ライブがしたいなと思ったのが、やっぱり単純な思いなんですけど
──クボくんとはだいぶご無沙汰なんですけど、今回はよろしくお願いします。
クボ:ですよね。でもたまにX(旧Twitter)を開いたら、KANさんのことをけっこう書いてらっしゃったりしてるのは時々見てますよ(笑)。あれはすごく共感してました。
──ほんとですか。ありがとうございます(笑)。
クボ:ああ、ちゃんと聴いてた人なんだなあって。僕も世代的にも好きなミュージシャンだったので。
──ちなみに話すのは20年ぶりぐらいですね。僕がLOFTでイベント(『てぃーんずぶるーす2001』)をやらせていただいてた頃ですから。
クボ:そうですよね。まだインディーズで活動してた頃だったと思います。
──今回あらためて近況を調べてたら、昨年末ぐらいにネットでアップされてた曲(「winter ride」)を聴かせていただいてめちゃくちゃいいなと。
クボ:ほんとですか。ありがとうございます。去年の12月とかだったんで、クリスマスも近かったし季節感みたいなものは狙いましたね。
──曲調的にもストレートなポップソングな方向で。
クボ:はい。アップしてるのはデモなので、ドラムも生ではないんですけど。ライブはああいう形ではないですよ。ちゃんとバンド編成でやりますし。
──で、今回はライブの話を中心に伺いたいんですけど、まずは3月に2本やられるじゃないですか。
クボ:ですね。3月11日に『クボノヨイ』って、これはずーっと続けているイベントでもあるんですど。
──山本健太(key)はオトナモードの方ですよね。メレンゲよりもちょい世代が下に当たると思うんですけど。
クボ:ですね。世代的にはあんまり被ってないんですけど、僕が彼らの演ってる音楽が好きだったんですよ。ライブも観に行ってたし。それで声をかけたんです。
──もともとこのイベントをやり始めた経緯って覚えてますか。
クボ:うん、まずライブがしたいなと思ったのが、やっぱり単純な思いなんですけど。僕の場合、(メレンゲ名義で)バンドで動かすとなるとけっこう何カ月も前から決めたりとか、半年前からいろいろと大変なこともあるんで。プロジェクト自体が大きくなってしまうことで腰が重くなるのもね。
──なるほど。もうちょっとフットワーク軽くやりたいって感じだったんだ。
クボ:ですね。弾き語りの延長だとLOFTの樋口(寛子)さんもいるんで相談もしやすいし。「できるかな?」って言ったら、フットワーク軽くやらせてもらえたりするんで。
──LOFTともメジャーデビュー以前からの付き合いですもんね。
クボ:あと、もともと僕たちって他のバンドに比べてそんなにライブしてこなかったんですよね。それもどうかなって思ってたので、数年前からこのイベントをやるようになったんです。
──僕の主観ですけど、今までライブをそんなにやってこなかったっていうところに関しては作家体質っていうか、そういうところってありますよね。きっとね。
クボ:作家体質というか、レコーディングとかスタジオ作業が好きだったというのはありますかね。
──楽曲の世界観っていうのをすごく重要視するというか。うん。それ故に何カ月も前からの下準備とか、そういうふうな部分もあるかと思うんですけど。
クボ:あとは時間がないからじゃないですかね(笑)。
──中堅、ベテランの作曲家なりアレンジャーの方々ってある時期を越えるとライブモードに走る人って多いと思うんですよね。バンド編成とかそういうところにこだわることなく人前で演りたがる傾向って僕はあると思ってて。
クボ:そこは僕もあると思うし、否定できないですよね。あとはさっきの時間がないってところにつながりますけど、この先の人生を逆算して考えると「どこまで自分はやっていけるだろう?」って問題はありますよ。
──それはちょっと早い気もするけど(笑)。
クボ:いやいや、早くないですよ。KANさんじゃないですけど、やっぱりね…自分がいつどうなるかなんてわからないですし、後悔は残したくないじゃないですか。
──確かにそうだ。
クボ:だから『クボノヨイ』に関してはちょっとでも人前で演る機会を増やしていこうかなっていうのはありましたよね。
“ポップス”に対しての憧れは人一倍ある
──アコースティック編成で人前で演るとなると、レコーディングでスタジオ作業してるのとはだいぶ気持ちの上でも違うでしょう?
