能登半島地震-現場リポート/大林組、のと三井IC道路啓開に尽力

◇のり面挙動を確認しながら安全に作業
能登半島地震で被害を受けた能越自動車道(国道470号)「のと三井IC~のと里山空港IC区間」で、2月27日午後1時に対面通行が可能となった。複数の建設関連会社が道路啓開作業に当たり、2車線を確保。地震発生から2カ月で対面通行までこぎ着けた。同区間のうち大林組は、のと三井IC近くの道路啓開を担当。震災直後のり面が崩れ、道路全体を覆った。国道249号災害復旧工事事務所の佐々木崇所長は「ひどい状況だと思ったが、同時にどう作業を進めるかをすぐに考えた」と当時を振り返る。
1月3日に国土交通省北陸地方整備局から日本建設業連合会(日建連)に要請があり、大林組も復旧に当たることになった。同4日には、のと三井ICの現場を確認。のり面の土砂が約3000立方メートル崩れ、道路をふさいだ状態だった。
のと三井IC付近の道路啓開工事に同10日着手した。崩壊土砂撤去や崩落土砂を大型土のうの作製に活用し、土のう積みなどを実施。同18日午前7時に1車線を開通させた。その後も同様の作業を進め、鋼矢板設置による土留め工などを行い2月27日午後1時に2車線通行が可能となった。
土砂崩れが起きたのり面の成形も行った。道路啓開に当たり、ドローン測量を事前に行い施工方針を検討。余震や降雪などでさらなる崩壊のリスクがあり、安全面から、小さな挙動も現場従事者が分かりやすく把握できることが重要だった。その手段として、のり面に赤白ポールを直線状に数本立て、余震や降雪などに対し常にポールが動かないか、挙動を確認しながら復旧作業を進めた。
応急復旧の現場で通信環境が全くなく、携帯電話が通じない状況では円滑施工に支障がでる懸念があった。そこで同社は衛星携帯電話に加え、衛星通信サービス「スターリンク」を開設し通信改善を図った。佐々木所長は「作業を始めた初期は携帯電話の電波がなく、人づての会話が多かった。正確な情報収集に苦心した」と吐露。自衛隊や消防、警察、送電会社などと最新情報を交換し、発注者と連携を深めた。
のと三井ICの道路啓開作業は「施工自体はスムーズに行えた」と佐々木所長。重機は兵庫県姫路市から搬入。最大で20~30台を昼夜稼働させた。現場作業員や職員に恵まれ「材料の共有も早かった。通常、納入に1カ月ほどかかる資材も2週間で納入できた。調達関係はすごくありがたかった」と話す。応急復旧工事には建設関連企業との連携が必須。災害時にはサプライチェーン(供給網)構築が鍵になるという。
震災初期は、道路事情が悪く渋滞が激しい。円滑な施工には、必要物資を計画的に現場へ確実に送ることが重要となる。定期運搬路や軽油ローリー車を確保したほか、キャンピングカーやハウスカー、オフィスカーを活用して施工体制や環境を整えた。
現場には全国から応援に駆け付けた。土木職員は30人、機電職員3人、事務10人を配属した。奥能登エリアでの作業は移動の拘束時間が長く、昼夜勤務で4班体制で臨んだ。支援職員の入れ替えが多いことから、方針の伝達や解決方法を全職員が一様に理解できる体制維持を心掛けた。
のと三井ICの道路啓開作業には中越沖地震や阪神・淡路大震災、東日本大震災を経験したベテラン職員に加え、入社1~3年目の若手社員も復旧工事に携わった。
横浜市の現場から応援に来た入社3年目の市川晃希さんは災害現場での作業を初めて経験し、「一般的な現場では共通認識として図面があるが、災害現場では図面がなく自分たちで現地を視察し打ち合わせをして進める。普段とは違い、難しい点だった」と振り返る。「情報も交錯し、人によって指示が違うこともある。正しく情報共有して施工することが普段の現場以上に大事になる」と実感した。「今回の経験をこれからの現場でも生かしたい」と話す。
能越自動車道では、別エリアでも多くの建設会社が復旧工事に当たっている。石川県七尾市にある能登復興事務所で定期的な打ち合わせを通じ、早期の課題抽出と解決を図り安全に道路啓開を行っていくが、復旧・復興の道のりはまだ長い。
佐々木所長は「まだ作業を終えたと思っていない」と認識。「これからどんどん復旧工事が増えていくと考えている。被災された方々が一日も早く日常を取り戻せるよう、一つずつ取り組んでいきたい」と意気込みを語った。

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