目や耳が不自由な人でも誰でも一緒に楽しめる「日本で唯一のユニバーサルシアター」をつくった女性

日本唯一のユニバーサルシアターの主宰・平塚千穂子さん(撮影:五十川満)

東京都北区・JR田端駅から徒歩5分。

商店街のなかに、わずか20席の、小さいけれど温かな映画館がある。そこは日本初にして唯一のユニバーサルシアターだ。ユニバーサルとは、身体能力の違いや年齢、性別、国籍にかかわらず、すべての人が普遍的に、という意味をもつ。

障害者と健常者の区別も、子連れや盲導犬同行への無理解もない、誰もが幸せなシアター・オブ・ドリームス。

夢を実現させた女性とは──。

8日の第47回日本アカデミー賞授賞式に続き、10日には第96回米アカデミー賞授賞式が開催され、双方でノミネートされた『PERFECT DAYS』や『ゴジラ-1.0』『君たちはどう生きるか』など邦画の秀作も目白押しで、映画の話題で大いに盛り上がる3月。

そんななか、レッドカーペットの華やかさこそないが、東京下町の片隅で、唯一無二の存在感を放ちながら、今日も上映を続けるミニシアターがある。

その名を「シネマ・チュプキ・タバタ」という。

場所はJR田端駅から徒歩5分の、小さな商店街の真ん中辺り。

「寒いなかすみませんが、監督のサイン会は劇場の外になります」

2月最後の木曜日の正午過ぎ。上映後のトークショーやサイン会を仕切っていたかと思えば、受付に立ってモギリをやり、さらには映写室に駆け込んで次回の準備をするなど忙しく立ち働いていたのが平塚千穂子さん(51)。このシネマ・チュプキの代表で、創設者でもある。

「特にコロナ後は、うちのようなミニシアターこそ作り手と映画ファンをつなぐ橋渡しができるのではと、舞台挨拶やサイン会などのイベントを増やしています」

ふと、館内を出入りする観客のなかに、一般客に交じって、盲導犬を連れていたり白杖を持った視覚障害者が多いことに気付く。

ここの特徴は、すべての上映作品に音声ガイドや字幕などのバリアフリー環境を整えていること。目や耳の不自由な人も、車いすの人も、赤ちゃん連れのママも、お疲れ気味のOLやサラリーマンも、誰もが一緒に映画を楽しめる、日本初にして唯一の「ユニバーサルシアター」だ。

平塚さんが、文字どおり、紆余曲折を経てシネマ・チュプキをオープンさせたのが8年前。

「小さいながら常設館のよさで、単に観たい映画があって来たお客さんが、盲導犬が館内に一緒にいる光景に驚く場面があったりもします。その出会いで何かを感じてもらえたら、素直にうれしい」

このユニークな映画館が、人々の心に温かな変化を起こしている。身近なところでは、「街が優しくなった」という地元の声も。

「けっして障害者のためだけの映画館ではありません」

何度もそう口にした平塚さんが実現させようとしている「夢の映画館」の物語を紐解こう。

■両親の猛反対を押し切り就職・結婚・離婚。深く傷ついた心を癒したのが映画だった

1972年(昭和47年)9月19日、東京都荒川区で生まれ、3歳からは北区で育った平塚さん。

「父は自宅の工房で歯科技工士をしており、母もその仕事を手伝っていました。近所のいじめっ子とクラスが離れる小3のころまで、私は泣き虫の女の子でした」

小中と地元の公立校を出て、都立小石川高校へ。

「高校では硬式テニス部で部長もやり、練習メニューも考案するなど、かなり熱中していました。当時、5つ年上の姉が私立の短大へ通っていました。音楽好きで、才能も認められ音楽大学への推薦も決まっていたのですが、親から『音大を出てメシが食えるのか』という猛反対があって断念させられ、それがきっかけで姉は心を病むんです」

そのことが、平塚さんの生活にも多大な影響を及ぼしていく。

「いつしか私は、家族に心配をさせない“いい子の妹”という役割を演じるようになっていました。実は心の中では常に学校になじめない自分がいたし、姉への罪悪感も抱き続けていて、しまいには何のために生きているのかと考えるようになり、高校から心理学などの本を読んでカウンセラーに興味を持ったり。『3年B組金八先生』もずっと観ていて、生徒に寄り添う先生になりたいと思って、早稲田大学教育学部に進みました」

意外だが、大学時代には体育会の女子レスリング部の創設メンバーになったこともあった。

「何を血迷ったのかと思うんですが(笑)、体育の授業を指導してくれたのがオリンピック銀メダリストの太田章先生で、誘っていただいたんです。最後は網膜?離になって、1年半でやめるんですが。ふり返れば、高校のテニス部もでしたが、そうやって何かに没頭して、家庭のストレスを発散していたのだと思います」

やがて、就職の時期を迎える。

「ずっと、いい子の仮面をかぶってきた私でしたが、どうしても親の言うとおりに大企業のOLになって楽しく仕事している自分を想像できずに、就職活動中はスーツ姿で家を出ても就職セミナー会場には行かずに、落ち着ける喫茶店に入り浸っていました。徐々に、自分の癒しの場となっていた喫茶店やカフェで働けないかと考えるようになるんです」

