野球の道に導いてくれた天国の母へ…敦賀気比高校エースが挑む「感謝」の甲子園 竹下海斗投手

投球練習する敦賀気比高校の竹下海斗投手=福井県敦賀市の同校野球部室内練習場

 天国のお母さんに甲子園で活躍する姿を-。3月18日に開幕した第96回選抜高校野球大会に出場する敦賀気比高校の新3年生のエース竹下海斗投手(福井県大野市出身)は、野球の道に導いてくれた母を小学3年の時に病気で亡くした。中学、高校では父や祖母に支えられ実力を磨いた。家族への感謝を胸に、聖地のマウンドに立つ。

 竹下投手は6歳上に姉、3歳上に兄がいる3きょうだいの末っ子。保育園では「友達とサッカーするのが好きだった」。小学生になり、大野市のスポーツ少年団で本格的にサッカーを始めたかったが、母のゆかりさんに「お兄ちゃんと同じ野球にしなさい」と諭された。小1から始めた野球。「最初はお母さんとけんかしながら、嫌々練習に連れていかれていた」

 両親はともにスポーツ好き。父の宏志さん(51)が当時を振り返る。「本当は海斗の好きなことをさせたかった。ただ、兄弟で違う競技となると送迎などの負担が大きくて…」。この時、ゆかりさんは末期の胃がんと闘っていた。発見時に既にステージ4まで進行。医師に「10年もたない」と宣告され、4年が経過しようとしていた。

 できるだけ長く、普段と変わらない生活を願ったゆかりさん。野球の試合には欠かさず弁当を作り、観戦に訪れた。小2で初めてマウンドを任された竹下投手がストライクをぽんぽん投げ込む姿を見て、「海斗すごい!」と喜んだ。応援は家族の中で一番熱心だった。竹下投手もそんな母の姿が断片的に記憶に残る。

 “日常”が続いていたからこそ「亡くなるとは全然思ってなかった」(竹下投手)。別れは突然だった。2015年7月。3度目の入院中に家族に見守られ、41歳で静かに旅立った。

 その年の秋。竹下投手は低学年対象の地区大会で優勝投手となり、最優秀選手に選ばれた。「野球が楽しくなっていった」。中学はオールスター福井ヤング(福井市)に所属。大野市の自宅から練習場まで、母親代わりとなった祖母の悦子さん(75)に車で約1時間かけて送ってもらった。

 中学時代に敦賀気比高の東哲平監督に才能を見いだされ同校へ。宏志さんには「海斗が選んだ道なら応援する」と背中を押してもらった。親元を離れた寮生活。竹下投手は「家族の苦労が今だから分かる。本当に感謝しかない」と語る。

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 1年夏、2年春に甲子園出場。2年夏からエースを任され、3度目の甲子園に挑む。3月19日の明豊(大分)との初戦は、宏志さんがゆかりさんの写真を持ってスタンドから応援する。「天国のお母さんも自分が甲子園で活躍する姿を見たら喜ぶと思う」と竹下投手。大好きになった野球を思う存分楽しむつもりだ。

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