「一拍目の音を聴いたとき涙が出た」全国でも珍しい市職員が作る「高松市役所吹奏楽団」60年以上の歴史を繋ぐ【香川】

高松市に、市の職員による吹奏楽団があるのをご存じでしょうか。結成は昭和35年。実に60年以上の歴史がある「高松市役所吹奏楽団」です。音楽を通じて市役所と市民の懸け橋にと、活動を続けています。

1960年結成の公設楽団「当時は市販の楽譜が少なく自分で書いた」

(歌劇「ザンパ」序曲)

金管楽器の重厚な音色が、聴く人を惹きつけます。演奏するのは、高松市の職員たちです。「高松市役所吹奏楽団」。恒例の定期演奏会は、今年で50回目を迎えました。

1960年、市民に親しまれる市役所をと結成された、公設の楽団です。市が主催する式典をはじめ数々の行事に参加し、演奏で花を添えてきました。

客席に、感慨深げな男性の姿がありました。楽団の結成に奔走した新名宣昭さん、87歳です。

音楽好きが見込まれて、若手職員だった新名さんに白羽の矢がたったといいます。25人の職員を集め、練習を積み、結成にこぎつけました。

(新名宣昭さん)
「当時の國東照太市長がこの吹奏楽団を作って市の広報の方へも役立てたい。市民の方々にいい音楽、楽しい音楽をおくりたいと」

6年後には指揮者となった新名さんでしたが、当時は市販の楽譜が少なく、自分で書くなど、苦労も多かったといいます。

(新名宣昭さん)
「行事にふさわしいとか関係のある曲目とかそういったものは売ってないですから、猛烈に書きましたね。楽譜コンサートバンドを目指さないと高松市民が誇りとする楽団にはならないだろうと」

全日本吹奏楽コンクールで何度も入賞するなど、実力を蓄えた60年あまりです。

楽団を支えるひとりが新名さんの孫、中原輝星さん

いま、楽団を支えるひとりが中原輝星さん。実は、新名さんの孫です。中原さんも高松市に就職し、祖父がたちあげたこの楽団に入りました。

(新名宣昭さん)
「ほんと。よくここまでつないでくださったですよ」

(中原輝星さん)
「そういうのを聴いたら余計、身が引き締まりますね」

かつては各地にあったという、公設の吹奏楽団ですが、時代の流れとともにその数は減っています。いま市の公設として残るのは、高松市と山口県下関市の2つのみです。

いまは、中原さんをはじめとする約50人の職員が、昼間はそれぞれの部署で働きながら、楽団の歴史をつないでいます。

練習場所は、市役所の会議室。仕事を終えたメンバーたちが集まってきました。演奏会の本番を直前に控えたこの日は、緊張感が漂います。

「ラーリララッパッパヤッパッパ、ここまでほぼインテンポで行きます。遅くしません。その修正をお願いしたいです。ということで頭からいきましょう」

(高松市役所吹奏楽団 六車明人キャプテン)
「すごく歴史の重みというのを自分たちも感じながら、ぜひ定期演奏会に来ていただいたお客さんが楽しめるよう頑張りたい」

本番当日「一拍目の音を聴いたときびっくりした。涙が出た」

そして迎えた、本番当日です。

楽団にとっては、1年の活動の集大成。そして50回目の節目という大切な定期演奏会です。

美しい旋律のクラシックにミュージカルやゲーム音楽、誰もが口ずさめる曲も。趣向を凝らしたプログラムと堂々とした演奏に、割れんばかりの拍手が贈られました。

(新名宣昭さん)
「一拍目の音を聴いたときびっくりした。涙が出た。もうその後も何回も涙が出て。65年も前の話やけんな。最初は」

第1回の定期演奏会のメンバーの姿も。

「第1回の定期演奏会のコンサートマスターやけんな。ああ、もう会いたかった」

(新名宣昭さん)
「なりたいなと思っていたコンサートバンドになれた。思った以上の演奏です。音もきれいだしね。ほんとに」

(大西秀人 高松市長)
「この楽団だからこそいろいろできる。演奏会とか市民のみなさんに音楽の楽しさを知っていただく催しとか、そういうものをより充実していけたらなあと」

(中原輝星さん)
「次回は51回目。またどんどん回を重ねていけるかなと思うんですけど、目標は変わらず市民のみなさんにいい音楽を届けられるように。これからも頑張って活動していきたいと思います」

市民との架け橋としての決意を新たに。これからも音楽を届けます。

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