両親の猛反対を押し切って飲食業界に就職したが、結局、人間関係に疲弊して挫折する。同じころ、最初の結婚をして東京を離れたがうまくいかず、1年にも満たないで離婚して戻る体験もしていた。

つらい出来事が立て続けに起きたとき、深く傷ついた心を癒してくれたのが映画だった。

「もう生きていてもしょうがないとまで思っていたのが、在学中から大好きだった『バグダッド・カフェ』など、いくつもの映画作品にふれて、そうした悩みもちっぽけなものに思えるようになっていたんです」

そんな折、学生時代から通っていた高田馬場の名画座・早稲田松竹で、アルバイトを募集していることを知る。

■バリアフリー上映会のスタッフを経て映画祭の主催が人生の転機に――

「早稲田松竹のバイトを続けながら、自主映画監督が主宰していた異業種交流会に加わりました。そのなかで立ち上がった企画が、目の見えない人に向けてのバリアフリー上映会でした」

チャップリンのサイレント映画の名作『街の灯』の活弁付き映画会の実現に向け、平塚さんもスタッフのひとりとして参加。

「私はそれまで目の不自由な方とはお会いしたことがなく、正直、当初は、視覚障害者に映画の話なんてしたら怒られるんじゃないかという偏見もありました」

当事者の生の声を聞こうと、聞き取り調査を始めたところ、

「お会いするみなさんが、『ぜひ映画館で観たい』と強くおっしゃって。それまでの偏見や意識を180度転換させられるんです」

この上映会の企画は諸事情で流れたが、平塚さんは独自にさらなる調査を進める。

「すると、アメリカでは100館ほどのバリアフリーの映画館があって、公開初日から副音声と字幕付きで、『タイタニック』や『スター・ウォーズ』のような超大作を上映していました。レビュー投稿までするブラインド(視覚障害者)の人もいると知ることは、すごい追い風となりました」

’01年春、バリアフリー映画鑑賞推進団体「City Lights」を設立。シティ・ライツの名称は、もちろん敬愛するチャップリンの作品から。同時に、音声ガイド研究会をスタートさせた。

音声ガイドとは、目の見えない人が映画を楽しむときに、耳から情報を補足するもの。たとえば誰もが知る『ローマの休日』で、オードリー・ヘプバーン演じるアン王女が登場するシーン。スクリーンでは王女が移動するだけでセリフがないときも、音声ガイドでは〈側近を従えたアン王女が大使のエスコートで入場する〉といった解説が入る。

この研究会をスタートしてすぐに、あるリクエストが届いた。

「私たち視覚障害者も、1年とか2年遅れじゃなく、今公開されている映画が観たい。ぜひ『千と千尋の神隠し』を観てみたい」

話題作を早く観たいと願うのは誰もが同じと思った平塚さんは、まず映画館と交渉し、続いて6人の晴眼者を集めて視覚障害者とマンツーマンで、耳元で解説する“こそこそガイド”による同行鑑賞会を実現させた。

この方式ではまわりの客の迷惑になることや鑑賞人数が限られるという課題もあったが、

「歌舞伎のイヤホンガイドのような仕組みはどうだろう。FMラジオの電波を使い、イヤホンで解説を聴くようにすればいいんだ!」と思いついた。このラジオを使った同行鑑賞会の評判が口コミでも広がり、やがて200人規模の鑑賞会となる。

「多くの映画館にお世話になりましたし、映画を観たいけれど観られない人がこんなに大勢いることを社会に知ってもらう大切な時期だったと思います」

やがて、作品を送り出す側にも変化が生じる。’06年公開の山田洋次監督作品で、木村拓哉が盲目の武士を演じた『武士の一分』。

「製作委員会がバリアフリー版を作り、音声ガイド付きで上映されたんです。メジャーの松竹のお正月映画に音声ガイドが付いたのは、私たちにとって映画史に残るセンセーショナルな出来事でした」

さらに’08年からは、シティ・ライツ映画祭を主催していく。

これが人生の転機となったのが、当時は石川県で点字図書館に勤務していた全盲の田中正子さん(51)。

「’10年春に第3回シティ・ライツ映画祭のことを知りました。『雨に唄えば』と『虹をつかむ男』の2本立てで、どちらにも音声ガイドが付くと知り、どうしても体験してみたくて、小松空港から飛行機に飛び乗っていました」

映画を観終わったあと、田中さんは心地よい衝撃に浸っていた。

「こんな夢みたいな体験ができるんだ、って。それまでもテレビで『タイタニック』を観て感動したつもりでいましたが、実は何もわかっていなかったんですね」

こうした声に後押しされ、平塚さんは、いよいよ常設のバリアフリー映画館づくりに動き出す――。

【後編】目や耳が不自由な人でも誰でも一緒に楽しめる「日本で唯一のユニバーサルシアター」を誕生させた女性へ続く

(取材・構成:堀ノ内雅一)

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