アニメ『ONE PIECE』初代OP歌手 きただにひろし、“戦力外通告”からの逆転「人生が本当に変わりました」

現在放送中のアニメ『ONE PIECE』エッグヘッド編のオープニングテーマ「あーーっす!」で、かけがえのない歌声の魅力をあらためて示したきただにひろし。さまざまなアニメ、ゲーム、特撮作品などの主題歌を歌ってきた彼だが、やはり『ONE PIECE』を語るうえで欠かせない存在であることを再認識させられる。最初のオープニングテーマだった「ウィーアー!」は、リリースされてから25年経った今も幅広い世代から愛されている不朽の名曲だ。きただにひろしにとって『ONE PIECE』との出会いはどのようなものだったのだろうか? シンガーとしての軌跡、『ONE PIECE』に対する想い、最新オープニングテーマ「あーーっす!」に関するエピソード、アニソンへの愛を存分に語ってもらった。(田中大)

■長渕剛「さようならの唄」を歌い、目指した“プロ”の夢

――山口県萩市のご出身ですよね。どんなお子さんでしたか?

きただにひろし(以下、きただに):とにかく目立ちたがり屋だったと思います。規模の小さい小学校に通ってたんですけど、児童長、生徒会長、クラス委員長というようなことをずっとやっていました。

――その頃から歌は好きでした?

きただに:好きでした。校歌を歌う時も何百人にひとりで勝てるような感じでしたね(笑)。特に、中学生くらいになってくるとあまり大きな声で歌わなくなってくるじゃないですか。でも、僕は目立ちたがり屋というのもあって、ヴィブラートをかけて歌ってたくらいでした。

――音楽に本格的に夢中になったきっかけは?

きただに:アニメ、特撮とかの主題歌を歌っていた幼少期を経て、本格的に音楽をやりだしたのは中1の時でした。3つ上の兄がフォークギターを始めて、僕も一緒にやるようになったんです。まずはギタリストとして、どっぷり音楽にハマりましたね。最初は長渕剛さん、イルカさん、さだまさしさんとかの曲を聴いて兄と一緒にやったりしてたんですけど、「ロックのほうがかっこいい!」と思うようになって、同級生たちとバンドを組んだのが中2とか中3くらいだったと思います。そういえば、フォークギターの弾き語りで全校生徒の前で歌ったこともありましたね。体育館で長渕剛さんの「さようならの唄」を歌って、歌い終わったあとに全校生徒の拍手を貰ったんですよ。「あっ! 歌ってこんなに拍手を貰えるんや!」ってなって、そこで初めて「歌っていいな」「歌ってみんなを笑顔にできるんや」と思いました。今思えば、それが最初の音楽の体験でしたね。

――ロックは、どのようなものを聴いていましたか?

きただに:RCサクセションとかですね。あと、パンクも流行っていたので、THE STALIN、アナーキーとかのコピーをバンドでやってました。その後、ヘヴィメタルのほうに行くようになって、最初はギターだったんです。ギタリストを目指していたんですけど、高校の時に組んだバンドでボーカルとして入ってきた人が僕よりもギターが上手くて、チェンジすることになりました。よくある話ですよね(笑)。ボーカリストになったのは、そこからです。

――その頃からどんどん音楽に夢中になっていったんですね?

きただに:そうでした。YAMAHAのコンテストの地区大会でベストボーカリスト賞を貰って、井の中の蛙の鼻がどんどん伸びてきたわけです(笑)。「プロになりたい」という夢を抱くようになり、上京したものの、そこで鼻を折られましたね。プロを志している人が全国から集まってくるのが東京なので、「俺はここでは全然じゃん……」って気づきました。

――きただにさんが上京した頃は、80年代半ばあたりから始まったバンドブームの真っ只中ですよね?

きただに:はい。『イカ天』(『三宅裕司のいかすバンド天国』/TBS系)とかがあったり、バンドブームがすごかったですね。

――プロとしての第一歩はSTAGGERのボーカリスト。デビューしたのは1994年ですから、上京してからの下積み期間はかなりありましたね。

きただに:そうですね、10年くらいかかりましたから。周りのバンドがどんどんデビューしていくなか、置いてけぼりをくらっていました。だから、当時自分で作ったバンドもあったのに「ひとりでやらせてほしい」と解散して、デモテープを作って、いろいろなところにばら撒いたんです。それで、やっとSTAGGERのボーカルとしてデビューできることになりました。

――「うちのバンドで歌って!」って引っ張りだこだったんじゃないですか?

