DCDと診断された息子。「100回練習しても字はうまくならない」と医師に言われ…涙が出るほどの後悔が【発達性協調運動障害体験談】

小学校に入学してから、字を書くことに苦労していたウノくん。

現在小学校6年生の男の子を育てるママで漫画家のオチョのうつつさん(東京都・42歳)。息子のウノくん(12歳)は乳幼児のころから、極端な運動の苦手さや不器用さがあり、オチョさんはそのことがとても気になっていました。
ウノくん自身も小学校入学後に学校での活動に消極的になっていたなか、10歳のときに、体の動きをコントロールする脳機能の発達の障害であるDCD(発達性協調運動障害)と診断されます。オチョさんに、診断を受けて変わったことについて聞きました。
全2回のインタビューの2回目です。

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DCDに詳しい先生に診てもらえることに

小学校の保健の先生に相談したところ、紹介されたクリニックでDCDに詳しい先生に診てもらえることになったのだとか。

乳幼児期から、息子のウノくんが極端に運動が苦手だったり、手先の不器用さがあることが気になっていたオチョさん。ウノくんが小学校4年生のあるとき、Twitter(現X)で発達性協調運動障害 (以下、DCD)について書かれた記事を見つけ、その特徴がウノくんにすべて当てはまる、と気づきました。

「小学校の保健の先生に、ウノの様子とDCDのことを相談すると、保健の先生は相談できる医療機関を紹介してくれました。都内にある、小児科や内科の診察のほかに小児の発達外来もあるクリニックでした。すぐにインターネットで予約をして、1カ月後に初診を受けることになりました。

初診の際、『息子がDCDかどうか診てほしい』と伝えると、医師からは『なんでDCDを知ってるの?どこで調べたの?』『それを知ってどうするの?』といったことを聞かれました。当時はまだDCDのことが社会でもあまり知られていなかったので、私のような相談が珍しかったようです。私が『インターネットの記事でDCDを知り、息子がもっと生活しやすくなる方法があれば知りたい』と伝えると、ちょうどその病院に、DCDに詳しい青山学院大学教授の古荘先生が診察に来る日があるということで、古荘先生に診てもらえることになりました」(オチョさん)

検査、そしてDCDと診断され、前向きな気持ちになれた

診断が出たことで、「今後の道筋が見えた気がした」とオチョさんは言います。

クリニックの初診から20日後、ウノくんはまずWISC検査を受けました。WISC検査は、子どもの全体的な知的能力や記憶・処理に関する能力を測る知能検査です。

「WISC検査がどのようなものなのか、どんなことをするのか私はわかりません。練習してしまうと正しい検査ができないということで、内容は公開されていないそうです。
DCDはほかの発達障害と併存することが多いということで、ウノの場合もDCD以外にADHDやASDとの併発があるかどうかを確認するために行われました。 そして、DCD自体の診断は問診によって行われました。日常生活で困っていることがあるかどうかや、その度合いでDCDだと診断されるそうです」(オチョさん)

オチョさんとウノくんは検査の1カ月後に、検査結果と古荘先生の診断を受けることになりました。

「古荘先生の診断ではひと言目に『はい、DCDですね。字なんか100回練習してもうまくなりませんよ』とほがらかに、そしてサラッと言われました。そのあまりにも簡単な言葉に、ショックというより、『はっきりサラッとすごいことを言うなぁ!』と笑いそうになってしまいました。私たちの場合、最初からDCDだと焦点を絞った相談だったこと、困りごとのエピソードが典型的なDCDだったことなどから一度の診察で診断を得ることができました。先生はウノにはいじめやうつなどの二次障害が出ていないということで、DCDがある子のサポートについて書かれた本を紹介してくれました。

さらに『診断結果をウノくんの小学校に伝えて合理的配慮をしてもらってください。診断書が必要なら書きます』とのことでした」(オチョさん)

合理的配慮とは行政や事業者が障害のある人に適切な配慮をすることです。ウノくんの場合は、板書が間に合わないならタブレットで撮影する、文具を使いやすいものに変える、図工や家庭科などの課題を持ち帰るなど、勉強しやすい環境を整えるために学校に協力してもらう必要がありました。

「そもそも、運動が苦手なことと不器用さとは別々の問題だと思っていました。それがDCDだと診断されたことで、道筋が見えた気がしました。ウノの不器用さや運動の苦手さは治るものではないとわかったと同時に、これまで何度も練習してできなかったことも、違うやり方で工夫すればできるようになるかも、と前向きな気持ちになることができたんです。

でも、ウノ本人は『僕は病院で診断されるほどだめだったんだ』と感じてショックだったようで、その後数カ月はしょんぼりしていました。そんなウノに、『ウノが悪いわけじゃないよ。これからはできないことをむやみに頑張るんじゃなくて、やり方を変えてみよう。私も本を読んで勉強するから、どうしたらウノがもっと暮らしやすくなるか一緒に考えていこうね』と話しました」(オチョさん)

やり方を工夫したらどんどん積極的になった息子

道具や勉強方法を工夫したら、ウノくん自身もどんどん積極的に。

オチョさんが担任の先生にさっそくウノくんのDCDについて相談をすると、とても協力的に対応してくれました。

「ウノは字を書くのが極端に苦手なので、板書もノートに字を書き写すのではなくて、タブレットPCで撮影したり、タイピングをしていいですよ、と言ってくれました。それまでウノはノートを全然取っていなかったし、字が書いてあっても読めないしで、評価も低いままだったんです。でも、タイピングでノートを取るようになってからは本人はだいぶ楽になったようでした。さらに、そのようなことを続けていたらノートを取るコツをつかめたらしく、手書きでも少しずつノートに板書を書き写せるようになってきました。

