風とロック 箭内道彦×サンボマスター 山口隆 対談 故郷への想いを分かち合ってきた20年の交流

クリエイティブディレクターの箭内道彦、サンボマスターの山口隆による対談が実現した。

箭内が代表を務める「風とロック」を立ち上げた2003年、サンボマスターはアルバム『新しき日本語ロックの道と光』でメジャーデビュー。翌年、シングル『美しき人間の日々』のアートワークを箭内が手がけたことをきっかけに両者の交流が始まった。2010年には箭内、山口、松田晋二(THE BACK HORN)、渡辺俊美(TOKYO No.1 SOUL SET)という福島出身の4人によるバンド・猪苗代湖ズを結成。東日本大震災の年(2011年)には『第62回NHK紅白歌合戦』に出演した。

サンボマスターは3月30日、31日に開催されるイベント『箭内道彦60年記念企画 風とロック さいしょでさいごのスーパーアリーナ “FURUSATO”』にも出演する。20年以上にわたる両者の交流についてじっくりと語り合ってもらった。(森朋之)

“モヤモヤ”を打ち明けたことで意気投合

——「風とロック」の立ち上げ、サンボマスターのメジャーデビューはともに2003年ですが、最初にお二人が会ったのはいつなんですか?

山口隆(以下、山口):『美しき人間の日々』のジャケット(アートワーク)を箭内さんに作ってもらったんですよ。最初は「すごい人だから断られると思うけど、一応、頼んでみる」ってレコード会社のスタッフに言われたんですけど。

箭内道彦(以下、箭内):断るわけないよ(笑)。

山口:撮影は巣鴨駅で。僕らはツアー帰りだったんですけど、巣鴨駅に着いたら「やあやあ」って感じで箭内さんと平間至さん(フォトグラファー)がいたんです。「初めまして」って挨拶して、そのまま練習場まで歩いていく間に撮影は終わってました。

箭内:その後、蕎麦食ったよね。そこで福島のこととか、お互いに抱えていたモヤモヤしたこととか、いろいろしゃべって。簡単に言うと意気投合したんですよ。

——その頃に抱えていた“モヤモヤ”とは?

箭内:やっぱり故郷(福島)に対することですね。

山口:僕らもデビューしたばかりで、都会に対する憧れがありましたからね。道が広いとか、夜明るいとか、そんなことなんですけど。

箭内:特に田舎の出身だからね、この人は。

山口:(笑)。そのとき箭内さんは「わかるよ」って言ってくれて。そこからどんどん仲良くなりましたね。

箭内 その後「NO MUSIC, NO LIFE.」(タワーレコードのコーポレートボイス)にサンボマスターに出てもらって。2007年に山口くんと一緒に、ままどおるズを組むんですよ。最初のライブの写真を探してきたんだけど……(と言ってカバンから取り出す)。

山口:お! 箭内さん、いい顔してますねえ。

箭内:郡山のCLUB #9ですね。(Tシャツに)「I DON'T WANNA RETURN TO FURUSATO.」って書いてるね。

山口:このとき2人で「60年代のThe Rolling Stonesと同じ格好がしたい」って盛り上がったんですよ。ライブの利益を全部服に使ってしまったという。

箭内:(スタイリストの)伊賀大介に20万円くらい渡しました。このときのライブのタイトルは『207万人の天才』で。207万人というのは当時の福島の人口。今は180万人を切ってますけどね。それを当時の福島県副知事の内堀雅雄さん(現・福島県知事)が気に入って、ライブを観に来てくれたんですよ。楽屋にも来たから、僕が「副知事だからって、なんで楽屋まで入ってくるんだよ」みたいな態度を取ってたら、山口くんに「その対応はよくない」と叱られて。

山口:叱ってないですよ(笑)。箭内さんがすごく冷たい態度だったから、「せっかくライブを観に来てくれたんですから」とは言ったかもしれないけど。

箭内:そういう態度がロックだと思ってたんだろうね。この人(山口)は本物だけど、僕はロックに憧れてるだけなんで。内堀さんとはその後、仲良くなりましたけどね(笑)。

——山口さんが箭内さんを注意するという関係性が面白いですね。

箭内:僕と山口くんは12歳違うんだけど、むしろ僕が弟で、山口くんがお兄さんみたいなところがあって。

山口:いやいや(笑)。この年に出した「光のロック」のMVも箭内さんに撮ってもらったんですよ。

箭内:東京中の照明機材を集めてね(笑)。

山口:そうそう、あれはすごかった。失礼ながら僕は箭内さんに対して、自分と似た匂いを感じていて。そういう人がすごい作品を作っているのが誇らしかったんですよね。

福島への想いの変化から生まれた猪苗代湖ズ

——そして2009年には『207万人の天才。風とロックFES 福島』が郡山市・開成山野外音楽堂で開催されました。

箭内:その前、2006年と2007年に渋谷クラブクアトロで『風とロックFES』をやったのがきっかけですね。もちろんサンボマスターも出てくれて。『月刊 風とロック』(フリーペーパー)にも最多出場だし、とにかく山口隆が一番出てるんですよ。