きただに:そんなことは全然(笑)。僕は今でも自分が上手いとは思っていないし、劣等感がモチベーションですから。今年でデビュー30周年ですけど、「まだまだ上手くなりたい」「いつまでも現役でいたい」という気持ちがあります。サッカーの三浦カズさん(三浦知良)みたいな気持ちなのかもしれないです。

――STAGGERが解散したあとは、「give peace a chance」という名義でソロシンガーとして再デビューしましたよね?

きただに:はい。鳴り物入りでSTAGGERでデビューしたんですけど、テレビCMのクリスマスソングを歌って、新聞に大きな広告も載ったりしたんです。でも、それほどいい結果は得られなくて。メンバーチェンジをしても駄目で、タイアップを取ってもダメっていう。まあ、よくあるパターンではありますよね。結果として、ボーカリストだった僕だけが残って、ソロでデビューすることになりました。丁度、T.M.Revolutionの西川貴教さんが大人気になった頃で、僕もソロ名義なのに「give peace a chance」としてデビュー(笑)。でも、上手くいかなくて、結局最後にはレコード会社から戦力外通告を受けました。「どうしようか?」と途方に暮れていた時に、まさかのシンデレラストーリーがそこから始まったんです。

――1999年10月に放送がスタートしたTVアニメ『ONE PIECE』のオープニングテーマ「ウィーアー!」を歌うことになったわけですね。でも、バンド Lapis Lazuliの2代目のボーカリストだった時期じゃないですか?

きただに:そうです。「Lapis Lazuliのボーカリストがやめちゃったから、今新しい人を探してるんだよね」と旧友から連絡があって、加入することになったんですよね。

――当時、Lapis LazuliのベーシストだったIKUOさんからのお誘いだったんですね。

きただに:はい。地元にいた頃、彼は近くの学校のバンドのメンバーだったんです。彼に声をかけてもらって、Lapis Lazuliに加入したのと同時期くらいに『ONE PIECE』のオープニングテーマのお話をいただきました。でも、最初は「週刊少年ジャンプで大人気の作品がアニメになるから、そのオープニングテーマの仮歌を歌ってくれないか?」という話だったんです。仮歌を歌うのも初めてでした。それがまさかまさかの流れで、そのまま歌うことになったんです。

――仮歌のシンガーが抜擢されるというのは、なかなかないことだと思います。

きただに:そうですよね(笑)。作曲した田中公平さんは歌うのもお好きなので、いつもデモテープは自分で歌われるんです。でも、STAGGERのディレクターだった方がもともといた会社をやめて、公平さんの事務所で働いていて、その繋がりで「仮歌を彼に歌わせてあげてよ」と言ってくれたらしくて。

――田中さんは、きただにさんを抜擢した理由について、どのようなことをおっしゃっていましたか?

きただに:「ロック畑で歌っていたからパワーがある」「レコーディングした仮歌が真っ白だったから、きただにはよかった」と、後々にお聞きしました。まだ何にも染まってなくて、白いキャンバスに色もなくて、これから“アニソンシンガーとして色”をつけていく感じだからよかったのかな?

――仮歌のレコーディングに関しては、何か覚えていますか?

きただに:それが、よく覚えていないんですよ。必死だったんだと思います。仮歌だから甘く見ていたのかもしれないけど。仮歌というものがどういう仕事なのかも、よくわかってなかったんですよね(笑)。

――本番のレコーディングは、いかがでした?

きただに:よく覚えてます。それまで僕がやってきたレコーディングとは全然違って、スーツを着た業界の偉い方々がいっぱいいて、僕が歌うたびにレコーディングを止めて、何か話し合ってるんですよ。「何かダメだったのかな?」とか気になりましたね(笑)。公平さんには「笑顔で歌え」と言われたのをよく覚えてます。それは今でも大事にしてます。「笑顔で歌うと声も笑顔になる」と言われて、なかなか伸び伸び歌えなかったレコーディングで少し気持ちが楽になりました。

――アニメ『ONE PIECE』の初回放送は、ご覧になりました?

