今、ほとんどの日本人は「無宗教」と答えるが… 歴史的に繰り返される「宗教ブーム」と不安な世の中の“相関関係”

世の中に不安が漂うと「宗教熱」が高まる?(pretty world / PIXTA)

世間から「問題がある」とされている宗教に、なぜ入信するのだろうか。

多くの人にはピンとこない話かもしれないが、“内側”にいた人たちの証言からその体験世界をのぞけば、誰もが「狂信」する可能性にドキリとするかもしれない。

本連載では、宗教2世の「当事者」であり、問題に深く関心を持つ「共事者」でもある文学研究者が、宗教1世と宗教2世へのインタビューをもとに、彼らの「狂信」の内側に迫る。

第6回目(最終回)は、世界史および日本史上で「宗教ブーム」が繰り返し巻き起こってきた背景から、「今後の日本はどうなるか」を考察する。

※ この記事は、文学研究者・横道誠氏による書籍『あなたも狂信する 宗教1世と宗教2世の世界に迫る共事者研究』(太田出版)より一部抜粋・構成。

「宗教熱が高まるタイミング」とは

世界史を見ても、日本史を見ても、世相が不安に染まった時代には、宗教熱が盛りあがっていたことがわかる。ヨーロッパでは紀元1000年前後、1500年前後、1900年前後などに終末が噂され、宗教熱が盛りあがった。日本では平安時代末期からの鎌倉仏教や、戦国時代の寺社勢力の活躍、江戸時代末期から昭和時代にかけての新宗教ブーム、20世紀末の新新宗教ブームが良い事例だろう。

21世紀前半の現在、日本では一般に宗教勢力が力を持つことは少なく、多くの日本人はじぶんの信仰状況を「無宗教」と答える。その理由として、日本では経済的に長らく停滞しているにもかかわらず、物質文化が成熟し、多くの日本人が現世で幸せになることができるから、ということが言えるのではないか。

現世の自己実現を期待しづらい国に生きていれば、来世に期待するしかなくなる。だから貧困国や、あるいは先進国でも精神的な空虚感が強い国では、宗教熱が高まっているのだと思われる。日本の未来も、そうなっていくと私は想像する。

グレーさんは、経済的に恵まれていけば、宗教は少なくなるのではないかと答える。しかし現状で貧富の差が解消するようには見えないし、その点でカルト宗教はうまい仕組みを使っていると考える。

カルトにハマって生きざるを得ない人間は「必ず一定程度いる」

ちざわりんさんは、南無阿弥陀仏や南無妙法蓮華経が一世を風靡(ふうび)した戦乱の時代なら宗教の意義は大きかったんでしょうけど、現代ではどうなんでしょうね、と語る。

ちざわりん エホバの証人の場合は、核家族化の時代の受け皿になっていたと思うんです。でも宗教がもてはやされる時代は終わりましたからね。最近のニュースを見ていると、今後は陰謀論、参政党、反ワクチン、Qアノンなどが栄えるのではないかという気がします。

横道 あとはネトウヨもですね。

ちざわりん いまから20年ほど前、同僚の友人宅に行ったとき、小6の男の子の毛筆の書が貼られてあって、「中国死ね」と書かれていたのを見て、衝撃を受けたことを覚えています。

私も20世紀初頭に、初めてネット右翼の後輩たちと出会ったときには、かなりの衝撃を受けた。

ウリウさんは、大学生のときにバブル時代だったが、「みんなで豊かになっていく」という世間の発想は「カルト宗教のように狂信的だった」と振りかえる。「みんながまともになっていく」という考え方自体に無理があり、世の中になじめない人を脱会支援などで救いだそうとするのは正義なのだろうか、と問う。

「特殊な考え方が許されない社会って怖くないですか」とも語る。むしろ、おかしな人がウヨウヨいて、その上でうまく回っていくのなら良い世の中で、カルトにハマって生きざるを得ない人間は必ず一定程度いると思うのだと考える。

ウリウさんにしても、若いときには親鸞会がなかったら生きていけなかったと、いまでも考えている。統一教会にしても、この宗教がなかったら生きていけない人たちはいるはずだ。じぶんたち一般社会にいる側が認めて、対話していくことが大事だと語る。

© 弁護士JP株式会社