『舟を編む』ドラマ版だからこそ描けるもの “言葉をめぐる冒険”はいつまでも続いていく

“右”を説明してください、と言われ、岸辺みどりは紙に大きく「→」と書いて掲げる。同じ問いに対して原作の馬締光也は「体を北に向けたとき、東にあたる方」と答え、映画版では「西を向いたとき、北にあたる方」と答えていた。世の中に数ある辞書のなかには「箸を持つ方」などと当然のように書かれているものもあるが、それは左利きの人間を考慮に入れていない、極端な言い方をすればマイノリティを透明化した語釈である。「この辞書を開いたとき、偶数ページにあたる方」と読者の視点によって成立する画期的な語釈もあるようだが、冒頭の岸辺の回答はそのどれよりも端的でわかりやすい。

現在放送されているドラマ『舟を編む~私、辞書つくります~』(NHK BSプレミアム)は、映画とアニメで映像化されてきた三浦しをんの小説『舟を編む』のテレビドラマ版。これまでは馬締を軸にした物語が紡がれてきたのに対し、今作では馬締は助演ポジションにシフトし、同じ出版社のファッション誌編集部から異動になってやってきた新人辞書編集部員の岸辺みどりが主人公として描かれる。

原作小説では第4章の語り部であり、映画では後半パートに入ってから登場し、黒木華が演じていた岸辺。いわば今回のドラマ版は、馬締という不器用な男が辞書編集部に誘われて中型辞書『大渡海』を発売するに至るまでの15年あまりの軌跡をたどる『舟を編む』というストーリーのなかのほんの一部を抽出し、拡張する。増補改訂版といったニュアンスだろうか。

単に岸辺の関わるシークエンスーーすなわち原作の第4章を拡げていくわけではない。原作、映画ともに1995年の馬締が辞書編集部に入ったころのエピソードと、そこから12年先(映画では2008年と明示される)の『大渡海』完成・発売を翌年に控えたタイミングの物語を2部構成のような形式で展開していったが、今作では時代設定を限りなく現代に近い2017年に定めている。

現代では一般的に使われるようになった言葉をすくいあげ、そして現代の価値観でもってあらゆる言葉の語釈を紡ぎだしていく。しかも時代設定をそのまま10年ほど後ろに引っ張ったわけでもなく、第4話の劇中でも触れられていた通り、『大渡海』の発売予定は2020年。まだ彼ら辞書編集部員は言葉の大海原を渡るための舟を編む道の半ばであり、辞書編集作業の途方もなさを改めて物語ることになるのだ。

それを象徴する代表的なところといえば、第2話で描かれた「恋愛」の語釈をめぐる一連のやりとりであろう。原作でも1995年のパートで馬締が香具矢と出会った直後のシーンで悩み、やがて岸辺の登場後に再び俎上に載せられる“特定の異性”や“男女”と限定するべきか否かという議論である。新しい時代の辞書として、誰も取り残さない舟を作る。原作では触れられなかった“典型的例”という考え方の意味を見つめ、冷静かつ平等な言葉の観察者として、言葉という武器、言葉という資材をもって言葉自体に、そしてそれに触れる言葉をもった人々へ思いを巡らせていく。

言葉尻だけを拾い、揚げ足を取り、言葉を軽薄で短絡的な武器として扱いがちになった現代において、こうしたニュートラルな視点、すなわち辞書編集の過程にある“言葉をめぐる冒険”は必要不可欠な描写であるといえよう。その際に馬締が岸辺に言う、「上手くなくていいです、それでも言葉にしてください。今あなたのなかに灯っているのは、あなたが言葉にしてくれないと消えてしまう光なんです」という台詞も然り。言葉は人を救い、傷つけ、勇気づけ、良くも悪くもあらゆる可能性を持っている。至極当然でありながら誰もが見失いがちなものを、この物語は教え続ける。

岸辺という、辞書とは縁遠い生き方をしてきた人間が、少々特殊な辞書づくりという仕事を通して辞書に触れ、ふだん当たり前の世に使っていた言葉を改めて考え学んでいく機会を得ていく成長の過程は、いわゆる“お仕事ドラマ”という馴染み深いドラマジャンルに合致するともいえる。2時間まとめて観られる映画とは異なる連続ドラマとしてのアプローチをするうえで、そうした“馴染みやすさ”“取っ付きやすさ”というのは大事なファクターであろう。しかしこのドラマがそうした脚色を選んだ理由はそれだけではないはずだ。畑違いの仕事をしてきた人物の視点から、すなわち辞書に対するモチベーションが視聴者の大多数と同じ人物の視点からこの“言葉をめぐる冒険”を辿ること。それが最大の目的、つまり前段で触れた言葉の可能性を提示する最善の策というわけだ。

また、原作や映画版では“現在”のひとつとして描写されてきた馬締と西岡の関わり合いや、辞書編集作業の序盤の出来事、もちろん伝説的な馬締の“恋文”の一連などは、ある種の思い出話として語られていく。現在という一地点から過去を過去として触れ、未来を考える。それは言葉というものが過去から現在を経て未来へ向かう一方通行のものではなく、もっとフレキシブルなものであると示しているかのようにも思える。“言葉は生き物である”ということを示した『舟を編む』という物語が、こうして新たなテレビドラマとなったことで示すのは、言葉によって紡がれた物語もまた生き物であるということに他ならない。

(文=久保田和馬)

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