山口:ありがたいです。猪苗代湖ズもありますからね。

箭内:そこに至るまでもいろいろあって。まず、松田晋二(THE BACK HORN)がままどおるズを見て、「俺も箭内さんと何かやりたい」って言い出して、ゆべしスを組んだんです。その後、リリー・フランキーさんを通して渡辺俊美(TOKYO No.1 SOUL SET)が「ままどおるズに入りたい」って言ってきたんですよ。で、薄皮饅頭ズを作って。3つのユニットが存在してたんですけど、2010年に平成の大合併みたいなことが起きて(笑)、「みんな一緒にやっぺ」と。それが猪苗代湖ズ。僕はギターしか弾けないし、山口くんも“唄とギター”なんで、俊美さんにベースを弾いてもらうことになりました。

山口:まさか猪苗代湖ズでフジロック(『FUJI ROCK FESTIVAL』)や『紅白』に出るとは思わなかったです。

——2011年に猪苗代湖ズは『紅白』で「I love you & I need you ふくしま」を演奏。福島の支援活動が広く伝わり、大きな注目を集めました。

箭内:運命論みたいなものは必要ないと思ってるけど、振り返ってみると逆算して動いていた気がするんですよ。人によっては(猪苗代湖ズは)「震災を契機に結成されたバンドでしょ」と思ってるかもしれないけど、結成は2010年なので。しかも「アイラブユーベイビー福島」(「I love you & I need you ふくしま」の原曲)もあったんですよ。だから震災を受けて「あの曲をレコーディングしよう」とすぐに動けたんです。震災が起きた後だったら怖くて(バンド結成とリリースまでは)動けなかったんじゃないかな。

山口:そうですね。ままどおるズを組んだ頃と比べると、自分たちの気持ちも少しずつ変わってきてたんですよ。さっきも言った通り2003年くらいは都会への憧れがあったんだけど、「やっぱ僕たち、福島が好きなんじゃないか?」と思うようになって。どんどん福島の良いところが見えてきて、それであの曲を書いたんです。

箭内:うん。ままどおるズで「福島には帰らない」という曲をやってるんですけど、福島は嫌いだって実際に歌ってて、『情熱大陸』(MBS・TBS系)に出たときもその曲が流れたんです。でも、山口くんも言ったようにちょっとずつ福島に対する気持ちが変わってきたから、今度は「福島に生まれなかったら僕は」という曲を作って。あの土地で生まれなかったら、今の自分はないと気づいたんですよね。それがたぶん2009年くらいなんだけど、そこから猪苗代湖ズにつながって。

——なるほど。2011年の9月には福島県内でイベント『LIVE福島 風とロックSUPER野馬追』を開催しました。

箭内:やりましたね。

山口:何カ所やったんでしたっけ?

箭内:6カ所だね。奥会津、会津若松、猪苗代、郡山、相馬、いわき。サンボマスター、このときも全部出てくれたんですよ。怒髪天、高橋優も全カ所来てくれて。

山口:箭内さんがやってくれたんだから、そりゃ集まりますよ。

箭内:初日の奥会津は、ままどおるズでも出たんだよね。「福島には帰らない」も歌ったんだけど、曲の意味合いが変わっちゃったでしょ? 帰りたくても帰れない人がたくさんいるなかで歌うのは、すごく重かったよね。

山口:そうですね……。最後にみんなで「トランジスタ・ラジオ」(RCサクセション)を演奏したのもグッときたな。あれはどこでしたっけ?

箭内:猪苗代だね。あの日、「ライブのやり方がわかった」と思ったんだよ。でも、相馬で調子に乗り過ぎて、またもや山口くんに怒られて。(猪苗代湖ズで)俊美さんに体当たりとかしちゃって、「楽しいのはわかるけど、やりすぎ」って(笑)。

山口:そんなこと言うなんて、僕も粋じゃないですね。ワーッ! ってやっちゃうのは全然いいじゃないですか。

箭内:いやいや、演奏に支障が出てたから(笑)。いわきは雨だったんだけど、そこで石井麻木さんが撮ってくれた僕と増子さん(増子直純/怒髪天)、山口くんの写真がすごく良くて。あれを遺影にするって決めてるんですよ。

山口:何言ってるんですか(笑)。

「福島が復興していく姿は、能登の人たちにとっても光になるはず」(箭内)

——郡山でサンボマスターが演奏した「I love you & I need you ふくしま」の映像は今もYouTubeに上がっていて。何度観てもグッときます。

箭内:あれは生配信の映像なんだけど、映像チームには「お客さんの顔をたくさん映して」と指示したんです。山口くんの歌を受け止めている人たちを撮りたかったし、その表情を伝えたかったので。

山口:そうだったんですね。箭内さん、イベントの収益はすべて寄付してるんでしょ?

