伝説の若き天才ギタリスト【ランディ・ローズ】その死はあまりにも突然で、理不尽だった!  3月19日は天才ギタリスト、ランディ・ローズの命日です

若き天才ギタリスト、ランディ・ローズの死

3月19日は、ランディ・ローズの命日だ。享年25。2024年はランディが不慮の事故で亡くなってから42年目となる。今回は、今なお語り継がれるギターヒーローの、あまり語られることのない事故の詳細に触れながら、哀悼の意を表したいと思う。

将来を期待された若き天才ギタリストの死は、あまりにも突然で、そして理不尽だった。そう、その死は彼にはなんの責任もない、無意味で、まったくもって無駄なものだった。だからこそ、悔しくてしょうがない。世界中のロックファンが神様に問いかけたはずだ。「何故、彼を…」と。

1982年3月19日-- この時、オジー・オズボーン・バンドのメンバーは、2枚目のアルバム『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』を冠とした全米ツアー中で、テネシー州ノックスビルからフロリダ州オーランドへの1,000キロの移動にツアーバスを利用していた。この時のバスドライバーがアンドリュー・アイコックという男だ。

アンドリューが運転するバスは、目的地まであと約70キロの地点で停まる。そこはバス会社の停車場であり、アンドリューの所有する家が隣接していたらしい。アンドリューがそこにバスを停車させたのは、自ら操縦する小型飛行機に乗らないかとメンバー達に勧めるためだったと言われている。こうして、アンドリューが操縦する小型飛行機による遊覧飛行が始まる。

そして事故は起きた。ランディを乗せた小型飛行機は…

後に、ベースのルディ・サーゾが語っている。ランディは、ルディとドラムのトミー・アルドリッジに「一緒に行こう!」と無邪気に誘ってきたと。ルディとトミーは疲れているからとその誘いを断った。「パイロットのアンドリューだって長距離ドライブをしてきたところで、飛行機なんて操縦するべきではないんだ。だから止めたほうがいい」と。なんでもっと強引にランディを止めなかったのかと、ルディは生涯後悔することになる。

そして事故は起きた。ランディを乗せた小型飛行機は、無残にも降下に失敗してバス(メンバーが休んでいたバスではない)に左翼をぶつけ、裏返しになりながら大きな木に当たり近くのガレージに突っ込んでしまう。燃料タンクが発火した機体は一瞬のうちに炎に包まれた。地上に残った他のメンバーは半狂乱だったらしい。バンドにとって掛け替えのない才能が、愛すべき仲間が突然死んでしまったことが受け入れられなかったのだ。しかも目の前で。やっと出会った一生の伴侶であり相棒を目の前で失ったオジーの気持ちは如何なるものだったろうか…

ロックミュージシャンのイメージとは違い真面目で優しかったランディ

事故のニュースは一気に世界を駆け巡り、ランディの性格や人柄を知らない人たちによって、尾ひれがついて伝わった。検視の結果、事故を起こしたアンドリューの血液からコカインが検出されたことがわかると、オジーのイメージ(=酒に溺れてバカ騒ぎをするハードロッカーの代表格)も手伝って、ランディも同様にバカ騒ぎをして、その挙句の事故だったと世間に広まってしまう。

違う、僕は知っている。

ランディ・ローズという青年は、いわゆるロックミュージシャンのイメージとは違い、本当に真面目で優しいやつだったんだ。もし、ランディのことを良く知らない読者が同じような誤解をしていたら、その誤解は解かなくてはいけない。彼の名誉のためにも。

ドラッグをやっていたなんて言うやつがいたらオレがぶっ飛ばしてやる

メンバーの発言や行動をみても、「ランディを俺たちと一緒にするな、あいつはまじめでサイコーにいいやつなんだ」という、彼を庇う気持ちが痛いほど伝わってくる。

オジーはこの時、ランディに一緒に飛行機に乗ろうと誘われていない。それは、オジーは疲れていてバスの後部座席で寝ていたからだ。オジーは語っている。「あいつは、オレの体調を思って敢えて起こさなかったんだ。もし起こされて誘われていたら、オレは迷いなく一緒に乗っただろう。あいつのやさしさでオレは命拾いした」と。また、「ランディがドラッグをやっていたなんて言うやつがいたらオレがぶっ飛ばしてやる」とも。

こんな話も語られている。この事故で亡くなっているもう1人はレイチェル・ヤングブラッド。バンドの衣装係助手で料理も担当していた女性だ。ランディは、レイチェルが飛行機に乗りたがっているけど、搭乗が初めてで怖がっていることを知り、彼女を落ち着かせるために一緒に乗ったという話だ。前日も朝までギターの練習をしていて疲れていたにも関わらず、レイチェルのために一緒に乗った。ランディはそんな優しいやつだったんだ。

後に、アンドリューの免許は切れていて、この時飛行機を操縦する資格もなかったという事実も判明する。たったひとりのあやまちのために、将来有望な若者が、未完成のまま旅立ってしまった。

“ふ・ざ・け・る・な” だ。

わずか2枚のアルバムで伝説となったギターヒーロー

彼のプロのキャリアはクワイエット・ライオットからスタートした。既に天才と評判のランディを擁していても、アメリカではメジャーデビュー(契約)出来なかったクワイエット・ライオット。ランディが在籍中にアルバムを出すことが出来たのは日本だけだった。この時 LA にもう一人いた天才、エディ・ヴァン・ヘイレンの快進撃を横目に見ながら、ランディはさも悔しかったことだろう。

同じ頃、酒が原因でブラック・サバスから追い出されたオジー・オズボーンは、自らのバンドを作るためにアメリカでギタリストのオーディション中。なかなかいいギタリストが見つからずに腐っていた。諦めてイギリスに帰る直前だったが、スタッフから「ランディ・ローズのギターを聴かないうちはオーデションが終わったと言わない」という助言を受けて、イギリスへ帰るのをやめたという。

メジャーデビューの近道として友人からオジー・オズボーンの新規プロジェクトを紹介され、オーデションに現れたランディが、ちょっとギターを弾いただけで、 オジーが「こいつだ!」と確信したというのは有名な話。なんという運命の出会いだろう。

こうしてオジーとランディの「クレイジー・トレイン」は走り始めた。 1979年~1982年の活動期間で、リリースされたアルバムは『ブリザード・オブ・オズ~血塗られた英雄伝説』と『ダイアリー・オブ・ア・マッドマン』―― わずか2枚のアルバムで、ここまで伝説となったギターヒーローは他に存在しない。

「人間は二度死ぬ。一度は死んだ時。もう一度は人々に忘れられた時だ」永六輔さんの名言だ。この世にロックンロールがある限り、これからもランディが人々に忘れられることはないだろう。そう、ランディ・ローズはまだ生きている。「クレイジー・トレイン」は今も走り続けているのだから。

※2018年3月19日、2020年3月19日に掲載された記事をアップデート

カタリベ: 藤澤一雅

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