『ありえない昭和のプロレス』ミル・マスカラスの部屋まで直接行ってマスクを譲ってもらった

バーボンウイスキーのアーリー・タイムズが、アーリー・タイムズ ゴールドをジンジャエールで割る飲み方『アーリーバック』をおススメしている。このバックという飲み方は英語では「Buck」と書き雄鹿のように「キックのある飲み物」という由来の飲み方だが、『アーリー・タイムズ ゴールド』では「Back」の時間を戻すという意味にもかけて昔の仲間たちと“素”の自分たちで語り合うのにぴったりな飲み方としている。

3月某日、ジェイタメ編集部にもアーリー・タイムズ ゴールドとジンジャーエールが届けられ、編集部の先輩でもあり、『プロレスラー至近距離で撮り続つづけた50年』(新潮社)著者の山内猛さんと『アーリーバック』で飲みかわし、今で考えられないような“昭和のプロレス”の話をたっぷり聞かせてもらった。
その“昭和のプロレス”とはどんなものだったのか‥
*トップ画像 提供:山内猛

■ミル・マスカラスの部屋番号を教えてもらった!
俺がプロのカメラマンになったのは1980年(昭和55年)から。プロになる前から“プロレスの追っかけ”やってたしね、当時はホテルニュージャパンに外国人レスラーは泊っていたんだよ。で、みんな外国人レスラー目当てで写真撮りに行ったんだよね。“鉄人”ルー・テーズも撮ったし、俺が好きだったのは“千の顔を持つ男”ミル・マスカラスで1971年(昭和46年)に初来日したんだよ。俺はどうしても会いたくてね、羽田空港行ったらファンが100人くらい来ててね、大騒ぎだったよ! それで、どうしてもマスカラスのマスクを手に入れたくて‥ホテルニュージャパンまで行ったんだよ、当時は館内電話があってフロントに電話して「ミル・マスカラスさんの部屋教えてください」って言ったら、そしたらルームナンバー教えてくれんのさ(笑) 今じゃ考えられないよ! でさ、その館内電話を使ってマスカラスさんの部屋に電話して「アイム、ジャパニーズファン‥」って言って(笑) とにかく、あなたのマスクが買いたいから部屋に行っていいか?って聞いたら「OK」って言われてね、ドキドキしながら部屋まで行って、部屋のチャイム鳴らしたらマスカラスさんが出て来て、マスクを3つくらい出してくれて、俺はカニの模様のマスクを5000円で買ったんだよ。ファンにとって5000円で売ってくれるなんてプレゼントみたいなもんだよ! まぁ~当時の5000円は相当高いけどね。
この頃、東スポとゴング誌がプロレスをしっかり取材しててね、東スポは1部10円だったんだよ。

■悪役レスラーは本当に怖かった
プロカメラマンになってからは、ブッチャー、タイガー・ジェット・シン、ザ・シークって悪役レスラーが居てね、当然の様に、場外乱闘があって暴れるんだよ! 取材カメラマンでも悪役レスラーの手の届く範囲に入ったらやられたからね。それが悪役レスラーの役目で当たり前だったんだよね。悪役レスラーにしてみれば「俺の領域に入ってくんな! お前ら邪魔するんなら俺はやるぞ!」って事だったんだよ。カメラぶっ壊されたヤツもいるよ、まぁ~だいたい東スポがゴング誌がやられるんだけどね(笑)。
後楽園ホールだと選手の控室があってね、入り口の所にトイレがあって、その横あたりに報道陣が屯してたんだよ。当時は当たり前に控室の中まで入って馬場さんとか猪木さんとか取材してたから‥長州政権あたりからそういう取材は一切ダメになったね。で、悪役レスラー達もトイレは使用するからさ、トイレを使いたい時は控室の中から吠えながら歩いてくるんだよ、俺らが屯してるところはトイレに行く通り道だからさ、近くに居たらやられるから、みんなやられる前に逃げたよ。悪役レスラーは「俺の領域に入ったらやる」っていうプロ意識があったからね。

■試合前に若手との練習が見れた
猪木さんが新日を仕切ってた頃は、試合開始の2時間ぐらい前から猪木さんは、リング前でスクワットやったり、若手を集めてリングで“関節技の決めっこ”とか普通に練習してたね!それが面白くてね、一般のファンもそれ目当てでかなり早くから会場に来て見てたんだよ。

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