決勝の相手も認める“女子テニス最強女王”シフィオンテク!「BNPパリバ・オープン」2年ぶり2度目の優勝!<SMASH>

マリア・サッカリ(ギリシャ)のフォアハンドがサイドラインを割るや否や、勝者はラケットを手放し、コーチやトレーナーたちが陣取るボックスに向け、激しくこぶしを振り上げ咆哮を挙げた。

イガ・シフィオンテク(ポーランド)にとって、「BNPパリバ・オープン」(アメリカ・インディアンウェルズ)優勝は2年ぶり2度目。キャリア通算19度目のツアー優勝にして、8度目のWTA1000(マスターズ)タイトル獲得であった。

結果的に1時間8分のスピード決着を見た女子シングルス決勝戦だが、第1セットは競った攻防となる。シフィオンテクがゲームカウント3-0とリードするも、サッカリが巻き返し4-4に。だが、1ゲームの「緩み」が、致命的になったとサッカリは言う。

「4-4の時、私は気の抜けたようなリターンゲームをしてしまった。バックハンドのリターンを3球連続でミスした。このようなプレーは、彼女のような選手との試合では許されない」

果たしてこのゲームをキープしたシフィオンテクは、最後はフォアの逆クロスを叩き込んでブレークと共に第1セットを奪取。そして以降、彼女はすべてのラリーで、そしてゲームで主導権を掌握した。最終スコアは、6-4、6-0。シフィオンテクが今大会戦った6試合で、相手に1ゲームも与えぬ “ベーグル”は、実に3度目だった。
この日の試合を迎えた時点で、過去の対戦ではサッカリはシフィオンテクに3勝2敗とリードしていた。ただサッカリが最後に勝ったのは、2021年10月。翌22年には、2戦しいずれも敗れている。

両者の対戦戦績が反転したこの時期は、奇しくもシフィオンテクのキャリアの転換期と重なる。21年末にシフィオンテクは、ジュニア時代から師事したコーチと決別し、アグニエスカ・ラドワンスカ(ポーランド)の元コーチのトーマス・ビクトロウスキ(ポーランド)を新たにチームに迎えた。

その変化がいかに大きかったかは、2年前のこの大会の時点で既に、シフィオンテクが「私のキャリアにおいて最も重要な決断」と明言していたことに現れる。実際にサッカリは、21年から22年にかけてのシフィオンテクの変化を、次のように言及した。

「私が最後にイガに勝ったのは、彼女がコーチやチームスタッフを変える前のこと。トーマスと取り組み始めてからの彼女は、大きく変わった。この2年間に彼女が数々の成功を収めていることにもわかるように、私が勝った時と今の彼女は別人のよう」

その強さの構成要素は、サッカリいわく、「攻撃力があり、ミスは少なく、ボールを捉えるタイミングが早いために自分の時間を奪われる。その相手に勝つには攻めるしかないが、その思いが焦燥につながりミスを誘発する」。シフィオンテクが現女子テニス最強である事実を、サッカリはコート内外で認める形となった。
シフィオンテクが世界1位になったのは、2年前の同大会直後のこと。当時世界2位に座していた彼女は、時の女王アシュリー・バーティー(オーストラリア)が突如引退したため、期せずして1位の座に繰り上がったのだ。

「あの時のことは、はっきりと覚えている」と、現女王が当時を回想する。

「とんでもない状況だった。突如1位になるという困難に直面し、その事実を受け入れられたことを誇りに思う。世界1位になり、その状況にも慣れてうまくコートで立ち回れるようになり、誰からも標的にされる立場になって、そして翌シーズンを1位で迎え……、それら全てにうまく対処できたことを、誇りに思っている」

初めて頂点に立ったその時以降、彼女は既に95週間の長きにわたり、世界1位の看板を背負ってきた。今やその高みの空気は、身体に馴染んでいるだろう。

優勝スピーチで、大会関係者に、そして自分を支え続けるチームスタッフに深い謝意を述べるのも、彼女にとっては慣例となりつつある。
そして迎えた、表彰式のクライマックス――。

進行係に、トロフィーを掲げるように促されるチャンピオン。だが……、この大会が誇るバカラのクリスタルトロフィーには、通常の優勝カップとは異なり取っ手がない。どう持ち上げるべきか、やや戸惑う優勝者。

そんなシフィオンテクの逡巡を待ち切れなかったのか、本来ならトロフィーを掲げたタイミングで飛び出すはずの紙テープが、破裂音と共にフライングで飛び出してしまったのだ。

その衝撃にビクっと身体を震わせ、首をすくめる優勝者。世界1位に座し続けても、そして19回のツアー優勝を経験しても、トロフィーを掲げる所作にだけは、初々しい風が吹くようだった。

現地取材・文●内田暁

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