15人抜きで真打・三遊亭わん丈、六代目三遊亭円楽から学んだ“笑い”「今の自分の強さになっています」

三遊亭わん丈 撮影/貴田茂和

2011年に三遊亭円丈に入門、円丈の死後は三遊亭天どん門下となり、2023年3月16日、15人抜きで真打に昇進した落語家・三遊亭わん丈。27歳という年齢でバンドマンから落語家へと転身した彼の「THE CHANGE」とは?【第2回/全2回】

27歳で入門というのは遅いほうですが、特に問題にはならなかったですね。何しろ、ウチの一門には42歳で弟子入りした、丈助兄さんという兄弟子がいましたから(笑)。

入門してからは、見習いを1年くらいやって、前座に。「わん丈」という名前は、師匠につけてもらいました。たまたま目の前をペットの犬が横切ったので、わん丈に(笑)。

適当に付けられた名前ですが、気に入っているので変えるつもりはありません。師匠に付けてもらった名前ですしね。

師匠の円丈は21年に亡くなり、今は兄弟子だった三遊亭天どんの門下ですが、ありがたいことに「名前を変えろ」などと言われたことはありません。もっとも、師匠が生きてたら「軽い名前だから、真打昇進を機に変えろ」と言われたかも(笑)。

弟子入りの次に、人生のターニングポイントとなったのは、前座を務めさせていただいた『三遊ゆきどけの会』です。

『笑点』でおなじみの五代目三遊亭円楽師匠と、私の師匠の円丈は兄弟弟子だったのですが、私の生まれる前に起こった騒動が元で交流がなかったんです。でも、先日亡くなった六代目の円楽師匠の働きかけで、合同一門会を開くことになった。それがこの『三遊ゆきどけの会』です。

落語協会の私が円楽師匠の前座で上がらせていただくことが増えました。

私はそれまで東京の落語をよくご覧になるお客様の前で、けっこうエッジの効いた落語をやることが多かったのですが、円楽師匠の前座で上がらせていただくと、全国の初めて落語を聞くようなお客様1000人とかの前で話すことが増え、もっとレンジの広い笑わせ方を勉強させていただきました。

落語家になって早い段階で、このような経験をできたのは、今の自分の強さになっていると思っていますし、とても運が良かったと思います。

コントや漫才よりも面白い「新作落語」を作りたい

今後、真打としては、もっともっとお客様に気持ちよく楽しんでいただきたいと思っています。極端に言えば、たとえば、客席の空調の温度なども意識をしたいです。お客様が寒いとか暑いとかに気を取られることなく、快適に落語を見られるよう、それぞれの席の温度とか、自分で全部を調整したいくらい(笑)。

また、古典落語に初めて触れると、「面白いとかの前に何を言っているのか分からなかった」と感じる方がかなり多いようですので、伝統芸能でも、しっかりと今の方々にも伝わるようにすることが必要だと思っています。

一方で新作落語は、コントや漫才よりも面白いと思ってもらえるものを作らなければと思っています。

古典は艶っぽい噺や尾籠な噺でも上品に伝えられるようになること、新作はトリネタになるような長講を作っていくことが今後の目標ですね。そのためには、さまざまな経験や情報をインプットしていかなければ作れないので、そんな時間を意識的に作っていきたいと思っています。

変わらずマニアのお客様にもやっぱり落語ってすてきだよなって思ってもらえるようになりたいですし、とにかく、落語に振り向いてくれるすべての方々をねぎらえるような噺家になりたいです。

今は真打披露に向けて一番、連絡を取り合っているのが、林家つる子姉さんです。先輩方からは、「披露目を失敗するか成功できるかの決め手は、一緒に上がる人と仲が良いかどうかだ」と言われていますが、つる子姉さんとは、お客様に喜んでもらいたいっていう価値観が近いので、順調に準備が進んでいます。今回、昇進するのは2人だけなので、毎日高座に上がります。トリをとらない日は前方で上がらせていただきます。

チケットはありがたいことに完売の日程も出てきておりますが、まだお入りいただけます日もございますのでどうぞお運びください。

三遊亭わん丈(さんゆうてい わんじょう)
1982年12月1日、滋賀県生まれ。2011年に、三遊亭円丈に入門。翌年に「わん丈」の名で前座に。16年に二つ目昇進し、以降、さまざまな賞を受賞。21年、円丈の逝去にともない、天どん門下に。24年の3月下席より、真打披露興行。

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