【コラム】川崎の募金活動に見た積み重ねの大切さ。中村憲剛も胸を張ったクラブの伝統と選手たちの想い

そこには“いつも”の光景があった。

東日本大震災から13年。川崎フロンターレは毎年続けてきた募金活動を今年も実施。

3月10日は前日にリーグ・3節の京都戦を戦った選手たちが新百合ヶ丘の駅前で、11日にはOBの中西哲生、中村憲剛、U-12選手の選手たちが武蔵溝ノ口駅、溝の口駅の前で募金を呼び掛けた。

川崎は、クラブ独自の被災地復興支援活動として「東日本大震災復興支援活動Mind-1ニッポンプロジェクト」を2011年に立ち上げ、「支援はブームじゃない」を合言葉に、継続的な活動を行なってきた。

2015年には「支援から交流へ」と、岩手県陸前高田市との友好協定「高田フロンターレスマイルシップ」を締結。

毎年3月11日には川崎市内の駅にて、選手、クラブスタッフ、ボランティア、サポーターによる、募金の呼びかけを実施してきた。

13年を経て当時の記憶の風化を指摘する声も増えてきた。それでも川崎はクラブ内で想いを共有し、伝承しているのである。

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試合翌日、選手たちが街頭で募金活動をすることに関しては、コンディション面で賛否両論あるのかもしれない。それでも多くの人とつながり、少しでも笑顔を届けるために一歩ずつ歩んできたのが川崎である。その歴史は今の現役選手にも引き継がれていると言えるのだろう。

プロスポーツはピッチの上で勝負するもの、ピッチで結果を出してこそ、という考え方もあるだろう。それでも川崎は川崎らしいやり方でタイトルを獲得してきた。川崎一筋18年、2020年限りで現役を引退した中村憲剛も熱く語る。

「あれから13年、いつになっても、何年たっても忘れることはないですし、現役時代、引退後も陸前高田に何回も行かせていただいて、復興までの過程を見ながらやらせていただいていますが、やっぱりすぐにはいきません。新しい街並みになっていますが、住んでいる方々らは想いはまったく変わっていないはずです。

そういう意味では今年で13回目、13年目ですが、いろんな人たちの想いをつないで、昨日も現役の選手たちが活動してくれていましたが、彼らの多くは当時のことを知らないわけで、クラブがそういう活動をしているからこそ、自分たちが賛同して、先頭に立って、前の日に試合があってもやってくれているのは本当に頭が下がる想いです。

だけどそういうクラブであることを理解してくれた選手たちがああいう活動をしてくれるというのは本当にOBとしてもすごく嬉しいですし、今日はアンダー12の選手が来ていますが、彼らは当時生まれていません。

でも、自分たちがフロンターレにいて、どういうクラブで、どういうことをしているのか、彼らも多分、この短い時間でしたが、彼らなりに感じることは多かったでしょうし、ただやるのではなく、フロンターレの一人ひとりのこの活動に対する想いは今も昔も変わらずに、新しくなっていくと思っています。そういう時間だったと感じています。

そして次への関係性を作れたら良いなと。募金をしてくださる方々も、昔からしてくれる方もいれば、新しく来てくださっている方もいるので、みんなで忘れずに風化させずにやっていけたらと思います」

そのコメント通り、U-12の選手たちもクラブの一員として感じることはあったのだろう。中村憲剛はこう続ける。

「正直、彼らは自分事にするのは難しいと思うんです。まだ生まれていなかったわけですから。でも、自分のクラブが何をしているか、意義、意図を感じることは、すごく大事なことだよと伝えました。今日も声も含めて元気にやってくれましたし、彼らの中に彼らなりの何かが残れば良いなと、それがこのあとのクラブを作っていくはずです」

そして「サッカー選手はピッチの中だけでなく、ピッチの外でもやれることがあるということを教えてくれるクラブでもありますから」とレジェンドは改めて胸を張った。

中村憲剛の背中を追ってきた選手たちが、その想いを引き継ぎ、また次世代へとバトンを託す。その構図は震災を経験してきた人たちも同様なのだろう。

「支援はブームじゃない」。こうした活動、想いは、ぜひとも続いていってほしいと改めて強く感じた。

取材・文●本田健介(サッカーダイジェスト編集部)

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