箭内:そう。お客さんが楽しんでくれて、それが支援になるということですけどね。全部お客さんのお金なので。

山口:簡単にはできないことだと思います。『渋谷のラジオ』(震災時にラジオがコミュニティを繋いだ気づきから、ボランティアなどと共に作る渋谷のコミュニティFM)もそうですけど、こうやって続けているのがすごい。

箭内:支援って手分けするのが大事だと思ってるんだよね。みんなで同じことをやるのではなくて、それぞれができることをやる。あとね、福島が復興していく姿は、たとえば能登の人たちにとっても未来の光になるはずだと思っていて。福島を支えるというより、一緒に作っていくという役割なのかなと。

山口:箭内さんの名前って、どんどん大きくなってると思うんですよ、本人の意思にかかわらず。でも2人で話をしていると、福島訛りで「怒られてばっかりだぁ」とか言ってて。こんなこと言うと失礼かもしれないけど、愛おしいんですよ。

箭内:仕事のやり方がみんなに心配をかけるスタイルなんだろうね(笑)。周りの人たちが「大丈夫? 俺が宣伝してやらないと」と思ってくれるという。

山口:無防備なんですよね。さいたまスーパーアリーナのイベント(『箭内道彦60年記念企画 風とロック さいしょでさいごの スーパーアリーナ “FURUSATO”』)もすごいじゃないですか。今日はこの話をしにきたんですよ、僕は!

箭内:それはいいって。そうやってギラギラしてると、読んでる人も受けつけないよ。「いつの間にかイベントの話が混ざってる」というのをリアルサウンドさんも狙ってるんだから(笑)。

山口:(笑)。でも、よく(さいたまスーパーアリーナを)押さえられましたね。

箭内:ポロッとスケジュールが出てきたんだよね。「今日決めてもらえたら貸せます」と言われて、値段も聞かずに決めてしまって。あとで値段を知って「キャンセルできます?」と聞いたらダメだった(笑)。

山口:すごいな(笑)。僕らがこのイベントに協力させてもらったのは、もちろん箭内さんのためというのもあるんだけど、さいたまスーパーアリーナは2011年に……。

箭内:そう、福島の双葉町の人たちが避難生活を送った場所なんだよね。埼玉県もすごく無理して空けてくれて、一時期は町役場の機能も移していて。13年経って風化しているところもあるし、前に進むこともあれば後ろに下がることもあるんだけど、もう1回、みんなに思い出してほしくて。福島のことだけではなくて、みんなに一つずつある故郷を意識できる時間にしたいと思ってます。

乃木坂46とは対バン “故郷”でつながる各日程の見どころ

山口:素晴らしい。箭内さん、出演オファーのために僕らの練習場にわざわざ来てくれたんですよ。しかも菓子折りまで持って(笑)。

箭内:その流れで、さいたまスーパーアリーナでやることとか、対バン相手が乃木坂46ということも同時に通しちゃうっていう(笑)。

山口:乃木坂46と対バンって、すごい発想ですよね。それを聞いて「おー!」と熱くなりました。

箭内:対バンってライブハウスの言葉だからね、考えてみたら。乃木坂46のファンの人たちにサンボマスターを見てほしいという気持ちもあったし、僕は(乃木坂46とサンボマスターに)すごく通じるものを感じるんですよ。乃木坂のメンバーのみなさんも、異種格闘技戦ではなくて、自然なこととして捉えてくれてるんじゃないかなと。これは山口くんにも話したんだけど、キャプテンの梅澤美波さんのお母さん、お祖父さん、お祖母さんが福島県出身の方なんです。梅澤さん、「こういう形で福島に関われるのは嬉しいです」と言ってくれてました。

山口:嬉しいですね。僕らも、対バンさせてもらうことで勉強になることがいっぱいあると思うんですよ。初日(3月30日)の昼公演が、僕らと乃木坂46のみなさん。夜はMAN WITH A MISSION、BRAHMAN、ACIDMANのスリーマン。「箭内さん、この3組もすごいですね」と言ったら、「これはね、“MAN”つながり」って嬉しそうに言ってて(笑)。

箭内:いいでしょ。3バンドとも福島、東北に寄り添ってくれてるバンドなんだよね。

山口:そうですよね。そんで2日目(3月31日)の昼は、さだまさしさん。ここは対バンじゃないんですよね?

