目や耳が不自由な人でも誰でも一緒に楽しめる「日本で唯一のユニバーサルシアター」を誕生させた女性

(撮影:五十川満)

映画館がある。そこは日本初にして唯一のユニバーサルシアターだ。ユニバーサルとは、身体能力の違いや年齢、性別、国籍にかかわらず、すべての人が普遍的に、という意味をもつ。

障害者と健常者の区別も、子連れや盲導犬同行への無理解もない、誰もが幸せなシアター・オブ・ドリームス。

夢を実現させた女性とは──。

■一度は廃業の危機に陥るも、音声ガイド付きの映画館づくりに奔走

’14年11月、シネマ・チュプキの前身となる「アートスペース・チュプキ」が、北区のJR上中里駅前にオープン。

「この活動のそもそものきっかけが『街の灯』でしたが、自分たちでつくる映画館の名前には“光”にちなんだもの、それも暗闇を照らす“月”にまつわる言葉を探しました。そして、ふとアイヌ語を調べていて“チュプキ”と出合ったんです。これだ、と」

ところが平塚さんは、映画館開業のための手続きがさまざま必要なことを知らずに、オープン翌日から廃業の危機に陥るのだった。

「お恥ずかしい話ですが、シティ・ライツ以来、目の前の困っている人のために何とかしたいとの思いだけで走り続けてきて、このときも事前に消防署や保健所への届け出が必要という興行場法のことすら知らなかったんです」

結局、月4回しか営業できないという変則的な上映スタイルを受け入れるしかなかった。

「でも、厳しい制限のあるなか、北区の地域文化振興の助成金交付の審査会場で、子育て支援のNPOグループのママさんたちと知り合い、それがのちの親子鑑賞室につながるんです」

この前向きさ、ひたむきさが、再び新たな道を開いていく。

「’16年の年明けでした。アートスペースの場所を大家さんの事情で立ちのかなくてはならなくなり、すぐに物件探しを始めました」

そして見つけたのが、現在の場所。まだ工事中だったが、2階には15畳の防音室もあるという。

「よし、ここで音声ガイドの録音もできるなと。さらにスケルトン状態だった1階に足を踏み入れた途端、ドンツキの正面にスクリーンのある光景がパーッと浮かんだんです。さあ、動き出せるぞと張り切っていた矢先、また難題が」

設計会社の見積金額は1階の防音工事だけで1,500万円。愕然としてしまう。これまでずっと支えてきてくれた夫も、「どうやって、そんな大金を作るの。借金したとしても、責任は取れるのかい」と、今回ばかりは諸手を挙げての賛成とはならなかった。

「その後、義父が説得してくれたようで、夫も『応援するから頑張れよ』と言ってくれました。シティ・ライツの仲間も『勝負するなら今でしょ、協力するから』と。わが家の貯金から補償金と敷金を払うことで賃貸契約を結び、防音工事の費用はクラウドファンディングで集めることにしました」

5月にクラファンが始まると、8月には目標金額を超える1,800万円以上が集まった。平塚さんの15年越しの思いが、館内の設備一つひとつに込められていく。

全座席に、音声ガイドを聴くためのイヤホンジャックを付けた。FM電波ではなく有線でつないでいるため、ノイズの混入もない。スピーカーにもこだわった。

「音が目の代わりを果たすようにと、大ヒットアニメ『ガールズ&パンツァー』を手がけた音響監督、岩浪美和さんが協力してくださり。椅子も、渋谷のシアター・イメージフォーラムが同時期に座席の入れ替えをしていて、運よく譲り受けることができました」

最後部の車いすスペースの背後には完全防音の親子鑑賞室もある。

「赤ちゃんや子供連れの人はもちろん、暗闇や大音量が苦手な感覚過敏の人もいます。マスコミに取り上げられたこともあって、チュプキを“障害者のための映画館”と思われている人も多いようです。しかし、シティ・ライツは目の不自由な人が対象でしたが、ここでは、誰もが一緒に映画を楽しめるユニバーサルシアターを目指しました」