クボ:はい。僕の場合、自宅でレコーディングもやりますけど最後まで納得したことがないんですよ。いや、作業終わってそのときは「いいな」と思っても聴き返すと「この部分を直したい」とか「もうちょっと詰めたいな」とかキリがなくて(笑)。
──ベテランのソングライターでも見切りの悪い人は多いですからねえ。
クボ:そうやって楽曲に対してエネルギーを注入できなかったぶんの悔しさをライブでは少しでも反映したいってところはあるのかもですね。
──作ってる側の宿命なのかもしれませんね。
クボ:必ず思いますからね。結局満足はいってないんですけど、「このフレーズ入れたほうが良かったかな」とか「こっちのバージョンのほうがわかりやすかったんじゃないかな」とか。日々葛藤ですよね。
──そんなクボさんがこれまでのキャリアの中で一番満足してる曲ってどれなんでしょうか。
クボ:メジャーデビューしていろんなサウンドプロデューサーの方々と仕事させていただいたんですけど、島田昌典さんと一緒にやらせていただいた「うつし絵」って曲ですかね。
──aikoさんやYUKIさん、秦基博さんとのワークスが有名な方ですよね。
クボ:そうそう。僕はaikoさんの曲が好きだったので。やっぱり島田さんとやったときの…自分の中で鳴ってるものに対しての答えを出してくれたときはすごい良かったと思いましたね。やっぱり自分だけで突き詰めると迷ってしまうときもありますし。
──なるほど。前にドラマの主題歌(『同窓会』)もやられてましたけど。あの曲はどうだったんですか。
クボ:「楽園」って曲ですね。あれ、実はわりと好きなんですよ。レコーディングをやってるときはやっぱバンドっぽくないような感じにどんどんなってっちゃって、うん。でもそれはそれでいいのかな? みたいな感じで。
──僕もあの振り切りはありだと思いました。
クボ:それをライブで再現してみたりしたりしたときに「こういう作り方でもけっこういいんだろうな」って思いましたね。それまではわりと自分らが置かれていたロックシーンを意識して作ってたりした部分もありましたしね。
──島田さんって僕からするとaikoのサウンドプロデューサーってイメージが強いですからね。わりとその、ポップ職人っていうか。でも、クボくんと狙いは一緒なのかもしんないですよね。目指す方向的には。
クボ:仕事をした機会は一回だけでしたけどね。いや、機材とか、もう僕が知る限り、いろんなサウンドプロデューサーと仕事してきましたけど出会った限りでは一番オタクでしたね。古い機材とか楽器の揃え方がもう半端なくてすごいなと思いました。
──クボくんってやっぱりそういうポップ職人みたいなとこに憧れてる部分ってあるんじゃないですか。間違いなく。
クボ:間違いなくありますよ。やっぱりポップスって本当いろんな人と組んで作っていくべきだと思うし。なんて言うんですかね…一人で作れるもんじゃないみたいな。
──マニア受けだけで終わらず、一般大衆を巻き込んでこそのポップスですからね。
クボ:ですよね。自分の性格的な部分としてクローズになっちゃったり、一緒に音と合わせる機会がそれほど多いタイプではないんですけど、“ポップス”に対しての憧れは人一倍あるほうだと思います。
KANさんはすごい好きですね。かなり好きですよ
──ちなみに現段階の話でいいんだけど、自分が一番目標にしている方ってどなたになるんですかね。憧れでもいいですけど。
クボ:だとすると、けっこうライブでも言うんですけど。うん。KANさんはすごい好きですね。かなり好きですよ。
──クボくん! もうちょっと声高にお願いしますよ(笑)。もうどんどん言ってください!
クボ:昔からそのへん主張してたつもりではあるんですけどね(笑)。何ならカバーをライブで披露したこともありますし。
──ちなみに楽曲で言うとどの曲がってありますか。
クボ:「Songwriter」ですね。あの曲には驚きました。あの曲が収録されたアルバム(『TIGERSONGWRITER』)自体もいいですもんね。
──他にもいらっしゃいます?
クボ:憧れって意味ならばたくさんいますよ。ポップスってなるとだいたい僕好きなんで。でもデビューしたての頃は小林武史さんとお仕事をご一緒したかったですね。タイミングとか予算の問題もあって実現はできなかったんですけど。
──なるほどね。90年代後半から2000年代にデビューしたアーティストの方々ってそういう人多かった気がします。
クボ:そんな状況の中で実現したのが島田昌典さんだったんですよ。あと、憧れという意味では尾崎豊さんですね。
──それはめちゃくちゃ意外ですよ!
クボ:そうですか? やっぱりあの世界観の強さは憧れがありますよね。
──ちなみに憧れがあるのは初期ですか?
クボ:いや、全部ですね。彼の存在を知ったのは世代的にも亡くなったあとなんですけど。今ってYouTubeでいろいろ出てくるじゃないですか? 初期のデモバージョンとか。
──ですよね。
クボ:僕も好きだから調べていくうちに、どの曲も最初の原型とは全然違う歌詞が載ってることを発見したりして。だから勢い一発ってわけじゃなくて、すごく何回も推敲したんだろうなってことは想像つくわけです。
──初期はだいぶ直しが入ったらしいですよね。
クボ:すごいなと思って。だって結局、全部完成度が上がってるんですよ。初期はディレクターが須藤晃さんって方ですよね?
──そうです。初期は須藤さんと二人三脚で作ってたと聞いたことがあります。クボくんの尾崎好きは僕は初耳だったので意外でしたね(笑)。
クボ:彼の生き様とかは追えないんですけどね。でも楽曲は魅力的だなあって思ってましたね。特に後期はすごい哲学的な歌詞の世界観だったと思うし。言葉の使い方とかすごいですよ。
──ソングライターとして憧れて自分が影響を受けた面とかを『クボノヨイ』ってイベントで語っていく予定はないんですか?
