高齢者専門の精神科医が地方出張のあとに現地でノンビリするようになった理由

知識は知っているだけでは、ただの知識。生きた知識になるかどうかは、体験の裏打ちがあるかどうかで変わります。それがあるからこそ、披露する本人は知識を面白いストーリーに載せて話すことができ、聞く側は自分の興味も喚起されつつ、楽しく耳を傾けてくれるのです。精神科医で人気コメンテーターでもある和田秀樹氏も、地方へ講演などで行ったときに、新しい発見が楽しくて歩き回ってみるようになったようです。

※本記事は、和田秀樹:著『50歳からの脳老化を防ぐ脱マンネリ思考』(マガジンハウス新書:刊)より一部を抜粋編集したものです。

勉強してきたことは誰かに話したくなる

大手企業で人事担当の役員まで務めて退職した70代の男性から、こんな話を聞いたことがあります。

「ときどき“有望な社員です”という触れ込みで若い社員を紹介されることがあるけど、会って話してみると、いつも“この程度なら昔はいくらでもいたな”と失望します。たしかに、若手にしては話し方もしっかりして論理的だけど、昔ならごく普通のレベルでしかないからです」

あらゆる世代で本を読む人が減ってきた結果、今の日本人は文章を書くこと、自分の意見や考えを話すことが苦手になったような気がします。メールやSNSは短い文章、ときには単語を並べておしまいです。とくに若い人はボキャブラリーの不足が深刻です。

本を読むというのは言葉と向き合う作業です。言葉を通してさまざまな世界を知ることになりますから、ボキャブラリーはもちろん、必然的に論理力とか表現力が備わってきますし、そこから文章力も育ってきます。

定年後の20年で何を勉強するにせよ、同じ分野を勉強する仲間やグループができてくると、発表の場も自然に生まれてきます。コツコツと自分一人で勉強を続けていても、やはりそのテーマで学んだことをブログやnoteのようなWEBページで公開したくなります。

インプットが深められると、今度はアウトプットしたくなってくるのは自然な流れです。そこで必要になるのが文章力ですが、本を読む習慣が身についている人には、この文章力も自然に備わってきますから、積極的に発表することができます。アウトプット作業こそ脳、とりわけ前頭葉を鍛えてくれますから、いつまでも若々しい脳を保つことができるのです。

▲勉強してきたことは誰かに話したくなる イメージ:buritora / PIXTA

あるいは、友人や仲間が集まったときでも、自分が勉強して知り得た世界を話すこともできます。その場合でも、みんなが面白がって聞いてくれれば、次第にしゃべることにも慣れてきます。

どういうストーリーに仕立てて、どんなエピソードを入れれば面白い話になるのかといったことも、だんだんわかってきます。これだって気持ちのいいことです。ますます知識を深めたいという気持ちが膨らんでくるはずです。

知識だけでなく体験することも必要

ただし、注意したいことがあります。本を読んで好きな世界を掘り下げ、それをいろいろ話せるようになるというだけなら、ただの物知りで終わってしまいます。時代小説に詳しい人が著名な作家や作品の解説をしても、興味の無い人には退屈なだけでしょう。

ところが、ここで時代小説の背景、たとえば江戸時代の料理や食べ物、菓子や調味料の話を織り込むと、聞いている人にも身近な話題になります。質問もしやすいし、みんなが話題に加わりやすいし、あちこち話が広がっていきます。盛り上がるのです。

しかし、そのためには本の知識だけではなく、自分で動き回っていろいろな体験をしておく必要があります。いわゆる生きた知識です。老舗の料理や菓子を食べてみたり、地方に出かけたときに昔から伝わる郷土料理を食べてみるようなことです。

▲知識だけでなく体験することも必要 イメージ:zon / PIXTA

それがあれば話も具体的になってくるし、聞いている人も自分の体験を話したり、想像を交えて自分の考えを口にできます。

つまり、本当に面白い話ができる人は行動的な人でもあるのです。ふと興味を持ったことに吸い寄せられて本や資料を集めたり、詳しい人に会って話を聞こうとするようなことは、行動的でないとできませんが、本に書かれてあることを確かめたり、自分で体験してみようとするには、ますます行動力が必要になります。

あるいは行動的な人でなければ、興味の湧いてくることや確かめたくなるようなことにも出会えない、ということもあるでしょう。そもそも、家の中に閉じこもっている限り、新しい読書体験もできないのですから、読書力はつねに行動力とセットになっていると考えることもできます。