オリジナルの音声ガイドは、2階の制作室で作られている。また興味深いのは、“障害者料金”がないことだ。

「ここチュプキは社会的、環境的な障害者は存在しない映画館にしたい、と思っていたから。その代わり、介助者は無料にしました」

’16年9月1日、いよいよシネマ・チュプキ・タバタがオープン。こけら落としはチャップリン特集と、アメリカの砂漠に立つモーテルでの人間模様を描いた『バグダッド・カフェ』だった。

「この映画を最初に観たのは、大学2年のころ。姉のことでも深い悩みのなかにいて、登場人物に自分たちを重ねながら癒されていることに気付いたり。いつか私も、訪れた人を優しく迎え入れる砂漠のオアシスのような場所を作りたいと、初めて思いました」

夜7時30分からの上映を、平塚さんは映写室で作業しながら観ていた。気付けば、流れてきた主題歌『コーリング・ユー』を聴きながら、涙が頬を伝っていた。

「映写室からは、スクリーンがちょっと明るくなる場面だと、観客の表情が見えるんです。実は私、映画を観てるお客さんの顔を見るのが大好きで、その様子を見てたら、もうダメでしたね」

映画を通じて、すべての人に寄り添っていくという平塚さんの夢が大きく動き始めた。まっすぐな思いは、周囲をも変えていく。

商店街入口にある横山商店店主の横山政明さんは、

「最初にバリアフリーの映画館ができると聞いて、商店街のみんなもちょっと心配してた。だって見たことのない世界だから。でも、そのうち盲導犬を連れた人が道に迷っていると、店先の誰かが『映画館ですか』『案内しようか』と、ときに肩に手をかけて声をかけるようになってた。平塚さんの映画館ができて、この街そのものが優しくなったように思うんだよ」

■「人生を変える映画と出合ってほしい」。小さな映画館だからこそできることを

「営業的には赤字の幅が少し狭まったくらいで、いまだに私は無給で働いています。でも、それができるのも、夫が常勤の仕事で支えてくれるからです。20歳のときの交通事故で失明した夫とは、シティ・ライツの活動を通じて知り合い、’03年秋に結婚しました。ものすごい努力家で、障害者雇用の先駆けともなった人なんです」

上映の合間の午後2時過ぎ、隣の安売りスーパーで買ってきたというパックの野菜ジュースと菓子パンを頬張りながら、平塚さんは言う。

取材に訪れた日、上映していたのは、ダウン症の弟とその兄が登場する『弟は僕のヒーロー』。観終わったばかりの観客のなかに、盲導犬を連れた、全盲の声楽家の天野亨さんがいた。

「年間50回は通っています。この映画館は、私たち目の不自由な者を本当に映画を観た気にさせてくれる、楽園のような、なくてはならない場所です。できれば、日本中の都道府県に1館ずつ普及してほしい」

現実に平塚さんのもとには、地元でユニバーサルシアターを開きたいという熱意ある視察者などが、全国から、さらには世界中からも訪れているそうだ。

前出の田中さんは、現在では音声ガイドモニターを務めながら、ふだんも盲導犬と一緒に鑑賞するチュプキの大ファンのひとり。

「洋画が好きで、毎年のアカデミー賞の話題作も、いつも観たいと思っています。ただ洋画に関しては、邦画に比べて、ほとんど音声ガイドが付いていないのが非常に残念です」

現状では、音声ガイド付きの映画は、まだ公開作品全体の1割程度で、特に洋画は権利の問題などがあって困難という。しかし、それを嘆く前に、平塚さんの、できることから自分たちで果敢にチャレンジしていくという姿勢は変わらない。

今週から上映される『「生きる」大川小学校 津波裁判を闘った人たち』では、スクリーン下に手話通訳者の映像が入る“字幕・手話合成版”での上映となる。

「小さな映画館だからこそ、できることもあるし、お客さんとの距離も近い。なかには、『ここで観た映画で転職を決意しました』という人もいます。あきらめてばかりの人生って、つまらないじゃないですか。かつての私のように、映画を観て一歩を踏み出してほしい。私には子供がいませんから、最近、特に若い人たちに、そんな人生を変えるほどの映画と出合ってほしいと思うんです」

暗転した館内にともるスクリーンの光が、今日も、障害のあるなしにかかわらず、すべての人を温かく包み込んでいく。

(取材・構成:堀ノ内雅一)

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