クボ:そこが目立つような形ではやってないですけどね。自分が好きだった曲とかをさりげなくカバーしたりとかはやってるんですよ。佐野元春さんとか稲垣潤一さんをカバーしたり。でもそれは後から聴いていい曲だなと思ったことが多くて。リスナー時代の自分に染みてたっていう感じじゃなくて、本格的に音楽をやり出して作り手とか送り手の立場になってから「この曲すごいな」って気づくことも多いので。
──今は時代関係なく現在進行形の曲も過去の曲も並列で聴けますからね。タイムレスな感覚で「楽曲」そのものの魅力を捉えていくことってすごく大事だと思いますよ。
クボ:ですよね。まあ『クボノヨイ』はカバーばかりやってるイベントではないんですけど(笑)、そんな部分もありつつ、アコースティックな限られた編成で今の自分の音楽を伝えられる場になっていければと思ってます。
──すっかりクボくんの音楽的バックボーンばかりを追う話になってしまった(笑)。今月はイベントがもう1本ありますよね。
クボ:はい。こちらは藍坊主の田中ユウイチくんと一緒にやるんですけど。『クボノヨイ』は自分の主催イベントなので、そこと比べるともうちょい気楽に楽しめるライブになればなって思ってますけどね。藍坊主はバンド同士も交流がありましたし。
出来上がっていく曲をどんどん聴いてもらうような方法ではやりたいと思ってます
──ちなみに今回、3月にたまたまこういう形でLOFTに出演されますけど、今後の予定って決まってるんですか。
クボ:はい。それこそもう告知されてますけど、4月12日に新宿LOFTで『DREAM MATCH 2024』ってツーマン企画に出演させてもらったり。あとちょっと先にワンマンとか、コロナ以降1回も行ってなかった大阪に行こうかなとかのプランはありますけどね。なので、そういうのも含めて、夏ぐらいにはちょっと作品を聴かせれたらなとか。
──いろいろプランニング中なんですね。
クボ:一番思い悩んでるのが多くのアーティストが同じだと思うんですど、楽曲をどうやって届けていくのかの方法論。この点に関してはまだ明確に自分の中でも答えはわかんないんですけどね。そういう今は単純にパッケージがって話とかじゃない時代じゃないですか。だから出来上がっていく曲をどんどん聴いてもらうような方法ではやりたいと思ってますけどね。
──ですよね。期待してます。あとはクボくんと新宿LOFTの関わりについても聞いておきたくて。もうだいぶ長い付き合いですよね?
クボ:長いです(笑)。もう出会ってから、ライブのやり方とかバンドの維持の仕方みたいなのとかも、わりと全部LOFTとの出会いから学んだって感じですから。
──初めてLOFTに行った頃は覚えてますか?
クボ:まず最初に出演したのが今の歌舞伎町に移転してからですから…それこそバーのサブステージからのスタートでしたね。
──時期的には2000年とか2001年ですか?
クボ:もうちょいあとですかね? 2003年とか、たぶんそれぐらいですよね。深夜のサブステージからですよ。それこそフジファブリックとかもほぼ同じ時期で出会ってますし。だから思い入れは強いんですよ。
──最初はデモテープを通じての出会いですか?
クボ:いや、当時僕らが在籍してたインディーレーベルの担当者がLOFTのブッキングを担当してた樋口さんとつなげてくれたんだと思います。
──クボくんがLOFTに出演する前、いちユーザー視点でLOFTのイメージってどんなふうだったんですか。
クボ:僕が上京してきた頃はまだ西新宿にあったんですけど、やっぱりロックな印象はありましたよね。移転後もそういうイメージはありましたけど、僕らを担当してくれた樋口さんと一緒に“違う切り口”のLOFTのイメージをこじ開けてきた印象はあります。いわば樋口さんは戦友ですよね(笑)。
──それはわかります。ちなみに樋口さんはLOFTに入ったきっかけを覚えてます?
樋口:私はライブハウスで働きたかったんですよ。で、もともと下北沢SHELTERで働きたかったのですが、そのときはアルバイト募集をしていなくて。姉妹店のLOFTが事務担当のデスクなら募集してるよって話で。そこだったらアルバイトでいいよみたいな感じで入社して。確かに時給800円だったのは覚えてます(笑)。それが1997年なんです。で、99年に歌舞伎町に移転。だから2年間だけ西新宿の終わりまでは一応見てるって形になりますね。
──僕は東京来たのが98年で、LOFTに初めて行ったのは移転後なんですよね。なので西新宿時代は伝説でしか知らないんです。そうか、移転25周年か…。
クボ:その頃はまだギリで専門学校生でしたね。レコーディングエンジニアを目指してた頃。その頃はまさかこんなに(LOFTと)付き合いが濃くなるとは思いもしなかったんですけどね(笑)。
──4月の対バンイベントの意気込みも最後に聞いておきましょうか。
クボ:mol-74とは今回初めての対バンなので楽しみですね。