和歌山県への旅で見つけた新たな発見

わたしはそれほど運動好きではありません。ウォーキングを1日1万歩とか決めて、ノルマを課すようなことには興味もありません。でも歩くことは嫌いではありません。

たとえば、大好きなラーメンの新しい店が開店したという情報が入ると、ワクワクして出かけます。歩いたその先に楽しいことが待っていると思えば、毎日でも歩けるのです。最近はとくに目的がなくても、“ちょっと出かけてみるかな”と家を出ることも増えてきました。

地方に出張に行ったときでも、時間があれば“ちょっとブラブラしてこよう”とホテルの部屋を出ます。

すると、思いがけない場所で、思いがけずも美味しいラーメン店を見つけたりします。すごく得した気分になります。自宅近くでも同じで、夜は妖しげなバーやスナックの看板しか並ばないような道でも、昼に歩けば小さな花屋さんやケーキ屋さんがあったりして、意外に健康的なんだなと落差に楽しくなったりします。

そういう経験を何度か繰り返しているうちに、日本の有名な観光地や温泉地などへ講演などで行くときも、“ちょうどいい機会だから、散策してこよう”と考えるようになりました。

以前は、“どうせつまらないだろう”と考えてしまい、用件が済めばすぐに帰ってくるスケジュールしか組まなかったのですが、最近は時間が許す限りゆっくり過ごすようにしています。

そして、のんびり歩き回ってみると、やはりいろいろな発見があるのです。どんなに有名な観光地だとしても、自分で歩いてみれば意外な発見があったり、観光案内には載っていないお気に入りの場所が見つかったりします。

最近の経験では和歌山県の有田市があります。ミカンの産地というのは有名でも、それ以上の知識はなく、なんとなくミカンの実る丘が広がって、のどかな場所なんだろうなと思っていました。

ところが、実際に訪ねてみて知ったのは、有田は「ありた」でなく「ありだ」ということでした。しかも海が間近に広がっていて、丘の上のレストランから夕陽に照らされた海を見ていると、ウットリしてしまいます。

もちろん魚も美味しいし、地元の自慢です。しかも全国でトップレベルのラーメン店もあるらしく、次回はぜひ訪ねてみたいと思いました。

▲和歌山県への旅で見つけた新たな発見 イメージ:96BOX inc. / PIXTA

つまり、自分が動いてその場所に行ってみると、思いがけない発見がいくつも出てくるということです。それによって薄っぺらな知識だけじゃなく、相手が喜んだり興味を持つような話ができるようになります。読書力は確かに興味や関心のきっかけは作ってくれますが、それを広げたり掘り下げたりするためには、行動力も必要になってくるのです。

好奇心を支えるためにも「外に出る」ことが大事

面白い話ができる人には行動力も備わっています。歴史好きなら実際に舞台となった町や古跡を訪ねてみる。さまざまな資料が展示してある博物館や美術館を巡ってみるといった程度のことは、誰でもやってみたくなるはずです。

自分なりのテーマを決めて勉強しようと思えば、その分野に詳しい人を探して会ってみたり、あるいは料理なら自分でも作ってみる、動植物や鉱物の世界に興味を持ったら、それこそフィールドに出て歩き回ることになります。

そういった体験もなく、ただの知識を蓄えただけなら、他人に話や説明はできても、さまざまなエピソードや相手が引き込まれるような面白い話をすることはできません。

それに、なんといっても行動力を支えるのは好奇心です。「本当はどうなっているんだろう」「本には説明してあるけど見てみないとわからないぞ」。そういう自分の目で確かめる気持ちも好奇心から生まれてきます。前頭葉の活性化に欠かせないのも好奇心でした。その好奇心を支えるのが行動力だとすれば、定年を控えた50代こそ行動力を失うわけにはいきません。

では、どうすれば行動力を維持できるのでしょうか。とても簡単なことで、筋力や体力の問題ではないとわたしは考えています。動き出す習慣を失わなければいいのです。

「うーん」と腕組みして「どうするかな」「今でなくてもいいかな」と座り込むのでなく、「ちょっと出てみるかな」「とにかく出かけよう」と軽い気持ちでドアを開けて外に出ることです。外に出れば何かが浮かんできます。

実際、いつまでも若々しい高齢者は「ちょっと出てくる」と一言だけ残して、家を出ていきます。夫がそれをやれば妻は「どこへ行くの」と尋ねますが、「そのへん」としか返事はありません。

しばらくして戻ってくると「△△さんに会ったよ」とか「面白い本を見つけた」「この帽子、いいだろ」と上機嫌です。予定もなく家を出ても、何かに出会って気分が良くなるというのは実際によくあることです。気楽に一歩踏み出すだけで、いいことに出会える可能性があるのです。

▲好奇心を支えるためにも「外に出る」ことが大事 イメージ:96BOX プラナ / PIXTA

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