きただに:観ました。当時の放送は水曜日の夜7時だったんですよね。テレビの前で正座待機(笑)。「本当に流れるのかな?」という感じで、流れたのを聴いた時は、すごく嬉しかったです。ロックバンドでデビューしましたけど、なんとなく全国に伝わらない感じがずっとあったんですよ。親にとっても僕が何をしてるのかわかりづらい感じがありましたから。でも、アニメーションの主題歌となると僕の名前のクレジットも出ますし、毎週流れているから、僕が何をしてるのかもわかりやすいんですよね。そこから地元の同級生たちも、僕が何をしてどうしているのか、わかってくれるようになった感じがしました。

――全国放送されるテレビアニメの影響力は、やはりものすごいですからね。

きただに:そうなんです。アニメソングの力も実感しました。インターネットの時代になってからは、さらに広いエリアで聴いていただけるようになったのを実感しています。世界中で『ONE PIECE』が大人気になって、さまざまな国に呼んでいただけるようにもなりましたから。「ウィーアー!」がなかったら、僕がこんなにいろいろな国に行って歌うことはなかったでしょうね。この一曲で人生が本当に変わりました。

■「きただにひろしが帰ってきた!」と書かれていたのを見て泣きました

――もともとはバンドで歌うのと並行する形でしたが、アニメソングのシンガーとして本格的に活動していくことになった経緯はどのようなものでしたか?

きただに:「ウィーアー!」がきっかけとなって、いろいろな場所に呼んでいただいて、ショッピングモールとかで歌ったりもするようになったんですけど、そこでは僕のことを知らない人も足を止めてくださるんですよね。笑顔で握手会にも参加してくださったり、CDを買ってくださったりして、「あれ? 俺の居場所ってもしかしたら実はここだったのかな?」と思うようになったんです。「自分にとっていちばん居心地のいい場所は、アニソンを歌って日本全国から全世界まで歌を届けることなのでは?」と感じるようになり、アニソンシンガーになるという気持ちが固まりました。

――Lapis Lazuliを脱退したのは2003年ですが、その前年の2002年から「JAM Project」(アニメソング歌手が集うグループ)の第2期のメンバーになりましたよね?

きただに:はい。「ウィーアー!」を歌っていなかったら、「JAM Project」に入れなかったと思います。素晴らしい経験をさせていただいてきましたね。ものすごい先輩の方々のなかに入ると、自分の実力が上がっていくのが目に見えてわかるんです。強いサッカーチームに入ると実力が上がるのと同じで、歌唱法、人としてのあり方とか、いろいろなことを「JAM Project」で学びました。

――影山ヒロノブさんもそうですし、楽器プレイヤーの方々も含めて、ロックバンド出身の凄腕の方々がたくさんいらっしゃるのが「JAM Project」ですよね。

きただに:そうなんです。だからアニソンってなんでもできるんですよ。「そんなこと普通やらないよ」っていうことまでやれちゃうのがアニソンですから。音楽的にも尖っていますし。楽器演奏でもキメはすごく多いし、難しいし、いい意味でヘンテコなんです。「そんなに転調するの?」と思うような楽曲もありますし、アニソンは本当にすごいです。

――きただにさんはアニメソングの他、特撮作品の主題歌もたくさん歌ってきましたが、子どもたちが喜んでくれるのも嬉しい体験だったんじゃないですか?

