手を触れずに魚を捌く伝統の儀式 将軍の料理番に連なる第十六代家元が復活させたのは、にぎり寿司の原型

手を触れずに魚を捌く超スゴ技

愛知県半田市は古くからの醸造蔵が立ち並ぶ歴史ある町。そんな半田市には「手を触れずに魚を捌く」ことができるスゴ腕の持ち主がいるとのウワサが! 南知多町内海にある温泉旅館・澄江にいるそうなので、さっそく会いに行きました。

古式ゆかしい「庖丁儀式」

魚には一切手を触れない

出迎えてくれたのは立派な装束に身を包んだ入口修三さん。荘厳な雅楽が流れる中、入口さんによるスゴ技が始まります。

まな板の上には一匹の立派な鯉が鎮座。すると入口さんはまな板の前で膝をつき、長い箸とギラリと光る庖丁で巧みに魚を捌いていきました。

長命の鯉

入口さんが披露したのは室町時代から続く「庖丁儀式」。材料がけがれないよう手を触れずに捌く、神事や殿上人の接待などハレの日に披露される特別な儀式です。

真剣な面持ちで庖丁と箸を巧みに操りながら鯉を捌くこと30分。魚には一切手を触れることなく、切り分けられた鯉による「長」「命」の2文字がまな板の上に浮かび上がりました。

将軍の料理番も務めた四條流・第十六代家元

四條流家元・入口柏修さん

入口さんは室町時代にルーツを持つ「四條流」の十六代家元です。四條流は江戸時代には歴代将軍の料理番として仕え、明治時代になると天皇の料理番も引き継いだ伝統と格式のある日本料理の流派。十六代家元の入口さんはまさに「日本料理界のレジェンド」なのです!

愛知県出身者で初めて四篠流の家元に

入口さんが門を叩いたのは東京・四條流。江戸時代の料理人が手書きで残した書物に感動し、図書館などでも古い日本料理の研究を重ねました。そして2010年に入口さんは四條流の十六代家元を継承。愛知県出身者が四條流家元を継承するのは初めてです。

代々伝わる秘技奥義の書物

かつてはカーネギーホールやベルサイユでも庖丁儀式を披露したという入口さん。現在は家元として、全国に約50人の門人(弟子)とともに、庖丁儀式をはじめとした四條流に伝わる古来の日本料理の文化を受け継いでいます。

四條流家元にのみ代々受け継がれてきたのが秘伝の書物。300年以上前から伝わるさまざまな庖丁儀式の切り方が描かれています。その数は鯉だけで40種類以上!

「野菜の剥きもの」は美しい芸術作品

すずめ山椒焼き

そんな入口さんは庖丁儀式以外にたくさんのスゴ技を持っています。そのうちの1つが「野菜の剥きもの」。「羽衣と宝船 小鯛船盛り」や「すずめ山椒焼き」など、刃物で彫り上げたとは思えない素敵な剥きものの数々は、息を呑むほどの美しい芸術作品です。こうした数々の功績が認められ、黄綬褒章も受章しました。

入口さんが復活させたにぎり寿司の原型「尾州早すし」

尾州早すし

そんな入口さんを中心に復活させたのが、江戸時代に出されたにぎり寿司「尾州早すし」。酒かすから生まれた安価な酢「粕酢」を使った赤い酢飯と、現代の寿司の3倍もの大きさが特徴です。

江戸時代の寿司は超塩辛い!?

半田は「粕酢」が生まれた場所。粕酢により安価な酢が全国に広まったことで、現代のにぎり寿司にも通じる早すしが生まれたといわれています。ちなみに「尾州早すし」の味は今の寿司に比べるとかなり塩辛いとのこと。入口さんいわく、「文献のまま再現すると食えないほど塩が入っている」とのことで、これでも塩分が控えめになっているといいます。

「おいしいと思って食べないで」と語る大将

その塩辛さは、実際に店で提供している寿司屋の大将も「おいしいと思って食べないでください」と言ってしまうほど。裏を返せば現代の寿司がどれだけ洗練されてきたのか、よく分かると入口さんは話します。

あえて昔のままに再現された「尾州早すし」を食せば、日本料理の歴史と伝統が垣間見えるかもしれません。

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