その昔、ゴールドラッシュが…江戸から昭和にかけて稼働した「鹿籠金山」、かつての栄華誇る坑口や屋敷跡が想像以上に残っていた

鹿籠金山に残る屋敷跡の石垣を説明する鹿児島大学の志賀美英名誉教授=枕崎市

 かつてのゴールドラッシュに思いをはせて-。江戸時代から昭和にかけて稼働した、鹿児島県枕崎市の鹿籠(かご)金山の遺構を巡る見学会が16日にあった。江戸期には薩摩の三金山に数えられるほどの栄華を誇り、山中には坑口や屋敷跡が残るが、現在は木々に埋もれてしまっていた。企画した専門家や地域住民は「地域資源として活用できるのでは」と期待を寄せ、再び光を当てようと試みている。

 鹿籠金山は江戸期の天和年間に地元の郷士・有川夢宅(むたく)が金鉱石を発見。島津家の直轄経営で、山ケ野(霧島市)、芹ケ野(いちき串木野市)とともに藩内有数の金山だった。明治以降は五代友厚らに所有が移り、休山と再開を繰り返しつつ、昭和40年代に操業中止となった。

 見学会は長年、鹿籠金山を調査する鹿児島大学名誉教授の志賀美英(よしひで)さん(76)=鉱床学=と、地元住民が遺構の活用方法を探ろうと企画。15人が参加した。

 一行は江戸期の古道から入山。志賀さんは無数に残る坑口について「作業員は天井の低い坑道で腹ばいになり鉱脈を探った」などと解説したほか、石垣や石橋が残る屋敷跡も巡った。地元の金山公民館長、赤木正勝さん(73)は「遺構が想像以上にいい状態で残っている。多くの人に知ってもらうだけの価値はある」と語った。

 志賀さんは今後も見学会に加え、写真や関連資料などの展示会も検討している。「歴史ある場所だが、あまり注目されてこなかった。人々の記憶に残るよう、地元と連携して魅力の発信を続けたい」と話した。

金鉱石を採掘した鹿籠金山の坑道入り口=枕崎市

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