バドミントン女子ダブルス歴代日本代表の五輪成績 時代を彩ったペアの軌跡

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バルセロナ五輪から正式種目になったバドミントン

バドミントンは1972年ミュンヘンオリンピックと1988年ソウルオリンピックで公開競技として行われ、1992年バルセロナオリンピックから正式種目になった。

日本では2人の選手名を省略した愛称で呼ばれることが多い女子ダブルスは特に人気がある。歴代女子ダブルスのオリンピック日本代表は以下の通りだ。

人気呼んだ陣内貴美子、オグシオとスエマエが初の入賞

バドミントン人気に火をつけたのは1992年バルセロナ大会に出場した陣内貴美子だろう。森久子と出場した女子ダブルスは2回戦で敗退したが、美貌と陽気で爽やかなキャラクターもあって瞬く間に人気選手となった。1994年に第一線を退いてからはスポーツキャスターとしても活躍。バドミントン選手だった大谷翔平の母親と対戦していたことも話題になった。

1996年アトランタオリンピックには松尾知美が阪本雅子と組んで出場。捧匡子と出場したバルセロナに続いて2大会連続出場だった。

2000年シドニーオリンピックには岩田良子・松田治子組と井川里美・永峰弘子組、2004年アテネオリンピックには中山智香子・吉冨桂子組と山本静香・山田靑子組が出場したものの、いずれも1、2回戦敗退。バドミントンが久々に脚光を浴びたのは2008年北京オリンピックだった。

人気を牽引していたのが小椋久美子・潮田玲子組、通称「オグシオ」だ。ともに三洋電機に所属した2002年からペアを組み、2004年から全日本選手権5連覇。2007年の世界選手権では3位に入り、翌年の北京オリンピックへの期待がいやが上にも高まった。

実力だけでなく2人の愛らしいルックスと協会のプッシュもあり、人気は急騰。写真集やDVDも発売され、試合会場にはファンが殺到した。北京オリンピックでは準々決勝で、優勝した中国ペアに敗れてメダルには届かなかったものの5位入賞。間違いなくバドミントンの発展に大きく寄与したペアだった。

北京でオグシオを上回る4位入賞したのが末綱聡子・前田美順組、通称「スエマエ」だ。準々決勝でアテネ大会金メダリストで世界ランキング1位の中国ペアを撃破し、日本初のオリンピック4強入り。その後、2009、2010年世界選手権でもベスト8、2011年世界選手権では銅メダルを獲得したが、2012年ロンドンオリンピックではグループリーグで敗退した。

フジカキは銀、タカマツは悲願の金メダル

オリンピックで初めてメダルを獲得したのが、2012年ロンドン大会の藤井瑞希・垣岩令佳組、通称「フジカキ」だ。準々決勝でデンマーク、準決勝でカナダペアを破り、決勝で中国ペアに敗れたものの銀メダル。藤井はその後、2014年にドイツ・ブンデスリーガ、2016年にはイギリスリーグに日本人として初参戦した。

そして、悲願の金メダルに輝いたのが、2016年リオデジャネイロオリンピックの髙橋礼華・松友美佐紀組、通称「タカマツ」だった。宮城・聖ウルスラ学院英智高時代にペアを組んでから10年後の悲願達成。デンマークペアに見事な逆転勝ちだった。

2021年東京オリンピックに出場したのが福島由紀・廣田彩花組、通称「フクヒロ」と松本麻佑・永原和可那組、通称「ナガマツ」だった。フクヒロは世界ランキング1位、ナガマツは同2位だったが、いずれも準々決勝で敗れた。

2024年パリオリンピックには志田千陽・松山奈未組、通称「シダマツ」の出場が確実視されている。花の都でどんな戦いを見せてくれるのか楽しみだ。



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