さらに、勉強道具も工夫しました。書字をするために握りやすいシャープペンシルに変えたり、リコーダーの穴にシリコンの弁がついていて穴を押さえやすいものに変えたり。担任の先生は、ウノの DCDの特性についてクラスメイトに伝えてくれるとともに『通常は鉛筆じゃないとだめというルールにしてるけど、ウノくんはシャープペンシルを使うよ』とも話してくれました。ウノは周囲のお友だちに知ってもらうことで、自分の特性を引け目に感じることはないんだ、と思えるようになっていったようです」(オチョさん)

それからのウノくんは、先生たちも驚くほどに学校での取り組みに積極的になっていきました。

「学校の係で人前に出ることを引き受けたり、音楽会でピアノ伴奏に立候補したり(落選しちゃいましたけど)、いろんなことに自分からチャレンジするようになりました。ほかのクラスの先生からも『ウノくん、変わったね。すごく明るくなったね』と評判だったようです。

字を書くことが苦手なウノは国語以外の教科でも、文字を書くアウトプットが難しいんです。算数の計算も理解はしているけれど、計算式を書くのが嫌だから暗算で答えを書くので、答えが合っていても点数をもらえない。『評価されない』 『自分はできない』という苦手意識からほかのことにも消極的になってしまったんだと思います。DCDだとわかってからはできないことを指摘されることが減ったということもあるかもしれません。苦手な運動でも、自分のできることをみつけて楽しんで取り組めるようになりました」(オチョさん)

DCDと知って親子ともに気持ちが楽になった

学習への対処法がわかって、「怒ることが減った」とオチョさんは言います。

息子のウノくんの運動の苦手さや不器用さを、親の自分がなんとかしなければ、と頑張ってきたオチョさん。何をやっても効果がなく苦しい思いをしていましたが、DCDと診断され工夫のしかたがわかったことで、「怒ることが減った」と言います。さらにウノくん自身の頑張りをたくさんほめてあげられるようになったそうです。

「小学校低学年のときに、泣きべそをかきながら漢字の書き取りを練習するウノに『泣いてもうまくならないよ!』『なんでもっときれいに書けないの!』と、かなり厳しくしてしまいました。当時のことをウノに謝ったら、『何度も書かされるのがいちばんつらかった』と。つらいことをさせてしまった、と涙が出ました。

DCDのことを知らなければ、お互いに苦しいままだったかもしれません。でも、DCDとわかったことで、対処法がわかりました。今は、『テストでは採点する人が読めるようにゆっくり書こうね』とは言いますが、『教科書のようにきれいに書きなさい』とは言わなくなりました。

できないことを無理に練習させないで、ゆっくり時間を書けて寄り添ってあげればよかった。知らなかったにせよ、あのころのことをすごく後悔しています」(オチョさん)

ウノくんは現在小学校6年生。進学にあたって、オチョさんは中学校の先生にも合理的配慮をしてもらえるように話をしました。

「秋ごろに進学予定の中学校に連絡し、副校長先生が対応してくれました。先生に、息子のDCDの特性について説明し、たとえば体育祭の大なわとびでウノ1人だけ跳べないときに、何度も生徒たちの前で練習をさせるようなことはしないでほしいこともお願いしました。ウノ1人ができないからクラスの記録が伸びない、となったら本人が苦しくなってしまうからです。

そしてDCDサポートの本を渡すと『職員と情報共有して、その都度柔軟に対応します』と言ってくれ、『もしテスト用紙が書きづらければ倍の大きさのものを用意することもできます』と前向きに対応してくれることとなり、本当にありがたかったです。
合理的配慮についてはここ数年で理解が広がっていると思いますし、今、社会が変わろうとしているときなのかな、と感じました。先生方や、学校生活で一緒に過ごす人たちには、温かく見守ってほしいなと思います。

もし、これから相談をしようと思っている人は、最初から『DCDかもしれない』とハッキリと名前を出して相談することをおすすめします。DCDはまだまだ知られていなかったり対応できない医療機関もあるそうなので、対応できる施設や医療機関を紹介してもらえたり、スムーズに診断に繋がれる可能性が高まるそうです」(オチョさん)

お話・イラスト/オチョのうつつさん 取材・文/早川奈緒子、たまひよONLINE編集部

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オチョさんがSNSでウノくんのDCDのことを発信したところ、出版社から連絡があり、2023年8月にDCDの本を出版しました。オチョさんは「以前はDCDとわからず理解もされず、傷ついたまま大人になった人もいると思います。DCDが広く理解されることで、DCDがある大人ももう少し気持ちが楽になったらいいな、と強く思います」と話しています。

●この記事は個人の体験を取材し、編集したものです。
●記事の内容は2024年3月当時の情報であり、現在と異なる場合があります。

オチョのうつつさん

PROFILE
漫画家、ブックデザイナー。「本当にあった笑える話」で『しゃんしゃん婆ミツコ御年90歳!』(ぶんか社/2021)で漫画家デビュー。ほか『サレ妻デザイナーの私を見て笑え!! 』(ぶんか社/2023)など。

『なわとび跳べないぶきっちょくん ただの運動オンチだと思ったら、DCDでした!』

「なわとびが跳べない」「字がきれいに書けない」息子のウノくん。原因はどちらもDCD(発達性協調運動障害)だったと判明。幼児期の様子からDCDの診断を受けたあとまでをマンガで描く親子の成長物語。オチョのうつつ著、古荘純一 監修/1760円(合同出版)

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