「白牙会」拠点、取り壊しへ 茨城初の洋画団体 絵画教室利用も 築100年、惜しむ声

「白牙会」の活動拠点だった建物を管理する山田純子さん=水戸市内

大正末期に茨城県水戸市で設立された美術団体「白牙会」の拠点施設が、3月下旬に取り壊されることになった。茨城県初の洋画団体として、絵画制作や普及に努め茨城県画壇に輝かしい足跡を残したが、築100年と老朽化が深刻となり、維持管理が難しくなっていた。絵画教室に通った関係者からは、芸術の学びやがなくなることを惜しむ声が上がる。

県近代美術館や水戸市立博物館などによると、同会は1924(大正13)年、茨城県出身の菊池五郎(1885~1950年)、林正三(1893~1947年)、寺門幸蔵(1895~1945年)の若手洋画家3人によって創立された。

東京の美術学校や画塾に学んでいた3人は、関東大震災を機に帰郷したところ、洋画家が十分に活躍できる場がないことを痛感。自らが美術展を主催して洋画の普及に努めることを決意したという。

このうち菊池は旧水戸藩士の五男として生まれ、東京美術学校に進学。卒業後、東京・向島の水戸徳川邸にアトリエを設けて制作に励んでいたが、大震災で焼け出されて水戸に戻る。創立時は39歳で、会の柱として活動をけん引した。

菊池らは同郷の中村彝(つね)、辻永(ひさし)ら先輩作家を訪ねて作品を借用するなど、展覧会は大いに話題を呼んだ。また横山大観ら院展系の作家によって開かれていた日本画の茨城美術展(茨展)とともに高い評価を受けた。

54年に解散するまでの30年間に23回の展覧会を開き、500人以上の作家が出品。その精神は、現在の県芸術祭美術展(県展)などに受け継がれている。

一方、拠点となる事務所は、24年に新築したばかりの菊池のアトリエに置かれた。木造2階で広さは約130平方メートル。開放感あふれる吹き抜けが設けられ、来客室や簡易的な寝室も備わる。展覧会の打ち合わせの場となったほか、茨城県美術界のサロンのような役目を果たした。

水戸の大空襲を辛うじて免れ、同会の解散後は1980年代半ばごろまで絵画教室として活用された。会員画家らが社会人や学生、子どもたちに指導し、地域交流にも貢献してきた。

絵画教室の閉鎖後、建物は菊池の親族らが管理していたが、雨漏りなどで天井や床の傷みは深刻化。ネズミが浸入し、敷地内にはアライグマやハクビシンも出没する。菊池の遠縁に当たる山田純子さん(65)が所有しているが、今後の維持管理は困難として取り壊しを決めたという。

美大受験のため絵画教室に通ったという画家の横須賀幸男さん(69)=同市=は「おしゃれな芸術の学びやという印象。当時の仲間との交流は続いており、なくなるのは寂しい」と話した。

山田さんは「取り壊すことになり、関係者には申し訳ない気持ちでいっぱい。大正から戦後にかけて、菊池五郎らがここで洋画の創作や普及に情熱を燃やしていたことを知ってもらえれば」と呼びかけている。

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