何より、話を聞いてもらえず断られてしまったことがショックで、あんなに緊張して、勇気を出して電話をしたのに~、と頑張って上ったはしごをはずされてしまった気分でした」(オチョさん)

だれにも相談できない、頼る先もない、とショックを受けたオチョさんは、「それなら親の自分が頑張るしかないと決意した」と言います。

勉強も遊びも、自信をなくしていった

字を書くことに苦労しているウノくんに、厳しく指導していたオチョさん。

地域の小学校に進学したウノくん。入学してからは文字を書くことに苦労したほか、お友だちとの外遊びにもついていかれないことが多くなっていきました。

「学校生活が始まった当時、いちばん大変だったのは文字の練習です。入学当初は、ウノの字は特徴があるけどかわいいし、まだ1年生だから字を上手に書けなくてもいいだろうって思っていたんです。

でも、保護者面談で担任の先生から『もっとちゃんと練習してください』と言われて、すごくショックでした。教室の掲示物を見るとクラスメイトたちはとてもきれいな字を書いています。『みんなもできてるからウノにも練習させなくては』と思って、それ以降、ウノに厳しく教えるようになってしまいました。

文字練習の宿題がうまく書けないと、『どうしてできないの!』としかって、うまく書けるようになるまで何度も消しゴムで消して書き直させて・・・ウノはすごくつらそうでした。今思うと、本当にかわいそうなことをしたと、思い出して涙が出るほど後悔しています」(オチョさん)

ボール遊びなどの運動に苦手さがあったウノくんは、お友だちと遊ぼうとしても追いつけなくて、1人で帰って来ることもよくあったそうです。

「もともとは明るい性格のウノだったんですが、小学校に入ってから消極的になり、『学校に行きたくないな』ということもありました。

ウノが小学2年生のころ担任の先生から、ウノがお友だちにからかわれることが多い、という報告は受けていました。たとえば、お友だちに貸したハンカチを『返して』と言っても、ウノが取れないようにひらひらさせて、ほかの子に投げてしまった、ということがあったそうです。厳しい先生だったので、『その場にいた全員を呼んでウノくんに謝らせました』と聞きました。

いじめられていたわけではないとは思いますが、ウノ本人はそういったことがけっこうつらかったみたいです。あるとき『僕がいじめられてたらどうする?』って相談されたことがありました。そこで、『いじめがあったら訴訟します。まずは行政書士に頼んで、そのあと弁護士に頼もうかな』と淡々と冷静に伝えたら、ウノは笑っていました。
さらに『そんなことがあったら、学校なんか行かなくてもいいんじゃない』とも伝えました。それで、もしいじめられたらお母さんが守ってくれる、と伝わったんだと思います。結局ウノは学校を休まずに頑張っていました」(オチョさん)

意欲を失いかけたある日、SNSで見つけた記事に希望が

SNSでDCDの記事を見つけ、ウノくんの症状がすべてDCDに当てはまる!と、オチョさんは衝撃を受けます。

運動が苦手でもなにか楽しみを見つけられるようにと、ピアノや水泳のほかにスポーツ教室の習い事にも通っていたウノくん。オチョさんは週に3回の習い事の送迎もして、宿題のチェックもして・・・と自分の仕事以外にも大忙しでした。

「発達支援センターにも断られて『自分が頑張るしかない』と一生懸命でした。でも、ウノの小学校3年生の運動会で徒競走をする姿を見て、考えが変わりました。

運動会の演目では徒競走とダンスがありました。『運動会イヤだなぁ』と渋るウノに、なんとか徒競走を頑張れるようにと『前を見て腕を振るんだよ』『体を少し前に倒すんだよ』と教えました。でもウノにはあんまり響かないんです。そして、教えたこともすぐ忘れちゃうんです。運動会当日の徒競走で、ウノは教わったことがスッポ抜け、よそ見をしながらにこにこして走っていました。

その姿を見て、どんなに私が一生懸命教えても、これ以上ウノをよくしてあげることはできないんじゃないか、と思いました。もう自分はこれ以上頑張れないな、と。私はウノに結果を求めすぎていたのかもしれません。それに、運動が苦手でも字がへたでも元気で笑顔で育っている、それだけで十分じゃないかなとも思いました」(オチョさん)

勉強や運動を頑張る意欲を失いつつあったオチョさんとウノくん。ウノくんが4年生になったある日、オチョさんは当時のTwitter(現X)でDCDについて書かれた記事を目にしました。

「記事に書いてあったDCDの特徴は『字が下手』『手先が不器用』『運動が苦手』『ボールやなわとびができない』『周囲から理解されず努力不足だと思われるため自己評価が下がる』とありました。それを見て、『これ、ウノに全部当てはまる!』と驚きました。そしてずっと困っていたことの解決方法がやっと見つかるかもしれない!とすごく感動しました」(オチョさん)

オチョさんはその後、小学校の保健室の先生に相談します。先生はDCDという発達障害のことを知っていて、相談先の紹介や、これからも対応について検討してくれました。

オチョさんは悩んでいたことへの光が見えたと感じたそうです。

お話・イラスト/オチョのうつつさん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

実はうつつ家は両親とも運動が苦手。「夫は、自分が運動ができなくても乗り越えて生きてきた経験から、子どもが運動ができなくてもそんなに問題ではない、と思っていたようです」とオチョさん。
次回は、クリニックを受診してDCDと診断されてからのウノくんの様子です。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年3月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

オチョのうつつさん

PROFILE
漫画家、ブックデザイナー。「本当にあった笑える話」で『しゃんしゃん婆ミツコ御年90歳!』(ぶんか社/2021)で漫画家デビュー。ほか『サレ妻デザイナーの私を見て笑え!! 』(ぶんか社/2023)など。

『なわとび跳べないぶきっちょくん ただの運動オンチだと思ったら、DCDでした!』

「なわとびが跳べない」「字がきれいに書けない」息子のウノくん。原因はどちらもDCD(発達性協調運動障害)だったと判明。幼児期の様子からDCDの診断を受けたあとまでをマンガで描く親子の成長物語。オチョのうつつ著、古荘純一 監修/1760円(合同出版)

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