「精魂尽き果てるまでやり切って引退したほうが絶対に良い」中村憲剛はなぜ現役選手にそう訴えるのか「非日常を演出できる側って...」

フットボーラー=仕事という観点から、選手の本音を聞き出す企画だ。子どもたちの憧れであるプロフットボーラーは、実は不安定で過酷な職業でもあり、そうした側面から見えてくる現実も伝えたい。今回は【職業:プロフットボーラー】中村憲剛編のパート5だ(パート6まで続く)。

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「現役引退後、憲剛さんはプロフットボーラーという職業をどう捉えていますか?」

そうストレートに訊いてみた。スタジアムでもう高揚感や絶望感をダイレクトに味わえないわけで、その感覚がどうなのかと興味があったからだ。憲剛さんの答は至ってシンプルだった。

「羨ましいです」

そして憲剛さんは「良い職業でした。めちゃくちゃ」と続けた。

「適切な言い方ではないかもしれませんが、まず、コスパが良いです。極論、2時間練習して、それ以外は自由時間ですから。なのに、良い給料をもらえる」

確かに、そういう考え方はある。ただ、憲剛さんの「羨ましい」は別の側面にもある。

「スタジアムの視線を一身に集め、観客を興奮させたり、感動させたり、はたまた悔しい気持ちにさせたり、非日常を演出できる側ってやはり特別です。演者の感覚を超えるものに引退後は出合ってないです」

だから、憲剛さんは現役選手に訴えたいことがあるという。

「何かやり残したことがある状態、少しでも気になることがある状態で身を引いてほしくないです。そろそろかなではなく、精魂尽き果てるまでやり切って引退したほうが絶対に良いよって。引退したら基本的にはピッチにプロ選手として戻れません。プロとしてサッカーをやる資格がなくなってしまうので。僕の場合は、それを理解してやめているからいいんです。戻れないのを分かって、覚悟を決めて引退したから」

現役選手に、この言葉はどう響くのか。少なくとも、川崎のベテラン戦士には自分の声が届いていると信じている。

「今のフロンターレだと、(チョン・)ソンリョン、アキ(家長昭博)らがチャレンジしていると思います。彼らの中に0.01パーセントでも『中村憲剛は40歳までやったな、だから俺もやらなきゃいけない、やろう』って、そんな思いや覚悟が芽生えていたら、自分が残したものはあるのかなと」

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現役引退後の憲剛さんは、文字通りマルチな活躍をしている。育成年代を指導するだけではなく、解説者、普及者と複数の顔を持つ。一体、この人の肩書きはなんなのか? それを訊いてみると、本人も「なんですかね?」と反応する。

ひとつ例を出すと、言わずと知れたイチローさんの肩書きは、ある広告を見ると「アスリート」となっており、MLBのシアトル・マリナーズでの「会長付特別補佐兼インストラクター」というのもある。なので、憲剛さんの口からどういう答が出てくるか気になっていたので訊いてみたのだ。イチローさんの例を伝えると、憲剛さんは「僕もひとつじゃないです」と話し始めた。

「大きく括ると、指導者であり、解説者であり、普及者であると思います。より細かく言うと、FRO(Frontale Relations Organizer)、中央大学のテクニカルアドバイザー、JFA(日本サッカー協会)のロールモデルコーチ、ミズノさんのブランドアンバサダー、Jリーグの特任理事、フットボール委員会…。サッカー関連でいろんな肩書きをいただいています」

この話の流れで「現役時代の実績がこういう肩書きにつながっていますか?」と質問すると、憲剛さんは「100パーセント、そうです」と断言した。

「現役時代の実績が信頼に繋がっています。中村憲剛にこの仕事なら任せられると、そう思わせるような選手生活を送ったからこそ今があるわけです」

「元日本代表」「ワールドカップ出場」などの肩書きが付くか否かで、セカンドキャリアの生き方は変わってくるだろう。「元日本代表」という価値を憲剛さんはどう捉えているのか?

「日本代表に入ると、みんなの見る目がガラッと変わりますよね。それに『元日本代表』の肩書きはどの仕事をしても入ります。ただ、光栄だなと思うと同時に、プレッシャーもあります。しっかりしないといけない、何事も」

例えば日本代表戦の解説を担当したとして、視聴者の期待は大きい。あの中村憲剛が解説してくれる、きっと深い話をしてくれるだろう、と。そうしたプレッシャーも多少なりとも感じているという。

「僕も小さい頃からサッカー中継のいち視聴者でしたから、(解説業で視聴者に)落胆された時のショックが大きいのはわかっています。だから、そうならないようにちゃんと準備と予習をして臨みますし、視聴者の皆さんのためにわかりやすく伝えようと試みていますが、『まあ、元日本代表だし、それくらいは当然だよね』ってなる。(元日本代表の肩書きがつけば)必然的にハードルは高くなりますよね」

とはいえ、日本代表は「やっぱり認知度がすごく高まる場所」。その実績があったからこそ、JFAから「ロールモデルコーチ」を任された。

「現役時代に培ってきたものもそうだと思いますが、引退後の3年の活動も要因であることは間違いないと思います。3日間という短い時間でしたが、本当にいい経験をさせていただきました。代表経験がなかったら呼ばれてないでしょうし、フロンターレだけでやっていたら、協会の人たちはきっと僕の人となりを知らないし、何をしてきたかも細かく分からないわけで。同じロールモデルコーチの(阿部)勇樹、(内田)篤人ほど僕は日本代表でレギュラーとして出場した試合は多くはありませんでした。途中出場も多い68キャップですから」

だからといって、「引け目は感じていない」。

「篤人は高体連、勇樹はユース、自分は高体連から大学と、みんな道筋は違うけどプロとして日本代表として同じステージでやってきましたから。A代表の実績があったからこそ、ソリさん(技術委員長の反町康治)や田嶋(幸三)会長が(ロールモデルコーチに)選んでくれたと思います」

ここまで憲剛さんは、選手として人として成功するためのマニュアルみたいな話をしてくれた。しかし、素直に思う。憲剛さんの真似はなかなかできない、と。だから、正直に「今回の取材、他の選手にとって参考になりません(笑)」と告げると、本人は笑いながらこう返してくれた。

「白鳥さん、だから、いいんじゃないですか(笑)」

その真意は?

<パート6に続く>

取材・文●白鳥和洋(サッカーダイジェストTV編集長)

<プロフィール>
中村憲剛(なかむら・けんご)
1980年10月31日生まれ、東京都出身。川崎フロンターレ一筋を貫いたワンクラブマンで、2020年限りで現役を引退。川崎でリレーションズ・オーガナイザー(FRO)、JFAロールモデルコーチなどを務め、コメンテーターとしても活躍中だ。

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