【サンフレッチェ広島・大迫敬介選手】全治2か月のケガを乗り越えて 日本代表の守護神を目指す揺るぎない決意

3月7日、9日の鳥栖戦に向け調整するチームの中に大迫はいました。2023年12月に右手を手術した大迫。この日、全体練習が終わったあともグラウンドに残り、セービングを繰り返していました。

■サンフレッチェ広島 大迫敬介選手

「自分がしっくりくるような感覚だったり、プレーのスピード感だったりっていうのは、まだまだの部分があるので、今はとりあえず量をこなして自分を納得させているところです。」

ケガから復帰した大迫は大活躍!

ケガから復帰後、ほぼぶっつけ本番で迎えた浦和との開幕戦。ホームのファンに初めて披露された背番号1が躍動します。前半6分、至近距離からの強烈なシュートをビッグセーブでチームを救いました。

■サンフレッチェ広島 大迫敬介選手

「試合に出るのも数ヶ月ぶりだったので、あのファーストプレーで自分としてもプレーに乗れましたし、あの試合にとってはすごくキーになるプレーだったと思います。」

試合後、指揮官が最初に称えたのはそのプレーでした。

■サンフレッチェ広島 スキッベ監督

「今年のJリーグは、大迫敬介のすばらしいセーブから始まった。敬介はおそらく日本人最高のゴールキーパーだ。」

勝利のあと、ピッチには大迫のチャントが響き渡りました。

ゴールキーパー特有のケガが大迫を襲う…

大迫が負ったのは全治2か月の「右手舟状骨骨折」。それは、日々シュートの衝撃を受け続けるゴールキーパー特有のケガでした。

■サンフレッチェ広島 大迫敬介選手

「親指の付け根の奥の骨ですね。(2023年)10月ぐらいかな。練習中に至近距離で味方のシュートを受けたときに、骨折してましたね。ずっと痛みはあったんですけど、骨折している感覚はなくて。」

手術を受けたのは、シーズン最終戦の5日後のことでした。

■サンフレッチェ広島 大迫敬介選手

「正直、そのまま保存してプレーを続けながら治すことも(選択肢の)一つだったけど、医師に『手術をした場合、開幕に間に合うか』と聞いたときに『間に合う』と言われたので、そこから逆算してやってきているので。」

しかしそれは、苦渋の決断でした。

Q.アジアカップが頭にあった?

■サンフレッチェ広島 大迫敬介選手

「そうですね。アジアカップがすごく頭に引っかかって、代表は僕が目指してきたところでもありますし、それを捨てるという言い方はおかしいけど、捨てて自分のケガを治すのか、自分を犠牲にしてでも代表に行くのか。自分の中の葛藤は、今までにないものがありました。」

プロ7年目の昨シーズンに、初めて全試合に先発出場し、リーグ2番目に少ない失点数でチームを支えた大迫。高いセーブ力を買われ、日本代表でも出場機会を増やしていました。

Q.自分がいない代表はどう見えていた?

■サンフレッチェ広島 大迫敬介選手

「すごく複雑でした。ここに自分が立ちたかったという思いもありますし、でも、それがいいモチベーションにもなっていたので、もっとパワーアップして復帰しようと思いはありました。」

復帰した大迫を待っていたのは…!!

2万5千人を超えるファンが詰めかけた、3月9日の試合。前半41分、ペナルティーエリア内からのシュートをファインセーブして、安定感抜群のプレーで、開幕戦に続く無失点に抑えました。

試合を視察した日本代表の森保監督は・・・

■森保一 日本代表監督

「代表の舞台においても世界で戦えるところを見せてくれているし、さらに力をつけてくれる、伸びしろのある選手だと思っています。」

J1優勝、そして日本代表の守護神へ。大迫は揺るぎない決意でシーズンに臨んでいます。

■サンフレッチェ広島 大迫敬介選手

「正直今、日本の守護神はまだこの人が日本の守護神だという選手はいないのかなと見てて思うので、代表の守護神を目指すのなら、サンフレッチェで絶対的な存在にならないといけないし、チームのリーダーや顔になっていかないといけないと思っています。」

そして、2026年のFIFAワールドカップアジア2次予選を戦う日本代表メンバーが、3月14日に発表され、サンフレッチェ広島から大迫敬介選手、川村拓夢選手が選ばれました。FIFAワールドカップアジア2次予選の日本対北朝鮮は、3月21日はホーム、3月26日にはアウェイで開催されます。2人の活躍に期待がかかります。

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