きただに:おっしゃる通りです。最高です。大人たちもそうですけど、子どもたちにも喜んでもらえるというのは、人として嬉しいです。「学校に行きたくなかった時にきただにさんの歌を聴いて元気を貰いました」というようなことが書かれたファンレターをいただいたりすると、涙が出るほど嬉しいんですよ。「誰かの人生に俺は関われてるんだ」って思うと、すごく感動します。海外での握手会でも泣いちゃう子とかがいて、「こっちこそ感激です!」と思いますね。

――アニメソングは、音楽の原体験にもなるんだと思います。現代の子供たちにとって、好きになる最初の音楽は、多くの場合アニメソングでしょうから。

きただに:そうですよね。特に日本で暮らしていると、そうなんだと実感します。

――「ウィーアー!」は、今の30代くらいのみなさんの子供時代の思い出と密接に結びついているはずです。

きただに:もう25年前の曲ですから懐メロですけど、小っちゃい子も知ってますし、25年前に子供だった人も今でも歌ってくれるというのが本当に嬉しいです。

――先日、『THE FIRST TAKE』で「ウィーアー!」を歌っていらっしゃいましたが、あれを観て私も胸が熱くなりました。

きただに:ありがとうございます。あれは緊張しましたね。「本当に“ファーストテイク”なんだ!」と思って(笑)。

――(笑)。『ONE PIECE』の主題歌は、「ウィーアー!」の他にも歌ってきましたね。

きただに:はい。氣志團さんとのコラボの「ウィーキャン!」を入れると全部で5曲。きただにひろし名義は4曲です。

――『ONE PIECE』の主題歌といえば“きただにひろし”という方程式は、多くのファンの共通認識だと思います。

きただに:本当に嬉しいことですよ。こんなにも長年にわたって大人気のアニメの主題歌をたくさん歌ってこられたことは、「嬉しい」としか言いようがないです。「ウィーアー!」は、もう何万回も歌ってきたんでしょうけど、名曲って飽きないんですよね。たとえば、『THE FIRST TAKE』の「ウィーアー!」はあの時だけの「ウィーアー!」ですし、昨日歌った「ウィーアー!」は昨日の「ウィーアー!」だし、その時の「ウィーアー!」になっていくんです。すごい曲だなとあらためて思います。

――現在放送中の「エッグヘッド編」のオープニングテーマ「あーーっす!」も、ワクワクさせられる曲です。これは、作曲をした田中さんからきただにさんへの挑戦状でもある気がしたんですが。

きただに:おっしゃる通り、まさに挑戦状です(笑)。公平さんはこれまでもずっとOPテーマを作曲してくださっていますけど、途中から対決みたいになってきてるのが面白いですね。もう長い付き合いですから。「ウィーゴー!」以降からそうなってきたのかな? 「OVER THE TOP」の時は、「ここがおいしい」「こういうのができる」「ここまで高い声が出る」と公平さんは僕のことを完璧にわかっているからこそ、オーダーメイドみたいな感じで作ってくださったんです。

――難易度の高い必殺技を連発しているという印象です。

きただに:そうですね(笑)。「ここはファルセットで歌ってくれ」という部分もあったりしますから。僕はファルセットではあまり歌わないんですけど、やったことによって曲がよくなって、自分の幅も広がりました。(「ウィーゴー!」は)テンポが速くて、忙しくて、音も高いですけど、すごくいい曲になりましたね。今回の「あーーっす!」もオーダーメイドで、「これをやってくれ!」という挑戦状です。最後のところなんて、ものすごく高いG(音階の「ソ」)ですよ。こんなに高い声で歌うのも、これまでやったことなかったんです。

――最後の〈All of us〉のところですね。

きただに:はい。この曲を作る前にアメリカのドルビー・シアターでオーケストラをバックに歌ったんですけど、リハーサルで公平さんがピアノを目の前にして「今度の曲、この音まで歌える?」って言って、声を出してみたら「ああ、出る出る! 大丈夫!」「じゃあこれで作っていくわ!」と(笑)。それで出来上がったのが、「あーーっす!」です。挑戦を受けたことで、今回も自分の幅が広がりました。

――これまでの『ONE PIECE』のOPテーマもそうですけど、きただにさんがご自身の人生を重ねて歌っているのを感じます。ルフィたちと一緒に冒険を続けているような感覚があるんじゃないですか?

