木梨憲武演じる雅彦はなぜ“リアル”? 『春になったら』で表現する“お父さんらしさ”

透明感がある役者を見ると、「余命ものの主人公とか似合いそうだなぁ」と思うことがある。近年の映画界を振り返ってみても、『君の膵臓をたべたい』(2017年)の浜辺美波や、『余命10年』(2022年)の小松菜奈など、余命宣告をされたヒロインを演じるのは、粉雪のような儚さを纏った俳優ばかり。だから、『春になったら』(カンテレ・フジテレビ系)で木梨憲武が、ステージ4の膵臓がんを患い、余命3カ月と宣告されている役柄を演じると発表されたときは、「なんだか、意外なキャスティング」と思った。

ドラマ序盤、木梨が演じる雅彦は、生命力にあふれていて、誰よりも元気だった。「死ぬようには見えない」「お父さん、嘘ついてるんじゃないの?」と疑ってしまった瞳(奈緒)の気持ちも理解できる。膵臓がんであることが事実だと知っているわたしたちでさえ、「本当に死んじゃうのかな……」と思ってしまうほど、“死”とは遠い位置にいる存在のように見えていたのだ。

回を重ねて、病状が悪化してきてからも、雅彦はあっけらかんとしている(ように見せていた)。本当は、声を出すのだってしんどいはず。それでも、今までどおりに声を張り、娘の瞳に心配をかけないように笑顔で振る舞ってきた。血を吐いてしまったときも、「大丈夫、大丈夫だから」と、まずは瞳を安心させる。現実でも、3人の子を持つ木梨だからこそ、“お父さんらしさ”をリアルに表現することができるのだと思う。

また、木梨の笑顔には奥行きがある。ただヘラヘラしているわけではなく、さまざまなことを乗り越えてきたからこその、笑顔。木梨が「大丈夫だから」と笑ってくれたら、「すべてがうまくいくんじゃないかな?」と思えてくるような。雅彦にも、そんな説得力がある。

雅彦は「病人っぽくない」と言われがちだけれど、筆者はそこにリアルが詰まっていると思う。エンタメに振り切るのなら、強かったお父さんがどんどん弱っていく姿を長尺で見せた方が視聴者の涙を誘うだろう。しかし、人は誰しも大事な人には心配をかけたくないもの。最後の力を振り絞って、どうにか明るい姿を見せている雅彦の振る舞いに、共感する人も多いのではないだろうか。

とくに、雅彦の場合は、ひとり娘の瞳を遺して逝かなければならない。まったく心配をかけないのは無理かもしれないが、少しでも楽しい思い出を残しておきたい。娘には、笑っている顔を思い出してほしい。「お父さん、最後まで元気だったよね」なんて笑っていてほしい。そんな気持ちが伝わってくるからこそ、雅彦の笑顔は涙を誘う。

思い返せば、雅彦が瞳の前で弱さを見せたのは、第7話。小さい声で、「まだ、死にたくないなぁ」とつぶやいたときだけ。実の姉・まき(筒井真理子)といるときでさえ、雅彦は弱音を吐かない。「(死ぬ)覚悟、できてんだね」と聞かれたときも、明らかに「本当は怖いよ。できてないよ」と言いたいような目をしていたが、グッと堪えて「う、うん」とうなずいていた。

ただ、最終回が近づくにつれて、空元気を演じることさえできなくなってきた雅彦。3月11日放送の第9話、倒れて入院することになった雅彦。ここまで、時間をかけて覚悟をしてきたはずなのに、機械につながれて眠っている雅彦を見て、怖くなった。あんなに元気だった人が、急にこんなにも弱ってしまうのかと思うと、“生”と“死”の距離の近さを感じて、ゾワっとした。

「春」というワードが切なさを帯びるようになったのは、きっと『春になったら』に出会ったから。正直、椎名家に感情移入をしすぎたせいで、最終回を観るのがちょっぴり怖い。それでも、出会わなければよかったとは思わない。『春になったら』を通して、温かい椎名家に出会い、たくさんの優しさに触れることができてよかった。わたしたち視聴者にとっても、大切な存在となった“お父さん”雅彦との残された時間をしっかり噛み締めながら、最終回を見届ける準備をしたい。

(文=菜本かな)

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