箭内:さださんの対バン相手は、さださんということだね。まず「20世紀のさだまさし(グレープも)」をやってもらって、その後「21世紀のさだまさし」が出てくるっていう。

山口:それもすげえな。しかもその間に立川談春さんが落語やるんでしょ?

箭内:そう。スタンディングエリアにござを敷いて、座布団持ち込みOKにします。

山口:面白い。そんなの普通、思いつかないですよ。

箭内:いきなり閃いたわけではなくて、悩みに悩んで決めたんだけどね。

山口:GLAYと怒髪天の対バンもすごいじゃないですか。

箭内:どちらも北海道出身だし、お互いにリスペクトしてるからね。増子さんもTAKUROも「対バンはしたくなかった」って言ってたけど(笑)、そこは還暦を切り札に使って、「俺のためにやってほしい」と。結局、自分が見たいものをやろうとしてるんだよね。

山口:こう言ってますけど、箭内さんは本当に控えめなんですよ。さいたまスーパーアリーナのイベントは箭内さんの還暦記念なのに、「俺のことはいいんだよ」って。

箭内:ステージにドリンク持っていったり、ケーブルの片づけとかはやるよ。

山口:そんなことまでやる主催者いないよ!

箭内:まあ還暦っていうのはあくまでもきっかけだからね。もともと記念日否定論者だし(笑)、本当はそれ自体はどうでもよくて。もちろん「これをやってほしい」と言われたら頑張りますけど……。そういえばTAKUROさんが「GLAYと箭内さんでなんか歌わないんスカ? なんなら新曲一緒に作っても楽しそうですね」と言ってくれて。曲を書いて前座をやることになったんだ。TAKUROとMICHIHIKO(笑)。

山口:ははは。僕らとも何かやりましょうよ。

箭内: 無茶振りやめて。

山口:いやいや、何度も一緒にやってるじゃないですか!

箭内:実際、中身の話はこれからなんだよね。今までは「チケットの先行予約、どうする」みたいなことばかりやってて。もう1カ月後に迫ってるから(取材は2月中旬)、何をやるかちゃんと決めていかないと。GLAYとかL'Arc-en-Cielとかって、当たり前のようにアリーナでライブをやってるでしょ? いざ自分がやると、こんなに大変なんだなって。人間って、本当に大きなものに直面すると深く考えなくなるんですよ。人間の危機回避本能なのかもね。こんな大きいイベントをやるのに頭が止まっちゃうというか。

山口:やっぱり面白いね、箭内さん(笑)。

「歳を重ねた分、愛しいものや温かいものを伝えられる」(山口)

——箭内さんは常々、「自分がやっていることはすべて広告」と話していますが、今回のイベントもそうなんですか?

箭内:そこは同じですね。さいたまスーパーアリーナでやるイベントに関しては、「故郷の広告を作りたい」ということなので。広告って対象の魅力を引き出したり、光を当てることだとも思っていて。サンボと出会った乃木坂46はいつもとは違う輝き方をするはずだし、やっぱり“広告”なんですよ。

山口:『渋谷のラジオ』でパーソナリティをやってる二瓶貴之くんは僕の友達なんですよ。そこでセレクトしたレコードをかけてるんだけど、そういうことができるのも箭内さんだからだと思いますね。

箭内:それも僕にとっては広告なんだよね。ラジオをやって二瓶くんがキラキラしはじめて、どんどん変わっていくわけじゃない? それを見るのが好きなんだよね。

——『さいしょでさいごのスーパーアリーナ “FURUSATO”』でも、その日だけのケミストリーがたくさん起こりそうですね。

山口:そうですね。「『風とロック』がオーガナイズするとこうなるんだ」という驚きがあるだろうし、とにかくポジティブなことしか起こらないと思うんですよ。

箭内:そうだね。

山口:さっきも話に出てましたけど、出演する方々は東北にずっと思いを馳せて、いろいろな活動をしていた人たちばかりで。福島や東北の方々も観に来てくださったら嬉しいし、できれば全国から来てもらえたらなと。箭内さんは還暦を迎えて、僕も年を重ねていますけど、その分愛しいものや温かいものを伝えられるんじゃないかと思っていて。

箭内:いいこと言うね。山口隆は本当に優しくて、すごく気を遣ってくれるんですよ。こうやって協力してもらうのも申し訳ないなと思ってるんだけど、俺も背に腹は代えられないので。

山口:背に腹は代えられないって(笑)。こういう正直なところもいいんだよな、箭内さん。応援させてもらいます!

(文・取材=森朋之)

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