きただに:本当にそうですね。「ウィーゴー!」からは特にそうです。「新世界編」のOPテーマでしたけど、あの時は麦わらの一味のみんなが2年修行してシャボンディに集まったじゃないですか? それと同じ感覚でした。

――作詞が藤林聖子さん、作曲が田中公平さん、歌がきただにさんという「ウィーアー!」チームの再集合が「ウィーゴー!」でしたからね。

きただに:そうそう、「ウィーアー!」を作った一味が十数年ぶりにそれぞれパワーアップして集まったのが「ウィーゴー!」でした。(作品に)リンクするものを感じてグッときましたね。あの頃は2ちゃんねるが流行ってたので、「『しょぼいなあ』って言われたらどうしよう?」とビクビクしていたのを覚えてます(笑)。

――杞憂でしたね(笑)。

きただに:でも、「ウィーゴー!」が初めてOPで流れたあと、「やっぱり最高だ!」「きただにひろしが帰ってきた!」と書かれていたのを見て泣きました。僕、エゴサをよくするんですよ(笑)。「OVER THE TOP」が初めて流れた時もそうでしたね。韓国に行った時で、忘れもしない(2019年)7月7日のオンエアでした。その時もエゴサしました。

――「あーーっす!」が放送で流れた直後は、いかがでしたか?

きただに:もちろんエゴサしました(笑)。今年の1月7日でしたね。青森に向かってる新幹線のなかでエゴサをして、「肩の荷が下りました。ホッとしました。みんなに褒めてもらいました」と公平さんにLINEしましたから。

――「あーーっす!」は、たくさんのエネルギーをいただける曲です。きただにさんの歌を聴くと元気になると、あらためて思いました。

きただに:嬉しいです。やっぱり声なんだと思います。自分の生まれながらの声が『ONE PIECE』というこの物語に合っているのかもしれないですね。

――〈ビリビリElectric ギア上げろ/ONE PIECE!〉とか、本当にギアが上がりますし。

きただに:そこのラップみたいなパートは、やったことがなかったものだったので挑戦でした。

――それに「あーーっす!」は、実に気持ちいい響きの言葉です。

きただに:一発で覚えられるフレーズですよね。これは「All of us」でもあるし、「明日」でもあるし、「earth」でもあるし、「ウィーアー!」の「We」と繋がる「us」でもあるし……いろいろな意味で捉えられると思います。こういう言葉遊びも、同じチームでずっとやってきたならではですよね。本当にいいコンビネーションのトリオです。

■『ONE PIECE』最後のオープニングテーマは絶対に歌いたい

――今年は『ONE PIECE』のアニメも25周年を迎えますが、きただにさんのデビュー30周年イヤーでもありますね。

きただに:最高の年になるだろうなと思っています。先日、占いへ行ったんですけど、「ここから5年はいいよ」って言われました。身体に気をつけて頑張りたいですね。僕の人生のなかで記憶に残る2024年になると思います。

――昨年、きただにさんが山口県庁を訪問した際に、「アニソンに救われた人間だからアニメとアニソンに恩返しをしていきたいです」という旨をおっしゃっていたのを記事で読みました(※1)。この気持ちは、今年も大きな原動力になっていくんじゃないですか?

きただに:はい、いつもその気持ちですね。それは「JAM Project」のメンバーたちもいつも言っていることでもあって。僕は、アニメ、ゲーム、特撮ソングに自分の人生を救ってもらったので、いつも恩返しの気持ちでいます。だから、いただいたお仕事の全部がありがたいんですよ。横浜アリーナで歌った次の日に段ボールの上で歌うとしても、「どこでも歌います!」って。フットワークが軽く、いろんなところで歌を届けられるのが、僕らの仕事なんですよね。

――海外で歌う機会も、これからもたくさんあるでしょうね。

きただに:そうですね。この前ロサンゼルスで初めて「あーーっす!」を歌ったんですけど、みんな盛り上がってくれました。

――さまざまなアニメソングを歌う機会が今後もあると思いますが、『ONE PIECE』はずっと特別であり続けるんじゃないでしょうか?

きただに:はい、特別です。ここで言っておけば有言実行になるかもしれないですけど、このアニメの最後のオープニングテーマは絶対に歌いたいです。最初の曲を作った3人で最後もやりたいですね。そして今までのすべての曲が、みなさんの心に残ってくれたらいいなあと思ってます。

※1:https://newsdig.tbs.co.jp/articles/tys/649119?display=1

(取材・文=田中大)

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